親が決めた結婚は嫌なので、家から飛び出して商業ギルドを作って自立してみた!!

入江 郊外

第1話 プロローグ

“お嬢様”


 それは生まれながらにして、地位も財も得ていて、一介の庶民では手に届かないものでも、パパにお願いすれば大抵手に入る。

 庶民から見てみれば苦労も知らずに、楽々と人生を謳歌していると思われがちだが……。


 ウェスタラース王国の公爵貴族、ケンベルク家に一人の女の子が生まれた。


「おんぎゃ~~~~」


 出産で疲れ果てた夫人の横で、お局の風格をしたメイド長が生まれたての赤ちゃんを抱え上げ、ベッドに横になっている母親に声をかけた。


「女の子ですよ、奥様」

 鳴き声が部屋中に響き渡ったと同時に、部屋の外の廊下でこの瞬間を待ちわびていた父親が勢いよく扉を開けた。


「生まれたか!!」

「えぇあなた」


 父親になった公爵は急いで夫人たちがいるベッドのそばまで走り寄って、額に汗をにじましいまだ息を切らしている夫人の額をなでた。


「よくぞ耐えてくれた。ありがとう。」


 メイド長は、生まれたての赤ちゃんを湯船に付けてから清拭をすると、真っ白な布で赤ちゃんの体をくるんで、公爵夫人の横に寝かせつけた。


「奥様、よく頑張りましたね」

「えぇ。でも大変なのはこれからよ」


 公爵夫人が疲れ切った顔をしながらも、うれしそうな表情を浮かべ、赤ちゃんの頭をなでて、公爵である父親に尋ねた。


「あなた、この子に名前を。」

「名前か、そうだな――」


 父親は、一呼吸ほど考えて口を開いた。


「――ルーシャだ。ルーシャ・ケンベルク。私たちの初めての子供だ」


 公爵であるサダルージ・ケンベルクと、その夫人ダリズ・ケンベルクとの間にできた子。


 公爵令嬢、ルーシャ・ケンベルクの爆誕である。




 ルーシャ八才の頃。


 ケンベルク家はすでに公爵の称号は得ていたが、ルーシャが生まれてからというもの、数々の王国への貢献をもたらして、貴族の中でも序列三位に君臨していた。

 公爵としての仕事は、ぬかりないほどにこなしているのはもちろんのこと、家族との時間、特に愛娘ルーシャとの時間も抜け目はなかった。


 ルーシャは肩まである赤みがかった茶色い長い髪を揺らしながら、花瓶に刺さっている一本の花へ一直線に走って指をさし、大声で言った。


「パパ!!あの花をお部屋いっぱいに欲しいの!!」

「あぁ、いいぞ。ルーシャ」


 ルーシャが欲しがったのは、たった一輪の花だった。

 たった一輪、この一輪、ウェスタラース王国にあるこの花は、このたった一輪しかない。いわゆる他国から輸入した交易品の一つだった。


 すぐに父親のサダルージ・ケンベルクは、側近の執事を呼んでルーシャに聞こえないように耳打ちをした。


「たしかこの花、”ひまわり”といったな。千輪ほど買い付けてルーシャが寝ている間に部屋に置いてくれ」

「旦那様、失礼ですがこの花、異国から取り寄せたもので、一輪につき金貨一枚します」

「構わん。今すぐに早急に買い付けてルーシャの部屋に飾るんだ!!」


 執事はサダルージの耳打ちに少し動揺している様子だったが、主のサダルージが少し語気強めでいうと、一目散にことに取り掛かった。


 執事が動揺するのも当然だ。金貨一枚あれば、一般庶民なら半年は生活できる。もっと生活レベルが低い田舎の村ならば、一年以上は生活できるだろう。

 それを娘の戯言に、金貨千枚という大金を使うというのだから。しかも花という、枯れて消えてしまうものに。


 一週間後。


 ルーシャがベッドから起きると、黄色く鮮やかな”ひまわり”が、部屋の床一面を覆いつくすように飾り付けられていた。


「パパ~すごいすごい!!黄色のお花でいっぱいなの~!!」


 ルーシャのうれしそうな声を聴いて、まるで待ち構えていたかのように父親のサダルージが駆け寄ってきた。


「あぁそうだな、きれいだな」


 父親もルーシャが嬉しそうに喜ぶ様子を見て、少し笑みをこぼしていた。


「パパ、馬車があればもっと素敵だと思うの」

「あぁそうか、そうだな。そういえばルーシャ、もう朝ご飯の時間だから、先に食堂に行っておいで」

「分かった!!」


 ルーシャは父親の言いつけ通りに食堂に勢いよく走りながら向かっていった。

 自分の娘がいなくなると、すぐに執事を呼びつけた。


「ここに馬車を用意してくれ。もちろん馬もな。白い馬だ」

「ですが、旦那様。馬はともかく、馬車なんてこの部屋の扉からは入れることはできません」

「ならば、馬車をバラして組み立てればよい。時間は私が稼いでおこう」

「はい」


 執事は少し無理をいう主人にばれないようにため息をつくと、すぐに主の命令に従った。

 ルーシャが朝食を食べ終え”ひまわり”で埋めつくされた部屋に戻ろうとすると、サダルージはそれを引き留めた。


「ルーシャちょっと待ちなさい。少し散歩でもしよう」

「パパと?いいの?」

「あぁ、今日は暇だからな」


 公爵に暇などあるわけがない。無理くり時間を作りだしているだけに過ぎなかった。

 小一時間散歩をすると、ルーシャは一人で自分の部屋に戻った。すべてが用意されている部屋に。


「すごいすごい!!きれいなお花に素敵な馬車、それに白いお馬さんも」


