第6話

「先の、思惑?」

 今まで真摯になってテレサに耳を傾けていたランが、背を伸ばした。


「分かんない? さっきルフ様の興味ある話題にあったでしょ」

 ベッドに寝そべりながらもしゃもしゃと、塩をまぶした豆を頬張る。


「双極内戦は、先の廃后の推す弟と、本来正嫡であるはずの兄の一派との骨肉の争い。そしてその事後処理に関心が向くとすれば、それが馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、いずれは己も避けられないと彼が考えているから。でも、ルフ様は先代オルド様が盛りも過ぎたあたりでようやく生まれた一粒種。対抗馬も兄弟なんていやしない。じゃあ、誰と争うつもりなのか」

「……待て」

「叔父のパオル」

 待たずに、テレサは答えた。


 ランは右の頬を引き攣らせた。

「後見人だぞ。お館様には、ご自分を立ててくれた借りがあるはずだ」

「先も言った通り、別に後押しなんかなくても、ルフ様はほぼ問題なく後釜に収まったはず。もしそこに悶着が生じるとすれば、年少を理由にパオル自身が当主代行になるとか言い出した時」

「だが、彼はそうしなかった」

「そう主張するには流石に無理があると思ったんでしょうね。だから逆に後押しする側に回り、その上で摂政待遇という、新政権内における立ち位置を確立した。まぁ本人に言わせりゃ、『こっちが大人しく身を引いてやったんだから、それ相応の権威が用意されて然るべき』ってとこかな?」

「だがそれだけで、親族を除こうだなんて考えるか?」


 ラン自身も木椀に酒を注ぎ、何か不味いものでも飲むように、チビチビと啜った。


「さぁ? でもアレ、私腹でも肥やしてるんじゃない?」

「おいおい、いきなり雑になったな……横領とはまた安直な」

「そう? むしろ彼の性格だと、やってない方がおかしいと思うけど」


 そう言って、ベッドの上で身体を捩らせた女司教は、壁に立てかけてあった算盤を弾いた。


「このレイキバは、香木と香辛料といった自然の富を商都にひさぐことで生計を立てている。で、その主な取引先は、南方の玄夕京ゲンユーキョー。その窓口はパオルになっている」

「あの方の領地が、ちょうどその中間だからな」

「んで、元値がこれだけだとしてぇ、船の都合、雇う人足の維持費がこれだけで……ん? そう言えばこの間の玄夕と緋森ヒノモリ家の戦ってどうなったんだっけ」

「よく知ってるな……数ヶ月の滞陣のあと矢留になったよ」

「じゃあその緩衝地の黒須海峡が交通が再会されてるから、往復の費用がざっとこんなもんで……あ、でも去年の収益が分からないな」

「ああ、それなら俺が分かる。だいたい、このぐらいだな」


 気づけばランもベッドに乗り上げ、顔を並べて玉を弾き合う。その音が、静かな夜半の部屋に小気味よく響いた。

 そして概算が表された時、杯を重ねていたテレサはふぅっと熱い息を漏らした。


「正確には分からないけど、儲けの三割は確実に、途中でどっかに吹き飛んでる」

「……驚きを通り越して、呆れた」

「まぁここまで露骨になったのは、新当主になってからでしょ。でなきゃ、その前に首が飛んでる」

「要するに、ナメ腐ってる」

 自分が若君を。


「ルフ様もさすがになんかおかしいと勘付いてるころでしょ。でも、証拠が掴めない。相手が相手だからおいそれと内偵も出来ない。討つだけの大義も得られない。結果。殿様の改革は滞る」

