19話 リストレア2
「ご苦労様、戻ってきなさい」
呼び戻した使い魔──『アリエス』が翼を畳み、音もなく肩に止まる。
リードルの町に到着し、最初に行ったのは使い魔で町の魔力を調べることだった。
月明かりに照らされた辺境の町は、静まり返っている。
人通りは絶え、吐いた息が白く立ちのぼるほどの冷え込み。にもかかわらず、積雪はない。──いや、正確には、降り積もるはずの雪が、大地に届く前に掻き消されているのだ。
無人の屋根に立ち、町を俯瞰する。
指先に触れるアリエスの魔力が微かに震えていて、彼女は目を細めた。
(やはり、この町は異常だ)
使い魔の視界から戻ってきた情報は、確信を与えるものだった。
人の手では到底制御できぬほどの魔力が町中に充満し、大気と反発しながら渦を巻いている。
「さて、どうしたものか……」
口に出したところで、答えが返るわけもない。だが、声にすることで少しでも整理できるのなら、それでいい。
預かりもののアリエスを頼って無茶をするわけにもいかない。かといって、すぐに王都へ戻り“妹様”に助力を求めるなど論外。彼女の存在はリストレア家にとって最大の秘匿事項であり、もしものことがあれば一族そのものが揺らぐ。
ブリジットに課せられた任務は二つ。
一つは、“リタ”という少女を狙う勢力──その背後にいる協力者を含めて粛清すること。
もう一つは、その少女を自然な形でリストレア家へ導き、“妹様”と会わせること。
前者は難しくない。もしこの異常な魔力が少女を狙う者の仕業であるなら、とうに彼女は無事ではいない。つまり、この魔力がその勢力と無関係。ならば怪しい者を淡々と処理すればいい。
問題は後者だ。
仮に、この途方もない魔力の源が少女本人であるのなら──。
その時点で、彼女は「力が足りない」と感じることはないだろう。
ならば学園で学ぶ必要も、リストレア家の庇護を受ける理由もない。いや、そもそも人としての会話が成り立つのかすら定かではない。
「……はぁ」
夜気に混じって、白い吐息が滲む。
祈るような気持ちで、小さく呟いた。
「この魔力が、今回の一件と無関係でありますように」
祈りの言葉を胸に仕舞い込むと、ブリジットは視線を町の一角へと移した。
──この異常の真偽を確かめるには、まずは情報を握っている老人に会わねばならない。
夜風を切って屋根を飛び移り、やがて彼女の影は町外れの商店へと向かっていった
リードルの町の一軒の商店。
気配を消した影は迷いなくその部屋へ辿り着き、扉を静かに叩く。
「どうぞ。鍵は掛けていないよ」
返事は、訪問を予期していたかのように自然だった。影――ブリジット・リストレアは扉を開け、恭しく名乗る。
「初めまして。わたくしはブリジット・リストレア。トムリトル――」
「結構。今の私はただの隠居老人だからね。……それに、初対面でもない。君は随分と立派になったようだ」
赤い瞳と温かな色合いの長髪。二十歳にして剣聖を思わせる気配を纏う長身の令嬢。
ブリジットの姿を見た老人は、柔らかな笑みを浮かべる。
「まさか君が来るとは。手紙は出したが、ブリジット君が直々に動くほどではなかったはずだが……」
「ええ、本来なら家の者を派遣するだけでよかったのです。ですが事情により、私が任を受けました」
リストレア伯爵家――表では名門、裏では王国の暗部を担う一族。その実子が出向く。その想定外の事態の重さに老人は息を呑んだ。
「……リストレア家の事情を、私なんかに話してよいのかね?」
「ええ、ご当主様から許可を得ております」
老人は胸を撫で下ろした。
「ならばこれは正式な相談、と受け取ろう」
「はい。その認識で相違ありません」
空気が張り詰める。
「――今回の中心人物、リタという少女をリストレア家で預かります。そのために、彼女を王立魔法学園へ導いてください」
「……未成年の魔力持ちを、他領の貴族が預かるのは王命で禁じられているはずだが」
この国の貴族なら誰もが知っている周知の事実。驚愕と共にそこから導き出した結論は一つ。
「……これは相談ではなく、命令だろう」
ブリジットは微笑み、老人は苦笑する。
次に切り出すべきは、もっと現実的で、彼女自身の疑念に近いことだ。
