第8章 正常 前編

 冷たくてザララザラしたもの。


 それを感じて、綿貫は意識を取り戻した。

 まだまだ頭がボーッとしているけど、重い瞼を開ける。


 すると――



 ヶケッ



 視界が、ペットの顔で覆われていた。

 ザラザラしたものは、ペットの舌の感触だった。

 ご主人を心配して舐めているのだろう。



「ぁ……」



 少しずつ、意識が覚醒していく。

 ぼんやりとした思考が回りだして、重い体を起こしていく。



(ここは俺の部屋か)



 一瞬、なんで自分の部屋にいるのかが疑問だった。

 だけど、徐々に記憶を思い出していく。



「あれ、確か乙葉さんが部屋に来て……」



 その後――

 その後、何かがあったはずだ。


 もう少しで思い出せそうになる。


 だが、その直前で目撃してしまう。



 乙葉の死体。



 一気に、記憶が、衝撃が、復活する。



 畳についた血が赤黒く凝固していることから、かなりの時間気絶していたのだろう。


 部屋中に充満した鉄くさい匂いが、鼻腔びくうにへばりついてくる。

 でも、綿貫はそれが全く気にならなかった。

 それどころか『死体がそばにいること』にすら不快感をおぼえていない。


 むしろ、感動すら湧き上がってきている。


 だがしかし、同時に気持ち悪さも感じている。

 この状況に対してではなく、化け物じみた自分自身に対して、だ。



(俺はいつから、こう・・だった?)



 昔は正常な人間だったはずだ。

 まともな感性を持って生まれて、清く正しく生きてきたはずだ。


 綿貫の両親はまともではなかった。

 ギャンブル狂いの父親に、ヒステリックでDVを繰り返す母親。

 それでも必死に生きて、大人になって家を抜け出し、一人暮らしを始めた。

 そして、同居していた婚約者に結婚資金を持ち逃げされて、

 

 今は流れ着いた老人介護施設で働いている。


 決して順風満帆な人生ではない。


 だけど『死体を、人のはらわたをキレイに思うような』人生ではなかった。



(いや、本当にそうなのか……?)



 経歴は思い出せるのに、細かい記憶を思い出そうとすると、霧がかかってしまう。

 


 考えれば考えるほど、思考が絡まっていき、まとまらなくなっていく。

 


(俺は、一体なんなんだ……?)



 ふと、老人に言われた言葉がフラッシュバックする。



『おめえがにんげんなわけねえべ』



 相手はボケた老人だった。

 だがしかし、れっきとした人間だ。


 飯を食べて、糞尿をして、少しボケている。

 

 そんな、普通の老人に言われたのだ。



(俺と、あいつと、どっちが正しいんだ)



 悩んでいると、無意識にペットの頭を撫でてしまう。



 ヶケッ



 上機嫌そうな鳴き声を聞いて、ペットの姿をじっと見る。


 2メートルの巨躯に、大きすぎる頭部。

 毛の代わりに鋭い鱗が生えている。

 ついでに巨大なペニスも。


 そんな、愛おしい猫野郎。



(いや、本当に猫なのか? こいつは)

 


 綿貫は、自分が信じられなくなってきていた。

 自分が見ているもの、聞いているもの、覚えているもの、それらすべては偽物なのでは、と思えてしまう。


 だから、訊きたくなってしまった。


 

「なあ、お前が乙葉を殺したんじゃないよな?」



■■■■■■■■■■■■■

■ヶケッ■ヶケッ■ヶケッ■■

■■■■■■■■■■■■■



 ペットは必死に頭を横に振った。

 涙を流して『自分じゃない』と必死に訴えている。


 その姿があまりにも健気で、綿貫の心が温まっていく。 



「そうだよな。お前はそんなことはしないよな」



 その後、なんともなしに口走る。



「俺がやったわけでもないよな」



■■■■■■■■■

■■■ヶケッ■■■

■■■■■■■■■



 ペットは強く頷いてくれた。

 それだけで、強く勇気づけられて、気力がみなぎってくる。


 でも、そうなると新たな疑問が湧いてくる。



「じゃあ、一体だれが、なんのために乙葉を殺したんだ」



 もう考えるのは面倒だった。

 考えれば考えるほど、頭が痛くなってきて、

 さっさと答えが欲しかった。


 でも答えは、霧がかかった記憶の中にしかないだろう。

 自分自身で思い出すしかない。


 いや――



(あいつなら……)



 施設長は、この惨劇を予言するようなことを言っていた。


 彼なら、答えとまで言わなくても、ヒントのような何かは知っているかもしれない。


 綿貫はすがるような気持ちで立ち上がるのだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

お察しかと思いますが、次回から急展開の予定です


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