第11話 録音された会話

 翌朝、朝食後に正一が早速部屋を訪ねてきた。座布団を用意し向かい合って座る。正一が話し出す前にまずは大輔が恵美子から聞いた話を伝えた。恵美子が啓一と巳八子の関係を疑っていること、そのことを美穂に相談していたこと、そして啓一に仕掛けたICレコーダーが美穂の手に渡ったこと。正一は黙って聞いている。一通り聞き終えると正一はしばらく目を閉じ何かを考えているようだったが、やがて目を開き大輔を見やった。

「大輔さん、どうも僕が追っている案件と、美穂さんの身に起こっていることはどこかでつながっているような気がします。やはり大輔さんと一緒に行動するのは正解だったようです」

 いつからだろうか、正一は大輔に対しては一切どもることがなくなっていた。そして、それは大輔にとってうれしいことだった。

「思った通り龍久寺の蔵に火之木国風土記の写本が残っていました」

 正一が興奮気味に口を開いた。

「これです」

 正一はそう言うと、持参したアイパッドを大輔の前に差し出した。風土記の全文を撮影したらしく、ディスプレイ一面に墨書きの崩し文字がならんでいる。大輔には全く読めない書体だった。

「室町時代の写本に間違いありません。僕は大学で古文書の解読を学びましたので、一通り読んでみました。ここには古出雲族、いや、輝龍家の盛衰の物語が記されていました」

 正一が風土記に記された内容を語り始めた。それは気の遠くなるほどの時をさかのぼった、輝龍家を襲った痛ましい物語だった。


 伯耆一帯に火之木国が栄えていたのは、まだ日本列島に統一王国が存在せず数十の小国が乱立している時代だった。その中でも火之木国はたたら製鉄技術による強大な武力と高度な文化を持つ有力国だった。鉄製農具を使った開墾で豊かに収穫されるコメにより飢えるものはなく、兵士は最新の鉄器と鎧で身を固めていた。特に火之木国で作られる刀剣は固くて折れないと評判だった。大陸との交易にも力を入れ、大国であった魏にもしばしば朝貢の使者を送っている。火之木国を統治していた輝龍一族は山間の美しい湖に浮かぶ島に館を設け、そこから領国の統治経営をしていた。強大な武力を保持していたにもかかわらず一族に領土拡張の野心はなく、あくまで山陰の地にとどまり他国とは緩やかな連合関係を築いていた。

 しかしやがて隣国の中に覇権に対する強い野心を持つ国が現れた。大和族だ。大和族は女王が国を統治し、その弟が軍事面を統率していた。弟は須佐之男と呼ばれていた。須佐之男は周辺国に攻め入り、残虐の限りを尽くして幾つもの国を滅ぼしていく。やがて山陰地方に攻め入り火之木国と対峙することになる。輝龍一族は鉄の武具に身を固めた勇猛な精鋭部隊を派遣して、青銅器で武装した須佐之男の軍隊をことごとく退けた。そして須佐之男は捕らえられ、湖に浮かぶ輝龍一族の館に連れてこられる。懸命に命乞いをする須佐之男を哀れに思い、結局、輝龍の当主は須佐之男を殺すことを思いとどまる。須佐之男は命が助かったことを歓喜し、大和族と火之木国との和平を約束し国へ帰っていった。

 翌年、須佐之男は数人の兵士を従え、和平協定を締結するために再び湖の輝龍一族の館を訪問する。今後、大和族はこれ以上他国に攻め入ることなく、火之木国を含め諸国と友好関係を結ぶという内容だ。野蛮だった大和族が平和路線に舵を切ったことを輝龍家の人々は心から喜んで祝福した。須佐之男たちは武具をおいて輝龍の館に上がり、無事に協定を締結する。そしてその晩、館で平和を祝う宴が催された。火之木国の豊かな農産物に加え、須佐之男が国から持参した名酒が一同にふるまわれる。しかし須佐之男とその側近兵士たちは飲むふりだけをして実際には酒に口をつけなかった。やがて輝龍家の人々の体が麻痺し始め、バタバタと床に倒れ始めた。須佐之男は輝龍家の人々が脇に携えていた刀剣を奪い取り、床に倒れて苦しむ輝龍家の人々に容赦なく切りかかった。酒に仕込まれた毒のせいで身動きできない輝龍家の人々はことごとく惨殺される。その数は輝龍家の当主とその皇子たちの計八人。更に須佐之男は輝龍家の祭壇に祀られていた神剣を奪い取った。それは代々輝龍家に伝わる、統治者としての正統性を表すレガリアだった。そして館は火を放たれ燃え落ちる。天を焦がす炎は三日三晩燃え続け、須佐之男たちが剣の血を洗った湖は赤く染まった。