「……なら、どうする?」

「だから、それが最初の話に立ち返るんでしょうがよ」


 ペチペチと、青年の頬を軽く叩いてから、彼のその冷たさと、自身の頬の熱さに気がつく。だいぶ、酔いが回ってきた。


「今回の招聘を、あたかも親北政策へ転換する先触れのように見せかける。当然、そうなってしまえば玄夕京と繋がるパオルの権益は脅かされるから、それに焦った彼は、何かしらに動きを見せ始めるはず。その動きを掴むことさえ出来れば……もう相手は後見人の叔父じゃなく、うかうかと巣穴から頭を出した逆賊。大義名分のもとに堂々彼を討ち、その一派の利権を奪い取れば良いの。そこまで、ルフ様はお考えだと思うけど」

「……いや、いくらなんでも、そこまでは」

「正直、ただでさえ犬の顔なんて表情読めないのに、ムッツリしてるし口数の少ないルフ様のお考えなんて、実際のとこわかんないけどね。でも、有力な身内を、追い落とそうとするなら、この程度の策謀は練って然るべきじゃない。少なくとも、相手方は多分宣戦布告と受け取って」


 そう言いさした彼女の細い肩を、ランの大きな手が掴んだ。そのまま、毛布の上へと押し倒される。


「もし俺が」

 絞られた橙の瞳は、笑っているようにも起こっているようにも見えた。

「実はパオルの命を受けて、あんたを監視し、隙あらば殺すつもりだったとは考えなかったのか?」

「ありえないわね」

 上から互いの息が触れ合う距離、間近に迫るランに、まっすぐテレサは答えた。

「根拠は?」

「そもそもパオル側に、私を生かしておく理由がない。やるとしたら出迎えの時で、内々に処分している。で、何食わぬ顔で『そんなヤツは来ませんでした。おそらく来るのが嫌で逃げ出したんでしょう』と報告する」

「だったら、今心変わりして報酬目当てであんたを売ったら?」

 だったら、とか言っている時点でその仮定は破綻していると思うが。

「まぁその場合、売る相手はルフ様の方が良いね。彼としては、自分の企みに気づいた人間の口は、早々に塞がなくてはならない。もっともどちらにしても、次に口封じされるのはそれを知るラン君だけど」


 睦み合うが如く、しばらく熱を孕んだ目で互いを睨む。

 やがて、大義そうに息を吐いたランは、身を引いた。


「この状況で色気も可愛げもない……『貴方を信じてるから』とか、もうちょっと気の利いた言葉をくれよ」

「氏素性も分からない男を親鳥みたく無条件で信用するような、そんな頭砂糖菓子の人間じゃないんで」


 と言い放って頭がふらつく。

 頭や身体を揺さぶられたことで、酔いが一気に回ったらしい。

 背を敷物に預けたまま、そのまま寝てしまいそうだ。


「そのムッツリルフ様は」

 ぼやける視界の中で、身をもたげたランの背が問いかける。

「先生から見て、立派な殿様になれそうか?」

「さぁね。戦も強いし仕置きも公正ってんで、近隣諸国の評判は良いみたいだけど」

 あくび一つ打ち上げて、テレサは答えた。

「でも私の基準から見れば、迂闊に自分を出さないのは、『立派な殿様』。君主としての言動の重さをよく分かってる」

「……そうか」

「あー、けどもうちょっと愛想は良くして欲しいけどね。向こうはこっちを信頼してないから仕方ないけ、ど……」


 いよいよ本格的な睡魔の波が、彼女を襲う。

 男の前で、一端の子女が無作法、不用心。それは分かっているが、半端に切り上げられるのではなく、思う様に弁と智を揮えたのだ。充足感と疲労感が、四肢の先にまで満ちる。


「……俺は、先生が来てくれて良かったと思ったよ」

 夢現の狭間に在るテレサの姿勢を直し、毛布をかけつつ、ランは言った。

 ややあって、その朧げな影が首を振った。

「いや、その言い方は正確じゃないな……あんたが敵じゃなくて良かった。心の底からそう思うよ」

 そして残った舌馴れぬであろう血の色の酒を、一気に呷った。


「しかし……酔った状態でこの冴えか……おっかない女だ」

 完全に眠りに落ちる前に聞いた最後の言葉は、嘆きにも似ていた。

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