「……では、ここからは少し私個人の質問としてお聞きします」
ブリジットは声の調子をわずかに緩める。
老人はそれを敏感に察し、肩の力を抜いた。
「いいだろう、何でも聞いてくれて構わないよ」
柔らかな笑みを浮かべるトムリトルに、ブリジットは小さく頷く。
「この町を覆う異常な魔力……あなたも感知しておられますね」
「もちろん把握している。もはや、人の力ではどうしようもないところまで来てしまったようだ」
言葉を切った老人の眼差しは、どこか遠くを見ている。
その視線を受け止めながら、ブリジットは核心を問う。
「……それは、リタという少女が原因ではないのですか?」
一瞬、室内に沈黙が落ちる。
だが老人は、やがてゆっくりと首を横に振った。
「いいや、違う。彼女の魔力量は確かに多いが、魔法師としては平均よりやや多い程度でしかない。それと比べれば君や妹君のほうがずっと上だろう」
「……そう、ですか」
知らず安堵の息が漏れる。
最悪の場合、人と呼べぬものかもしれぬと考えていた。だが、それは杞憂だった。
「ありがとうございます。少し、肩の力が抜けました」
率直に言葉を返すと、トムリトルはにやりと口元を歪めた。
「礼を言うのはまだ早い。問題は、この魔力の正体だ。原因がリタちゃんでない以上、別の要因が町に潜んでいることになる」
「ええ。そこを明らかにせねばなりません」
視線が交わり、短い沈黙のあと、ブリジットは立ち上がった。
「本日のお話、感謝いたします。私は今後この町を調査し、怪しい者を粛清していきます。もし事が起きた際には──その時はご助力を願います」
「ふむ……それは“頼み”かね、それとも“命令”かな?」
問いかけは冗談めいていたが、瞳の奥には探る色が宿る。
ブリジットは小さく微笑み、頭を下げた。
「お願い、のつもりです」
「承知したよ。もっとも、君にそう言われれば命令と変わらんがね」
老人は苦笑し、肩をすくめる。
その様子にわずかに安堵を覚えつつ、ブリジットは部屋を後にした。
外の冷気が頬を撫で、夜の異常な空気を改めて感じさせる。
(やはり……この町の魔力の原因、調べなければならない)
そう胸中で繰り返しながら、彼女は夜の街路に姿を消した。
◇
十分な情報を得た後、ブリジットはすぐに実地調査を始めることにした。
リードルという町は、事前に調べていた情報通り、大きく二つの区画に分かれているようだった。区画ごとに治安や物流を意図的に管理しているらしい。
この町を設計した人間は、大雑把で大胆なのだろう。作り手の性格が色濃く反映された町は珍しい。
ブリジットは再度アリエスを飛ばし、情報を精査する。
護衛対象の少女・リタがいるのはここからほど近い、町の右側。
現在は宿屋に宿泊しており、領内の騎士団が警護している。あの使い魔が「この宿にいる」と伝えてくるので間違いないだろう。こちらはまだ手を出す必要はない。
問題は町の左側。治安の管理が意図的に緩められている区画だ。不自然な人の流れがあり、それなりの数の人間が徒党を組んで荷物を運んでいた。
商会が雇った運び屋のように見えなくもないが、身なりが悪すぎる。信用できない相手に荷物を頼む商人などいない。
そして荷物の出所は、大きな倉庫のような建物。そこから荷物を担ぎ、男たちは複数の拠点に分散して運搬しているようだ。
大きな倉庫の入り口では、数人の身なりの良い大人が行き先を指示している。
そしてその中に———黒髪の小さな子供がいた。
子供は大きめのローブに包まれ、フードを深く被って顔を隠している。その頭部の形からおそらく獣人だと思われる。
首元から垂れ風に靡く長い髪。露出した手足の小ささから、まだ子供であることがわかる。晒している肌は病的なまでに白く、次第にピリピリする様な危機感を覚えた。
その子供は積まれた木箱の上に座り、足をバタバタさせて働く男たちを見下ろしている。
暇そうに夜空を仰ぎ見て、透明になったアリエス越しに目線があった。
そして子供は、手をこちらへ向けて空を掴むようにぎゅっと閉じた。
「――ッ!」
頭の奥で、鈍く叩かれるような衝撃が走る。
一瞬にして視界が揺れ、呼吸が詰まりかけた。ブリジットは顔を抑え蹲るも、アリエスの感覚は戻らない。