 逃げ惑う女たちの中に、巳八比売みやひめという当主の若い新妻がいた。巳八比売は幼子を抱えると、侍女たちを連れて大蛇の胎内に逃げ込み命拾いをする。やがて須佐之男たちが去ったことを確認すると、巳八比売は無残に命を絶たれた輝龍一族八人の霊を慰めるために館の跡地に尾呂血神社を建立した。これが尾呂血神社の起源である。

 須佐之男は奪った神剣を姉に献上すると再び火之木国に戻り、宍道湖の畔に城を建立する。そして新しい領主として君臨した。

 輝龍家滅亡の翌年、天は輝龍家の哀れな末路を悼み、怒りと悲しみからそのお姿をお隠しになった。


 正一の語る壮大な物語を聞きながら大輔は古に思いを馳せ、かつて神島にそびえたっていた壮麗な館を思い浮かべていた。そこで暮らしていた平和な人々のことを想った。そして昨日坑道の中でみた不思議な夢を思い返した。大蛇の胎内とはあの坑道のことなのだろう。あれは巳八比売だったのだろうか。激しく泣き続ける赤子の声が再び脳裏に響く。

「以上が風土記に記されていた概要です。最後の部分に天がその姿を隠したとありますが、これは恐らくは皆既日食のことだと思います。当時の人々にとって日食は、まさに天がお隠れになったと思うほどの恐ろしい事件だったのでしょう。須佐之男の姉である天照大御神が天の岩戸に隠れたという神話もここから生まれたはずです。今では天文計算をすることにより、古代の皆既日食の日時を正確に特定することができます。西暦二四七年三月二十四日です。尾呂血神社の創建は三世紀半ばと言われてますが、それとも合致します」

 正一は大輔が話の内容を消化できるよう、そこで一息ついた。大輔の頭の中では霧深い尾呂血湖に浮かぶ、古代と現代の神島の姿が交錯していた。

「それでは八津神様とは」

「惨殺された輝龍家当主と七人の皇子のことでしょう。大和族側、つまり勝者の史書では八岐大蛇という醜い怪物として葬り去られてしまった八人です。輝龍家の人々は大和族の血筋とは異なるため、同じ人間としては扱われなかったはずです。恐らく何の供養もされず、八人の亡骸はそのまま神島に放置されたのでしょう。だから、残された巳八比売が彼らを供養しなければならなかったのです」

 正一の瞳には、今まで見せたことのない激しい憤りが浮かび上がっていた。

「古事記には出雲大社の創建は第十一代垂仁天皇の時代と記されています。最新の研究では垂仁天皇は実在が認められる最初の天皇と位置付けられており、その治世は四世紀前半と推定されています。つまり出雲大社の創建は四世紀前半と推定されます。それは須佐之男が輝龍一族を滅ぼし出雲地方の新しい領主となってから約百年後、当時は若くして子供を儲けますからちょうど須佐之男から数えて六、七代後のことです。記紀でも国譲りをした大国主命は須佐之男の六世から七世の孫とありますが、やはり国譲り神話は大和族同士の争いを表しているにすぎません。須佐之男命の子孫の大国主命は恐らく大和族の本家と敵対して葬り去られたのでしょう。それでも同じ大和族の血筋をひいていたがために、本家は出雲大社を創建して大国主命を手厚く祀ったのです。しかし、大和族の血筋を引いていない輝龍家の場合は違います。大和族は彼らをただの怪物として歴史の彼方に葬り去ろうとしたのです」

