激動の朝

 大荒れに荒れた誕生パーティーも、一夜を明けてしまえば、まるで夢うつつだったかのよう。


「……朝か」


 昨日から十六歳になったスプラ・ビーンズは、カーテンの隙間から差し込む朝日で目を覚まし、そうつぶやいた。


 体を起こせば、目に入るのは、貧相な体を包む味も素っ気もない寝巻き……。

 部屋の壁際は、背の高い本棚でびしりと埋まっており、その端へ、衣服の入ったクローゼットが一つだけ加わっている。


 黒檀の分厚い机には、広げたままの本や、考えをまとめるために記した書き捨てが、いくつも散らばっていた。


 考えるまでもなく、年頃の貴族子女らしさとは無縁の部屋……。

 唯一、少女らしさを漂わせているのは、自身の身長ほどもある姿見だけである。

 枕元のメガネを手に取り、ベッドから足を踏み出す。

 そして、姿見の前へと立った。


「……地味な子」


 裸眼では薄ぼんやりとしか見えないため、片目にだけメガネを当てて見たのは、言葉通り地味な女の子……。

 真っ直ぐに伸ばした栗色の髪は、起き抜けということもあって、所々が乱れており……。

 顔立ちは……親族は「かわいい」だの「メガネが邪魔している」だのと言うが、スプラ本人からすれば朴訥な……貴族らしい華やかさの感じられない代物である。

 貧相な体に、見るべきもののない地味な顔を乗せた娘。

 それが、スプラ・ビーンズという少女なのだ。


「せめて、わたしが美人だったら、ハベスト様も……」


 未練がましい独り言に、首を振った。

 もしも、はない。

 事実として、自分は昨晩、婚約者から関係の解消を宣告されたのだ。

 そして、その後……。


「ゲミューセ殿下……。

 わたしを、自分のものにするって……。

 冗談、だよね?」


 鏡に映った地味な娘は、その問いかけに何も答えない。

 昨晩のことが、思い出される。


 ナムル、卵炒め、かき揚げ……。

 ゲミューセ王子は、自分が手作りにしたもやし料理をそれぞれ味わい、感心していたものだ。


「これらの料理は、お前が考案したのか?」


「いえ、東方から取り寄せた本に書かれていたものを、再現しました」


「大したものだな。

 未知の野菜を栽培しただけでなく、料理上手でもある」


「上手では、ありません。

 記載されてる通りに作れば、美味しいものが出来上がる。

 料理本というのは、そういうものですから」


「それをやれるから、上出来なのだ。

 何事においてもそうだが、下手くそは、余計な工夫をしたがるからな」


 家の者が差し出したビールで喉を潤し、ゲミューセが考え込む。


「煮てよし、焼いてよし、揚げてもよしのようだな。

 事に、油との相性が良い。

 生では食えぬのか?」


「試していません。

 書物によれば、お腹を壊すと……」


「まあ、さすがに全能とはいかぬか」


 ゲミューセが、飲み干したグラスを召使いに返す。

 そして、こう宣言したのだ。


「では、スプラよ。また明日会おう。

 諸々、細かく詰めていかねばならぬからな」


 そう言って、あっけにとられる自分やハベストをよそに、颯爽と立ち去っていく……。

 その言葉通りなら、今日、彼が訪れるということになるが……。


「きっと酔ってたんだよ。

 うん……ビールを飲みすぎたんだ」


 最も合理的な解釈をし、鏡の中にいる自分へうなずく。


「ただ……。

 もやしを食べてくれたことは、嬉しかったな」


 結局……。

 パーティーの出席者たちは、ゲミューセを除いて気味悪がるばかりで、食べようとせず……。

 苦心の末に収穫し、心を込めて調理したもやし料理は、身内だけで消化することになったものだ。

 だから、唯一食べてくれた……ばかりか、大いに気に入ってくれたらしい王子に対し、好感を抱かぬはずがない。


「………………っ!?」


 顔が赤くなっていることへ気付いて、ぶんぶんと首を振る。


 ――わたしは。


 ――ふしだらなんだろうか?