異常事態だ――そう直感し、ブリジットはすぐにその場を離れ、建物の影に身を隠す。
既存の魔法で使い魔を傷つけることは不可能。物質として存在しないものを壊そうとするのと同じで、当てられない。
では、あれは何だったのか。
ふと、幼い頃の妹の言葉が頭をよぎった。
『お姉さま、もしこの子達を壊せる存在がいたら注意してください。特別な子以外では戦いにならないです、そのまま一目散に帰ってきてください』
ブリジットは建物の壁際に腰を落とし、荒い息を整える。
あの時の妹様の忠告が、今になって生きてくるなど思ってもみなかった。
「……特別な子、ね」
空を仰ぎみれば、あの使い魔の気配が伝わってくる。
あれは間違いなく特別な子だろう。
「明日、彼らの運んでいた荷物を調べる」
ブリジットは決意を固め、町の外で夜を明かしながら、調査の段取りを頭に組み上げていった。
翌朝、真冬の野営で体を伸ばし解す。任務では適度に緊張を緩めることも必要だ
リードルの町の正門へ向かう。
旅人の服装に着替え、偽の身分証と入場料を支払い、正規の手段で入場する。
門番から「町の左側の治安が悪くなっている」と親切な忠告を受けたので、情報料を包んでおいた。
昼の町は表向き賑やかだ。屋台や店舗に人が並び、衛兵も巡回している。
しかし細い路地や裏道は極端に人通りが少なく、人々が避けている様だった。
この町では不可思議なことばかり起こっている。少し調べる価値があると思い、行き先を変える。
ブリジットが路地の奥へ進もうとした時、後ろから声をかけられた。
「旅人さん、そっちに行くと危ないよ?」
振り返ると、茶色い毛並みの小柄な犬獣人の少女が立っていた。屈託のない笑顔でこちらを見上げている。
「……そうなのか?」
「うん、良くない人達がいるの。だから行かないほうがいいよ?」
「ありがとう、助かるわ」
ブリジットは警戒を崩さず、軽く微笑む。
「せっかくだし、ちょっと休憩しながら屋台で食べにいかない?」
自然な雑談を装い、軽い口調で問いかけながら少女の反応をじっと観察する。
「屋台? うん、行きたい!」
少女は嬉々としてブリジットの後に続く。まるで誘われるのを待っていたかのようだった。
道すがら、ぽつぽつと町のことを話し出した。ブリジットは視線を巡らせて周囲を警戒しつつ、その言葉を逃さぬよう耳を傾ける。
「人通りの少ない路地は、昼間でも危ない状態なのか?」
「うん。でもここなら大丈夫だよ」
屋台に着くと、ブリジットは軽く食べ物を選び、少女にも小さなスナックを渡す。
「はい、食べなさい」
「わぁ、ありがとう!」
他愛ない言葉を交わすうち、張り詰めていた肩の力がわずかに抜けた。
休息が終わると、少女と大通りで別れを告げる。
「ありがとう、気をつけてね」
「うん! 旅人のお姉さん、また会えるといいね!」
◇
ブリジットは再び任務に意識を戻し、町の左側に潜む謎の荷物と勢力の調査を再開する準備を整えた。
夜になるまで待ち、昨晩目をつけていた倉庫に向かう。人影のないことを確認し、門扉を押し開けて中へ入る。
「———ッ」
鼻腔を突き刺すような鮮血の臭いが鼻腔を刺す。
倉庫内には複数の死体と木箱の破片が散乱していた。生きている者はいない。
死体はまだ暖かく、流血している個体もあった。
ブリジットは慎重に死体を検分する。
争った形跡はなく、命は一瞬で奪われていた。後頭部から延髄にかけて、鋭く切断されている。
短刀、もしくはそれに準ずる刃物による傷だった。目的は荷物か。
木箱の中には髪飾りや織布が収められていたが、容赦なく破壊されていた。
それらは力を失った魔道具の可能性もあるが、私には誰かへの贈り物のようにも見えた。
残された手掛かりは少なく、襲撃者の情報は得られなかった。
これ以上調査を続けるのは危険と判断し、ブリジットは痕跡を消して撤収する。
今回の調査は空振りに終わった。だが胸の奥では久々に“手応え”を感じていた。
この先には、望む手掛かりが待っている予感がした。
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