 巳八比売から数えて輝龍巳八子まで八十四代。気の遠くなる歳月だ。しかし、どこまで信じてよいのだろう。

「正一君、その風土記に記されていることは、どこまで信ぴょう性があるのだろうか。何分、内容があまりに突飛なもので。そもそも一つの家系で八十四代も宮司職が継承されるなんてあり得るのかな」

 正一は大輔の疑問に理解を示し、大きく頷いた。

「長く一族で宮司職が継承されている例は他にもあります。例えば平成二十六年に高円宮憲仁親王の次女典子様とご結婚された千家国麿氏は、代々出雲大社の宮司を務めてきた千家家の第八十五代です」

 そこで正一は一呼吸置いた。

「古代の輝龍家と須佐之男との逸話に関しては何とも言えません。唯一の手掛かりとなるこの風土記はずっと歴史研究の本流から排除されてきました。ただ、」

「ただ?」

「尾呂血神社の本殿の中に、風土記の信ぴょう性を裏付ける何かが隠されているような気がするのです。彼らが八十四代にわたり頑なに守り続けてきた何かが。しかし令状がなければ本殿の開示を要求することはできないでしょう」

「風土記に書かれていることが事実だとすると、天叢雲剣は元々輝龍一族のものだったということになるわけか。つまり秀全は剣を奪ったのではなく、単に一族の神剣を取り戻しただけということ」

 正一は頷くと、ふと何かを思い出したように懐を探った。そして一枚の古い封筒を取り出し、大輔の前に置いた。黄ばんだ封筒の表には達筆な筆文字で宛名が記されている。そこには、龍久寺慈雲様、とあった。消印は平成十一年、二十年以上前に投函された手紙だ。そっと封筒に手を伸ばして裏面を見る。差出人名は輝龍清子。顔を上げて正一を見た。

「大輔さんの言った通り龍久寺では数年前まで慈雲が、いや、清子の弟の新吉が住職を務めていました。実は風土記の写本が保管されていた櫃の中でこの手紙を発見したのです。恐らく新吉が人目に触れないように隠しておいたのでしょう。読んでみてもらえますか」

 正一が意味ありげな瞳で大輔を見上げた。大輔は封筒から中身をそっと取り出した。変色した便せんを広げるとかすかなカビ臭が鼻をついた。そこには清子の達筆な筆文字が並んでいた。


 新吉へ、

 随分と寒くなってきたけど、お寺ではちゃんと暖かくしていますか。お前が住職になったと聞いて一安心しました。今まで随分と辛い人生を送ってきたのだから、これからはどうか平穏に過ごしていけることを祈っています。

 私は持病が悪化して、最近は一日中床で過ごすことが増えてきました。今年の寒さは今まで以上に体に堪えるようです。正直、この冬を乗り越えることができるかどうかわかりません。最後にお前に一目会いたいと思いますが、秀全がここにいる限りそれもままならないことでしょう。

 私は旅発つ前に、ずっと一人で心に抱えていた重荷をお前に是非聞いてもらいたい、そんな思いで筆をとりました。お前には迷惑かもしれないが、姉さんの最期のわがままだと思って聞いてください。