 あまりといえば、あまりに尻が軽い心の動きへ、掣肘するしかなかった。

 部屋の扉が叩かれたのは、そんなことをしていた時のことである。


「お嬢様!

 お目覚めになられてますか!? お嬢様!」


 この声は、自分が生まれるより前から家に仕えている老侍女のものであり、彼女がかくも慌てた声を出すのは、珍しい。


「うん、起きてるけど……」


 扉越しに応じると、老侍女は慌てた声でこう言ったのだ。


「ならば、今すぐにおいで下さい!

 第一王子殿下が……。

 ゲミューセ様が、いらしておいでです!」


「え……」


 言葉の意味を咀嚼するのに、しばし間が必要となり……。


「えええええっ!?」


 それから、ようやく驚きの声を上げられたスプラなのであった。




--




「うむ、なかなか美味い。

 すまぬな。朝から押しかけたばかりか、朝食まで出させてしまった」


 ビーンズ家の食堂……。

 慣れ親しんだその場所で、両親や兄と共に、ゲミューセ王子が朝食を取っている。

 昨晩は、それどころではない心境だったため、あまり顔をよく見なかったが……。

 あらためて見ると、驚くほどの美男子であった。


 艷やかな黒髪は、女子のごとく長く伸ばされているが、それで女々しさを感じないのは、全身にみなぎる気力ゆえだろう。

 顔立ちは、凛々しいのひと言。

 王子というのは、あらゆる女子が憧れる存在であるが、彼に限っては、そのような肩書きなど必要あるまい。

 ただ、そこにいるだけで女性を惹きつけてやまない。

 ゲミューセ王子というのは、そのような人物であった。


 そんな彼の身を包んでいるのは、近頃、大勇帝国の紳士で流行っている背広という装束だ。

 だが、着る者が違うと、こうも変わって見えるものか……。

 同じく背広を気ている父や兄の場合、どこか流行に合わせて背伸びしているような印象を受けるが、王子の場合は異なる。


 正しく――開明的。

 新しきをどん欲に取り入れ、さらなる飛躍をもたらそうという意欲が、その着こなしから感じられた。


 そんな彼の眼前に並べられているのは、トーストに目玉焼き、カリカリになるまで焼いたベーコンというありふれた朝食……。

 だが、ゲミューセはこれを、実に満足そうに食べている。


「ひと昔前まで、卵というのは高級品であり、いかに貴族家といえど、当たり前の朝食としてこれを食べることはかなわなかった。

 しかし、今はこのように、ありきたりな一品として食卓へ並べられている。

 俺は、このような食事を取ると、真に我が大勇帝国が豊かになったのだと、そう感じられて、ますます味が増して感じられるのだ」


「ははあ、なるほど……」


「さすが、殿下は食事ひとつとっても思慮深くあられる。

 同い年の身としては、浅学を恥じるばかりです」


 食卓を挟み、今にも揉み手しそうな勢いでおべっかを使うのは、父ソイと兄グリンだ。

 第一王子による、朝一番からの来訪……。

 この異常事態に、二人の精神が限界を迎えつつあるのは明らかだった。


「ただ、馳走となっていながら、あえてけちを付けるとするならば……。

 野菜だな。

 野菜が足りぬと、そう思える」


 と、そこでゲミューセ王子の顔が、食堂へ入ったスプラに向けられる。

 その笑みを、なんと形容すればよいのだろうか……。

 実に楽しそうで、その上で意地悪そうで……。

 様々な意味合いが、そこから汲み取れるのであった。


 ただひとつ確かなのは、スプラにとっては、何かろくでもないことが待ち受けているということ。

 それを証明するかのように、ゲミューセ王子がこう言ったのである。


「我が国の食卓へ、さらなる当たり前を……野菜を加える。

 そのために、ご息女を頂きたい。

 今日は、あらためてその挨拶に参った」


 それは、実に堂々たる宣言であり……。

 求婚というよりは、身請けの要求であった。

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