新天地へ

 そして、月日は更に半月ほどが過ぎ――別れの時は、コータにもやって来た。



「なぁ、アイリス……ホントにコレ、乗るの?」


 ついに、ランジュルデ島へと旅立つ朝を迎えたコータは、迎賓館の庭で”何か”を見上げ、その視線の先に居るらしいアイリスに何事かを尋ねている。


「ええ、コータ様と私――クレア様の三人なら、丁度定員どおりとなりますので……」


 アイリスは革製で大きな……"鞍"らしき物の上に立ち、同様にやたらと長い手綱の先にある大きな金具を抱え、その鞍に取り付け様としていた。



 それらが馬具の類である事は明らかだが、どれもサイズが桁違い――その理由とは、なんと……



「グルルゥゥ……」



 そんな、不気味な音で喉を鳴らしている、巨大な”ドラゴン用”の物だからだった!



 そう――コータたちは、このドラゴンの背に乗り、これからランジュルデ島へと飛び立つのである。



「まさか、アイリスが"ドラゴンライダー"とはねぇ……


 つーか、そもそも居たんだドラゴン、この世界に」


 今朝になって、唐突に知らされた二つの事実を、コータは苦笑いを催しながらそう呟いた。


「"デュルゴ"(※クートフィリア語で竜を表す名詞)の扱いは、飛行魔法の習得に難ある者が多い、我らヒュマドにとっては、空での移動手段や軍事的な制空権の確保のために欠かせない手段にございますから――よし!、終わったぞぉ~、"リンダ"、さあ、コータ様にご挨拶だ」


「グルゥ……」


 馬具――いや、言わば”竜具”の装鞍を終えたアイリスが、リンダと呼んだそのドラゴンの、蛇の如く長い首筋をパンパンと叩くと、それに呼応してリンダはその首をコータの方へと伸ばす。


「⁉、だっ!、大丈夫か?、突然噛み付いたり、火を吐いたりは……」


 コータはリンダとのスキンシップに恐れを感じ、咄嗟に身構える。


「リンダは大人しい子ですし、私がしっかりと手綱を持っておりますので、その様な心配は……


 ましてや火を吐くなどとは、今朝もお教えしましたが、空想の類でしかありません」


「ふふ……口から魔力の息吹ブレスを吐く、黄金色の鱗を纏った『魔竜ゴグドヴァーノ』の伝説は、男の子が大好きなお話でしたね」


 苦笑しながら、リンダの安全性を説くアイリスの言葉に、コータと共に装鞍の様子を眺めていたクレアが、そうフォローを入れた。



 クートフィリアに生息するドラゴンには、この手の世界に有りがちな設定――火や吹雪などのいわゆる”ブレス”を吐ける種は存在しない。


 強引にでも、生物学的な考証を被せてみれば解るはずだが……よく考えれば、肺の中にそれらの生成を司る臓器が存在していなければならないはずだし、そんなモノをもし体内に抱えていたら、それらが竜の健康を害する事この上ないはずだ。



(魔法だ、エルフだと言いながら、ドラゴンに関してだけは、妙にリアルなんだな……)


 ――と、コータも先程、それをアイリスから聞いて、苦笑いを見せていた



("ゴグドヴァーノ"は実在しておる――彼奴は、その竜の身らしからぬ魔力に限らず、人語も解し、尚且つそれを好んで話す様な稀有な天才デュルゴでのぉ……その才を見込まれ、竜の神として『神界』に昇ったのじゃ。


 それらはまだ、お前が言うトコロの現世に居た頃の事ゆえ……彼奴が、そのドラゴンとやらの雛型にされてしもうたのじゃろう)


 精神世界では、クレアの補足を請け、サラキオスによる更なる講釈が始まっていた。


(へぇ……じゃあ、"人の世に降りてる"どっかの魔神様は、その『才』ってモンが足りないワケかい?)


(ふんっ!、我は単に、人が根底に持つ醜い部分を助長する様な、神界の方針に異論を持ち、その後に人の世が辿ろうとしている行く末を哀れんで、自らの意思で降りてやっただけじゃわい)


 コータが揚げ足を取ると、サラキオスは高飛車に現状の経緯に触れた。


(なぁるほど……人の醜い部分と、その行く末ねぇ。


 何となくだけど、お前の本当の目的や、どうして蹂躙ひとあばれなんかをしたのかが解った気がするよ)


(むぅ……聡い異界人と思うたから、自ら封じられてやったが、見抜かれてしまうと、それはそれで何やら可愛げが無いのぉ)