 あれは今から十七年ほど前のこと、一人息子の秀胤は既に二十七になっていましたが秀全は未だに秀胤を正式な跡取りとは認めていませんでした。気性の激しい秀全は秀胤の優しい穏やかな性格が気に入らなかったのでしょう。そんな矢先、秀全がある女を手籠めにしてしまったのです。夫を山の事故で亡くした葦原千代という女です。幼子を抱えた千代が生活に困窮しているのを良いことに、秀全は千代を分社住み込みの雑務係として雇い始めました。しかし実際は分社の社務所で千代に手を出していたのです。やがて千代は身籠り女の子を出産します。しかし父親の名を公にすることができず、悩んでいたのでしょう。何せ、相手は輝龍家の当主です。誰も信じてはくれまい。村人からはどこの誰ともわからぬ子を産んだふしだらな女だと思われるだけです。千代は悩んだ挙句、出産したばかりの赤子を連れて重男に舟を出させて神島に渡ってきました。そして参道に赤子を寝かせると自分は毒を飲んで命を絶ったのです。翌朝、私と秀全が参道で千代の亡骸を発見した時、隣では赤子が元気よく泣いていました。後で重男にその時のことを問いただしても、あの男は一切口を開かなかったので詳細は分かりません。秀全は千代の遺骸を湖に流すと、その赤子を引き取ることを思いつきました。そして尾呂血神社を創建した巳八比売にちなんで、その子を巳八子と命名したのです。巳八子は神島に産み落とされた神の子として育てられます。秀全は秀胤に代わって巳八子を自分の跡取りとすべく、幼い時から巳八子に輝龍家の全てを叩き込みました。一族の歴史、思想、心構え、村人の前での振舞い方、全てです。巳八子は賢い子で飲み込みが早く、今はまだ十六ですが既に村人の尊敬を集めています。将来は秀全の目にかなった立派な跡取りとなることでしょう。一方、可哀そうな秀胤は結局、分社に追いやられてしまいました。

 私は秀全の裏切り、我が息子秀胤に対する仕打ち、そして我が弟に対する蛮行、その全てを許すことができません。せめてあの世に行く前に、お前には姉さんのこの悔しい胸の内を知っておいてもらいたいと思い、この手紙を認めました。

 すべてを吐き出して、少し気持ちが楽になりました。お前のお陰です。姉さんはもう手紙を書くことはできないと思いますが、どうかいつまでも達者で。

 清子


 顔を上げると正一と目が合った。正一がゆっくりと頷いた。

「ということは、巳八子と啓一はともに千代の血をひく異父兄妹ということか。本人たちはそのことを知っているのだろうか」

「分かりません」

 正一が首を横に振った時、胸元の携帯が鳴り響いた。正一は携帯を取り出すと、しばらく耳に当てたまま何度か頷いていたかと思うと、やがておもむろに携帯を切って大輔を見やった。

「稗田宗子の米子医科大学時代の指導教授、蛭田伊織医師に関しての情報でした。学会を除名された理由がようやく分かりました」

 大輔を見つめる正一の瞳は哀しげな色に沈んでいる。

「蛭田は学会で禁止されていたロボトミー手術を行っていたのです」

「ロボトミー手術?」

 全く聞いたことのない言葉だった。

「まだ向精神薬などの内服治療薬が開発される前の時代に、精神疾患の治療法として主流だった医療行為のことです」

「精神疾患の治療に手術をするって、一体どういうこと?」

「大輔さんが驚くのは無理もありませんが、かつては精神外科という医療領域があったのです。精神の疾患により暴力的になったりエキセントリックな問題行動に走る患者を外科的な手法で治療するというものです。具体的には眼窩上部にメスを入れて前頭前野と周囲の皮質との連絡繊維を切断してしまうというものです。これにより患者の過激行動を抑えることができると当時は信じられていました。

 元々はポルトガルの神経科医のモリスが一九三五年に初めて行った手術で、その後モリスはその功績を認められ一九四九年にはノーベル生理学医学賞を授与されています。以後この手術は米国で急速に広まり、四万人以上の患者がロボトミー手術を施術されています。有名なところではケネディ大統領の妹のローズマリー・ケネディも二十三歳の時に父の命によりこの手術を受けさせられています。

 しかしやがてロボトミー手術の副作用の大きさが社会問題となっていきます。前頭前野を他の皮質と切り離してしまうと、患者は極度に無気力になったり感情が乏しくなったりと人間らしさが失われてしまうのです。術後の多くの患者が変り果ててしまった自分の人格に絶望して自殺したり、手術をした医師に対して恨みを抱いたりするようになりました。モリスもその後、自分が施術した患者の一人に銃撃されて半身不随となっています。結局、世界各地でロボトミー手術は禁忌とされ廃止されていきます。