 ルーシャはまるで夢やおとぎ話にでも出てきそうな部屋で、元気にはしゃいだ。

 パパにお願いすれば何でも手に入り、ひもじい思いなんてまったく縁のない話で、我慢すらもすることがない。


 ルーシャはまだ知らなかった。

 この夢物語がいずれ終わるということを。




 ルーシャ九才の頃


 夕飯のディナーを家族で囲んでいるときのことだった。

 ルーシャは家庭教師と一緒に勉強をしたことを楽しそうに話していた。


「パパ、今日難しい本のお勉強をしたの、本って素敵よね。文字だけで楽しかったり悲しかったりするんだもの」

「あぁ、本はすごいぞ。欲しい本があったら言うとよい」

「分かったー!!」


 公爵夫人のダリズがディナーの最中、急にナイフとフォークを置いて立ち上がり席を外した。


「あなた、ちょっとすみません」

 サダルージは食堂の中を早足で立ち去る自分の妻を、心配そうな眼差しをする目で追った。


 公爵夫人が自分の席に戻ると、サダルージは自分の食事を一旦止めて聞きかけた。


「どうしたか」

「いえ、大したことじゃありませんが、少し気持ち悪くて……」

「すぐに医者を呼ぼう。おいメイド長!!」


 サダルージがだだっ広い食堂の中でこだまするくらいに大声でメイド長を呼びつけた。

 ルーシャもあまりにも深刻そうな雰囲気に、少し心配そうにしているようすだった。


「ママ、大丈夫?」

「えぇ、ママは大丈夫よ」


 ルーシャは自分の席を立ちあがり、椅子に座って口元を押さえ気持ち悪そうにしているダリズの横に立って、背中をさすり始めた。

 サダルージが大声で呼んでから一分もしないうちに、お局のオーラを漂わせキビキビと動く、最年長のメイドがやってきた。


「なんでしょう、ご主人様」

「体調がすぐれないようだから、部屋に連れていってくれ。それとあとで医者を呼ぶように手配しておく」

「分かりました。旦那様。ですが、お医者様のほうは必要ないかと」

「なぜだ?」

「それはわたくしの口からは……。奥様からお聞きするのがいいかと」


 ダリズは、気持ち悪そうにしながらも、少し照れ臭そうに笑みを浮かべながら、静かに言った。


「お腹に赤ちゃんが……」

「本当にか!!」


 サダルージは机を盛大に叩きながら、椅子から立ち上がった。椅子が立ち上がった反動で倒れるほどに勢いよく。

 それもそのはず、ルーシャが生まれてからも、子供を授かる努力は人一倍もしていたものの、実を結ぶことができなかったのだから。


 ルーシャは自分の目線と同じくらいの高さのダリズのお腹に目線を映した。

 ダリズはルーシャの手を優しく手に取って、自らのお腹に当てさせた。


「ルーシャ、お姉ちゃんになるのよ」

「お姉ちゃん?」

「そうよ、ルーシャに”きょうだい”ができるのよ」


 ルーシャは九才という幼さゆえにあまり実感がないようだったが、当の父親はあまりにもうれしくて動揺しているが、これ以上表情を表さないよう軽く咳払いをして、淡々と食事を再開した。当主としての威厳を保つために平静を装っていたが、フォークとナイフを持つ手を逆に持っていた。




 ルーシャ十才の頃


 ルーシャの運命の岐路はここだった。

 ルーシャとサダルージは部屋の外の廊下でひたすら待っていた。


 扉一枚の向こう側、部屋の中から聞こえる、母親のダリズが必死にお産の痛みを耐える声が、家族である二人に緊張感を持たせた。


 部屋の中ではダリズがメイド長と一緒に出産に臨んでいる。


「奥様!!もう少しです」

「んぐぅっぅくぅうぅうーー」

「もうひと踏ん張りです!!」

「くぅっーーーーーーーーーーーーーーーっ」

「おめでとうございます!!男の子です!!」


 ルーシャに弟ができた瞬間だった。


 ルーシャの隣にいた父親サダルージは、ルーシャが今まで見たことのないくらい嬉しそうな表情を見せていた。


 扉を壊れそうなくらいに押し開けるとすぐに、産声を上げている息子を、メイド長から取り上げるように抱え上げた。


「私の息子よ。私の跡継ぎよ。よくぞ私の元に!!」


 メイド長はまだ赤ちゃんの清拭が終わっていないので、サダルージに赤ちゃんを返してもらうように手を出した。


「旦那様、服が汚れてしまいます。長男でうれしいのは分かりますが、落ち着いてください」

「すまぬすまぬ」


 サルダージはメイド長に生まれたての息子を手渡すと、部屋中をグルグルと歩き出した。両腕を組んで眉間にしわを寄せて悩ましそうに歩いている。

 ルーシャは普段見せない父親の挙動を不思議に思ったのか、父親に聞いた。


「パパ、何しているの?」

「見て分からんのか!!名前だ名前!!」


 ルーシャは初めてだった。こんなにも物言いが荒い父親を見るのは。こんな怖い父親は見たことないくらいに。


「あー名前、名前か。そうだな。ルーキッシ。ルーキッシだ!!」


 ルーシャの弟、ケンベルク家の長男にして跡継ぎのルーキッシ・ケンベルクの誕生だった。


そして、ルーシャの生活が一変したのは、この日を境にしてからだった。

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