 精神世界という理で、互いを通じ合っている、"この人"と"この魔神"は、妙にその互いを達観してそう思うのだった。



 その後――コータがベルスタン城の各所を渡り歩き、この半月の間に世話になったヒュマドの皆へ、その礼と別れの挨拶を終えたのは、既に日が中天に差し掛かった頃であった。


 後は、アイリスやクレアと共にリンダの背に乗り込み、ついにランジュルデ島へと飛び立つだけとなった。


「コータさん――姉様ぁ、もう……この様なお時間ですから、出立は私たちと共に昼食を済ませた後にしては?」


 ――のだが、見送りに庭までやって来たミレーヌが、目尻に一杯の涙を溜めながら、引き留めているのが丸解りな態度で、旅装の二人の手を掴む。


「いや、もう出発しないと、今日中に着けなくなるってハナシだし、だからこうして弁当も……」


 ミレーヌの引き留めに、コータは後ろ髪を何とやらの思いも覚えながら、困った様子で諭そうとする。


「――ミレーヌ、仕方ないよ。


 コータ殿の助力のおかげで、この世界はもう有事下ではない……皆は『普段』を取り戻し、それを僕たちが失わせてしまった、コータ殿の"それ"を返すには、新しい暮らしを始めて貰う事が肝要なんだ」


 共に見送りに来ていたアルムも、ミレーヌの震える肩にそっと手を置き、別れを強く惜しむ彼女を慰める。


「……解ってますぅ、わかってますけどぉ……うっ、うぅぅ~~っ!」


 ミレーヌは、ついに涙腺が崩壊してしまい、彼女は俯いてボロボロと泣き咽び始めた。


「コータ様……」


 ――すると、クレアが何やらコータに目配せをし、彼の手を掴んでいるミレーヌの手を握り、そっとそれを剝がした。


 その意を悟ったコータは、申し訳なさそうにミレーヌからは離れ、アルムの前へと立った。


「アルム王子……」


「――『世話になった』とは、言わないで欲しいんだ。


 それはむしろ、僕たちが言うべきセリフなのだから」


 そう言い合うと、二人は力強く握手を交わした。


 次にコータが前に立ったのは、近衛としてアルムの後ろに控えていたジャンセンで……


「ジャンセンさんとは、あんまり『お別れ』ってカンジじゃあないらしいね?


 なんか、例の島の対岸の港町に、将軍として栄転するって……」


 ――と、コータはウワサ程度で耳にしていた、彼への辞令に話を振った。


「ええ、そういうコトになりましてな――"ランジュルデ卿"となられるコータ殿とは、何かと顔を合わせたり、文書のやり取りなどがあるかと」


 ジャンセンは少し照れた素振りで、将軍への昇進を素直に明かした。


「それはおめでとうございます――ロドバスマ様。


 いや、もう、"ジュルバ"スマ様とお呼びするべきですかな?」


「ふふ……”将軍”とは言っても、まだ将としては何の功も挙げておらぬのだ、正しくは、ジュル『ハ』スマであろうて」


 アイリスのおだて気味の世辞に、ジャンセンは細かい指摘を付けて返す。



 その時――そのアイリスとジャンセン、それにアルムを加えた3者の間で、アイコンタクトの類が交わされていた事は、他の者は気が付いていないはずだ。



(――銀髪のエルフィを側に侍らせる事となっては、いよいよサンペリエ帝を彷彿とさせる……これでは、くすぶり続ける懸念を、ますます助長させる事に……)


(クレア女史の事は……ミレーヌなりに考えた価値ある秘策、アレは『あえて』ってヤツさ。


 それに、"側には"アイリス、"近郊には”ジャンセンを配置する事で、それらをコータ殿――いや、ランジュルデ卿たるアデナ・サラギナーニアの監視役としたんだ。


 少しは、僕の考えを信用して欲しいモノだよ、ウチの軍部には)


 ――と、ジャンセンの目線はコータの身に醸して来た、歴史に残るかつての悪君の蔭りへの不安を語り、アルムの目線は楽観的で自負が滲む意図が込められていた。


(だが、私は――祖国に情報を漏らす間者スパイや、その為の新たな主の監視役になるなど、そんな武人として下衆な輩に成り果てるつもりは、毛頭無いのですよっ!


 王子あなたは言ったはずだ――"コータ殿の下で、これまで望んで来た本懐を遂げるが良い"と!


 私は、一介の武人として、この異界から来た好漢のために、身命を賭して働くと決めたのだからっ!)


 しかし、アイリスの目線が示すその決意だけは、その二人――いや、このヒュマドの国との決別を表していた事は、今は誰にも伝わっていないであろう。



「――私とは、本当に長いお別れになってしまいそうですなぁ」


「ランデルさんは……何たって、もうすぐ"大臣様"だもんなぁ、エルフィ国の」


 次にコータが前に立ったのはランデル――彼も、寂しそうな眼差しで、別れの挨拶の始まりに応じていた。



 ランデルは、なんとミレーヌからの打診で、復興に向かって邁進して行くエルフィ国の、そのための物資調達や財政の管理を司る大臣の大任に推挙されたっ!


 魔神蹂躙で多くの人材を失った事と、復興のために民間からの出資を得る必要性を鑑みたミレーヌは、ランデルが所属するヒュマド有数の大店――"バッキュア商会"に目を付け、資金の貸し付けと共に人材派遣を要請――彼女は、ランデルをその一環として抜擢したのである。


 もちろん、他族の者がそんな重大なポストに座るのは、エルフィ国にとっては初めての試みだ。



「大臣様だなんて、やめてくださいよぉ~!