 ロボトミー手術は日本でも一九四三年から各地で行われてきました。当時、蛭田教授はロボトミー手術の第一人者で、米子医科大学で積極的な研究を行っていたそうです。稗田が蛭田のもとで学んでいたのもこの頃のことです。結局、一九七五年に日本精神神経学会はロボトミー手術を否定する決議をします。しかし蛭田はその後もロボトミー手術を行っていたことが発覚し、除名されたのです」

 突然、階下から静香の泣き声が聞こえてきた。続いて女将の叱責する声。この時間、静香は学校に行っているはずだが、何故今頃家にいるのだろうか。静香の泣き声は一向に収まる気配を見せず、それに呼応するように女将の叱責の声も激しくなっていく。   

 大輔はその騒ぎをしばらく聞き流していたが、やがて静香の泣き声が尋常でないほど激しくなったため心配になり、様子を窺うためにそっと階段を下りていった。居間では顔をくしゃくしゃに崩して泣き続ける静香を、仁王立ち姿の女将が上から睨みつけていた。

「お前はどうしてそんな嘘をつくんじゃ」

 女将が怒気を含んだ声を発した。

「静香、嘘なんかついていないもん」

 静香が泣きながら言葉にならない声を発する。赤いジャージの胸のあたりに涙の濡れあとが広がっている。

「ありもしないものを友達に自慢するなんて、恥ずかしいったらないよ、まったく」

「嘘じゃないもん」

「まだそんなことを言うのか、お前は何て強情な子なんだろうね」

 女将が呆れたような声を出す。

「この村では嘘つきなんていう評判がたつものなら、どんな目に遭うか分からないのじゃ。わしらまでとばっちりを食うんだからね」

 嗚咽する静香を女将が睨みつけた。

 大輔は見ていられなくなり、思わず口を挟んだ。

「女将さん、一体どうしたんですか」

 女将は大輔を振り返ると、吐き捨てるように呟いた。

「どうもこうもない。友達に嘘をついたのにそれを認めず、挙句の果てにクラスの子たちと喧嘩をしたらしいのじゃ。先生から連絡を受けて、わしが急遽静香を引き取りに行ったのじゃ。今日は早退させた方がいいと先生に言われて」

「静香、嘘なんかついていないもん」

 静香は涙で赤くはれた瞳を大輔に向けた。

「お前はまだそんなことを言うのかい」

 女将が静香の頬を叩いた。静香が再び大声で泣き始める。

「女将さん、ちょっと待ってください」

 大輔は右手で女将を制しながら、ひざまずいておさげ髪の少女に話しかけた。

「一体友達に何を言ったんだい?何を自慢したかったのかな?」

 優しげな大輔の声に安心したのか、しばらくすると静香はようやく泣き止んだ。そして訴えるような瞳で大輔を見上げた。

「NiziUのキーホルダー」

「静香はNiziUのキーホルダーを持っているのかい?」

 静香がコクリと頷いた。

「お前はまだそんな嘘をつくのか。わしも息子夫婦もお前にそんなものを買ってやった覚えはない。持っているとしたら泥棒じゃ」

 大輔は女将を遮り、静香の両肩に手を乗せた。

「友達にそれを自慢したかったんだね?」

 静香は目を逸らすと、小さく頷いた。

「それはどこにあるの?」

 静香はしばらく躊躇している様子だったが、やがて肩から掛けているサコッシュを指さした。

「見せてもらえるかな?」

 静香がおさげ髪を揺らしながら首を横に振った。

「だめ。絶対に人に見せちゃいけないって約束したから」

 静香が赤くはれた瞳を大輔に向ける。

「誰と?」

「美穂姉ちゃん」

 意外な名前を耳にし、思わず後ろを振り返る。部屋の入り口で佇む正一と目が合った。

「美穂からNiziUのキーホルダーをもらったんだね?」

 静香がコクリと頷いた。

「静香ちゃん、キーホルダーに何かついていなかったかい?」

 静香が再び頷いた。いつの間にか正一が大輔の隣に来ていた。

「NiziUのキーホルダーは静香ちゃんのものだよ。美穂さんからもらったのだから大事にしてあげてね。でも、そのキーホルダーについているものは、美穂さんにとってとても大切なものなんだ。美穂さんをひどい目に合わせた悪い奴を捕まえる手掛かりになるかもしれない。美穂さんの為にも、僕たちにそれを見せてくれないかな?」