 はぁ……やっと魔神封じの旅が終わって、コレで一介の商人に戻れると思っていたのにぃ……」


 ランデルは照れた素振りで、その今回の栄転を嘆いて見せる。


「それを俺に言う?、俺なんて『一介』ならぬ『異界』の遊び人から、世界ところかわって、これからは片魔神に加えて大きな島の領主様だよ?」


 コータはコータの方で、そんな洒落も交えながら、自虐にもそんな戯れ言を言う。


「コータ様は、遊び人などではございませんよ――異界での暮らしに慣れようと、懸命に私へ様々な事を尋ねられる姿は、それは生粋の好漢足る証、拠ぉ……うっ、うぅぅ……」


 ランデルはコータの自虐を否定するため、これまでの旅を思い起こしたからか、感極まって言葉に詰まる。


「はは……エルフィの復興が成って、お役御免になったら、そん時はランジュルデ島の産物を是非買い付けに来てよね」


「はいぃ……はいっ!、もちろんでございますよ!


 かの島は、商人から見ればまさに宝の島ですからねっ!」


 二人は、そんな希望を語り合い、それを別れの挨拶とした。



「――凱旋巡礼の旅には加わっていない私が、こうして別れの時に来るのは場違いかもしれんが……」


「いやいや、そんなコトも無いでしょうよ。


 ミレーヌちゃんの側近なワケだし」


 次にコータと向かい合ったのは、居心地の悪さを溢すローランだった。


「――おっと、また『ちゃん付け』を怒られちゃうかな?」


「ふっ……最早そなたは、4ヵ国が公認したアデナ・サラギナーニア――身分が、姫様より上となった事に加え、魔神の魔力をも扱える今では文句は付けられぬ」


 そう嫌味っぽく茶化すコータから、ローランは恥じる体で目を背け、渋い表情を見せた。


「魔神封じ成ったる後――姫様に残った杞憂は、それを成すために巻き込んでしまう事となった、そなたの行く末だ。


 エルフィの聖職者として、それが杞憂のままで終わる事を祈っている」


 クレアの胸元でまだ泣きじゃくっているミレーヌの姿を横目に見ながら、ローランはコータと別れの握手を交わした。



「――さて、アイリス、クレアさん……行こうか?」


「!」


 別れを惜しむ時を終えたコータが、二人に目配せをしながら、いよいよ旅立ちの時を告げると、ミレーヌはピクリと肩を震わせて、クレアの胸元から顔を上げた。


「――はっ!」


「わかりました」


 アイリスは勇んだ様子で、サッとリンダの鞍へと跨って竜用の手綱を手に取り、クレアは切なそうな笑顔をミレーヌに向けながらそう呟く。


「では姫様、『さらば』でございます……」


「――姉ぇ、様ぁ……」


 クレアは『行って参ります』といった、何時かの再会を望む言葉ではなく――真の別れを匂わせる言葉を選んでいた。


 それを、言葉の端に聡く察したミレーヌは、深くうな垂れ……


「――呼んでください、一度だけ……私と、妹弟あのこたちを、敬称ではなく、名前で……」


 ――と、絞り出す様な声音で告げ、懐から小振りの魔石を取り出す…



 この魔石は、音声を収録する事が出来る魔道具――ミレーヌは、この別れの場に来る事を自重した妹と弟、延いては母へとその様子を知らせようと、懐に忍ばせていたのだ。


 ミレーヌがそれを取り出すのと同時に、ローランが一足先にその場から離れようとしている姿を見やったクレアは、その意図を察して彼に向けて深く頭を下げる。


「――ミレーヌ、スティラン、ルーシア、私は……いえ、"姉"は、決して会う事は無いと思っていた、妹弟あなたたちと会う事が出来て、本当に嬉しかったっ!」



 クレアはそう言って、ミレーヌの身を包み込む様に抱き締めた――その音は、ミレーヌが手に持っていた魔石に録音された事だろう。




 ――3人を鞍に乗せたリンダが大きな翼を広げ、アイドリングでもする様にその翼を数度羽ばたかせ始める。



(――そーいや、ずっと泣いてるから、ミレーヌちゃんとはキチンとお別れしてねぇな……)


 コータは思い出した様に、既にホバリング体勢に入り始めた、リンダの背の上でそう思っていた。


「――コータさんっ!」


 その時――リンダの羽ばたきに負けない大きな声で、ミレーヌが自分の名前を叫んでいる事に気付く。


「私が――っ!、貴方に送れる言葉は――っ!!、送るべき言葉は――っ!!!、これしか!!!!、ありません――っ!!!!!」


 ミレーヌは続けて叫ぶと、手には魔力の波動を掲げ、それがその場を包み始める。


「――⁉、これはっ!、"翻訳魔法の限定解除"……」


 彼の隣に居るクレアが、ミレーヌの手順の意味を悟った時には――既に、周りの声は意味が解らない言葉になっていて……



「――アリガトウ、ゴザイマシタァ――ッ!」



 ――替わりに解かったのは、たどたどしい日本語で、御礼の言葉を叫ぶミレーヌの声だけだった。

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