 正一は大人と話すよりはるかに自然に静香に話しかけた。静香は俯いてしばらく考えているようだったが、やがて唇を一文字に結ぶとサコッシュの中にその小さな手を入れ、きらきらと光るものを取り出した。ラメで飾られた透明なプラスティックプレートの中で華やかな衣装を纏った九人の若い女性が微笑んでいる。NiziUのキーホルダーだ。そしてその先に銀色のスティック状の小さな物体がぶら下がっている。ようやく探していたものが見つかった。


 正一の部屋でICレコーダーを再生することにした。アイパッドを衛星ルーターに接続し、銀色のスティックと繋げる。すぐにディスプレイにグーグルの地図が現れた。それは湖を取り囲むように広がる卑埜忌村の地図だった。やがてガサガサと雑音の混ざった音と共に地図上の点滅するドットが動き始める。案の定ドットは湖畔から一旦ススキ原に向かうとそこから再び湖に向かい、そのまま湖を横切って神島に辿り着いた。坑道を通ったのだろう。やがて神島の中心でドットは動かなくなり、同時に人の声が流れてきた。巳八子と啓一の声だ。意外にも巳八子の声は先日耳にした無機的なものとは異なり、生身の女性の温かいトーンを帯びていた。しばらくたわいない会話を聞き流すと、やがて核心部分が流れてきた。

「先日の大雨で二本松の根元の土が流れてしまいました」

 巳八子の声だ。

「秀全の遺体が露出してしまったら面倒なことになるな。神隠しに遭ったことになっているのだから。早速埋め戻しておかないと」

 啓一の声が続いた。

「わたし、今でもあの時のことを夢に見るのです。恐ろしい夢です」

「忘れてしまいなさい。秀全は殺されて当然の男だ。僕は今でも秀全を殺したことを全く後悔はしていない。あいつの唯一の功績は、大和の奴らから剣を取り戻したことくらいだ」

「でも、父は輝龍家の当主です。その父を殺めてしまったことを、八津神様はお許しになってくれるでしょうか」

「大丈夫だ。何も心配はいらない。巳八子には僕がついている。僕はこれからもずっと、巳八子のことだけを考えて生きていくつもりだ。僕には妻がいるが、お前もよく分かっている通り僕の心は常にお前と一緒だ」

 会話はそこで終わり、その後は再び雑音だけが続いた。


 最初に口を開いたのは大輔だった。

「やはり秀全が剣を奪った。そしてその秀全は啓一に殺され、神島に埋められているということか」

「美穂さんはこの録音を聞き、GPSを手掛かりに坑道の存在を発見した。そして二本松に秀全の遺体を確認しに行ったのでしょう」

 好奇心旺盛な美穂ならやりかねない。十七年前に神隠しに遭ったことになっている村の功労者、秀全が実は殺されて神島に埋められているとは。公になったら村中をひっくり返すような大騒ぎになるはずだ。確かに、とんでもない事実を探り当ててしまったわけだ。

「そしてその時二本松で、誰かに遭遇してしまったのだとしたら」

 正一のその言葉に、大輔の体はブルブルと震えた。美穂、どうか無事でいてくれ。

「このICレコーダーは証拠品として押収させてください。これで正式な令状を取ることができるでしょう」

「しかし、何故啓一は秀全を殺す必要があったのだろうか」

 正一は窓の外に視線を移してしばらく沈黙した。沖の神島は今日も深い霧の中だ。正一は視線をそのままに、ぼそっと小さく呟いた。

「もうすぐ、全てが明らかになるはずです」

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