#20 捨て子の真相

 ――ナキと別れた日。その日は俺はいつものように入水して彼女に会いに行く事は無かった。

 どんな顔をして会えばいいのか分からなかった。

 ただ、ボロ小屋に敷かれた薄く硬い布団に入って眠り、そして夢を見た。


 ――空間さんとお別れして、おうちへと帰ったわたしは、疲れ切ってすぐに眠ってしまいました。

 タテシマ様がお力を使った後は、わたしもとても眠くなります。

 クラゲさんの柔らかな傘の上を布団として、その穏やかな揺れに身を任せていれば、すぐに意識は落ちて行きます。

 そして、わたしは夢を見ました。


 

 ――村。豊かで、満たされた村。

 ワタシはその村を自愛の眼で見守っていた。

 村人たちはワタシへ感謝を捧げ、年に一度祭りを開いていた。

 

 ワタシは民へと恵みを与え、民はワタシへと信仰を返す。

 そういった互いに支え合う事で、村は成り立っていた。

 きっとこの村は、穏やかに流れ行く時の流れに乗って、悠久の時間そこに在り続けるのだろう。

 

 そう思われていた。しかし、そうはならなかった。

 勿論民はワタシへの信仰を忘れなかった。感謝を忘れなかった。ワタシも民への寵愛を欠かさなかった。

 それでも、“外から来た者”の手によって、その悠久の平穏は、その流れの先に在ったであろう繁栄は、脆くも崩れ去った。


 ワタシは、戦った。

 その外から来訪した“簒奪者”と、戦った。

 しかし、ワタシは敗北した。

 

 彼の者は、ワタシを横へ横へと広がる無限にも等しい暗闇の空間へと沈めた。ワタシを縛った。

 ワタシはその無限の牢獄から離れられぬという“呪い”を受けたのだ。


 簒奪者に屈し、村を追われ、呪いに縛られ――まさに四肢を捥がれたに等しいワタシは、その暗闇の空間で赤子の様に震えていた。

 海の底で、泣いていた。震えていた。ただ無様に丸まって、無為な時間を過ごした。

 小さな、小さな、細くて長い身体を丸めて、たった独り。


 ワタシの村はどうなっただろうか。民はどうなっただろうか。

 そんな考えが時折過るも、もはやどうする事も出来なかった。


 それから、どれ程の時間が経っただろうか。

 孤独な暗闇の世界に、一つの小さな輝く星が――。

 


 ――ボロ小屋に吹く隙間風のガタガタという音で、目を覚ました。

 ナキは祭りの楽しい思い出だけを胸の内に残して、海へと帰って行った。

 俺はそれを見送ることしか出来なかった。

 無事にあの深海の世界へと帰り着く事は出来ただろうか。――まあ、彼女の内にはタテシマ様も居る、大丈夫だろう。


 そうだ、タテシマ様。――俺は、夢で見た光景を思い出す。

 ワタシは――貴方は、タテシマ様?

 どうしてそんな夢を見たのか、分からない。

 何故“ワタシ”がそんな夢を見せたのか、分からない。

 

 俺に何かを伝えたかった? 何かをさせたかった?

 いや、違う。重要なのはそんな事じゃない。


 俺は――どうする? どうしたい?


 ナキにこのまま会いに行っても、駄目だ。

 ただ慰めとして共に時を過ごす事しか出来るだろうが、それでは何も解決はしない。

 そもそも俺の勝手な願いで祭りに連れ出して、一歩間違えばあのまま彼女は液状化が悪化して消えてしまっていたかもしれないのだ。合わせる顔も無かろう。


 それでも、俺の脳裏には彼女の儚げな姿が浮かんでくる。

 白銀色の長い髪、深海と同じ深い紺の瞳、髪色と同じ白い着物姿。

 そして、俺の心を掴んで離さない美しい歌声。

 

 俺は――助けたい。彼女を、ナキを助けたい。

 あの“海から離れられないという呪い”を解き、救ってやりたい。

 ああ、そうだ。やりたい事は決まった。最初から決まっていた。

 

 それにきっと、“ワタシ”の思惑も同じ所にあるはずだ。過保護で子煩悩な、父親の様な神様なのだから。

 陰ながら、見守っていてくれ。

 


 支度を整えて、俺はボロ小屋を出てジュウオウ村へと向かった。

 祭りの行われた神殿を尻目に、林を抜けて、その先へ。

 目指すはその奥の、村の外れ。そこにある一軒の家だ。


「すみません」


 彼女はそこに居た。同じ様に軒先に腰かけて、のんびりと緩慢な動作で内職作業をしている。

 俺が声をかければ、作業の手を止めて一拍置いた後に、ゆっくりと顔を上げた。


「ああ、お前さんかい。きっと、また来ると思っていたよ」

「こんにちは、シグレさん。お話を聞きたいと、思って」

「ああ、そうだろう。この間はすまなかったねえ」

「いいえ。こちらこそ、驚かせてしまって。――ナキさんを連れ出したのは、俺なんです」


 俺がナキの名を出せば、シグレはぴくりと反応を示し、ほんの僅かな間動きを止める。

 しかしそれも一瞬の事で、すぐに小さく息を吐いて、言葉を続けた。


「ナキ――あの子は、どうしているんだい?」

「ナキさんは、海の底でずっと暮らしています。ずっとです。神様に命を助けられ、ずっと――」

「神様……それは、まさかヨコシマ様かい?」

「いいえ。この村の神では有りません。タテシマ様という神様らしいです。今はナキさんの内に、住まわれています」


 シグレは考え込む様に言葉を噤む。暫くの静寂。

 俺は――問わねばならない。シグレへと問い、話を聞き、全てを知らねばならない。

 ナキを呪いから救うのだ。


 俺は口を開き、静寂を打ち破る。


「最初に、確認せてください。あなたが、ナキさんの母親ですね」

「ああ。間違いないよ。最後に会ったのはほんの小さな赤子の頃だったけれど、それでも分かる。あの子は、私の娘だ」


 シグレは懐かし気に、そして寂しげに遠くを見つめながら、そう言った。

 そして最後にぽつりと呟く様に、


「ああ。本当に大きくなったね……」


 その言葉はこの場に居ないナキへと向けられたものだろう。

 消してナキの前では見せなかった、母親の顔だった。

 

「……教えてください。ナキさんの事を、あなたたち親子の事を」

 

 シグレは語る。彼女の、彼女たちの過去を。


「この村の決まり事については、前にも話しただろう」

「えっと、土産物の件ですか?」

「そちらではない。村の外の者にとっての決まり事ではなく、もう一つの方。内の者にとっての決まり事だよ」


 この村の決まり事。

 俺がこの世界へ、この村へ来て、老婆に出会い、最初に聞いた話だ。


 一つ目、外の者にとっての決まり事――土産物。

 土産物を持参する事で、余所者は客人として扱われる。


 そして、もう一つ――、


「――ああ。“姦淫の禁止”、ですね」


 二つ目、内の者にとっての決まり事――“姦淫の禁止”。

 ジュウオウ村では儀式以外での姦淫を禁じられている。

 この決まり事に則って村民の数を管理する事で、この貧しい村でも食糧難に陥らず人手不足にも陥らないギリギリの均衡を保っているのだという。


 そして、その決まり事から派生した、生命や長寿のご利益をこじ付けられた祭り。

 この祭りの日に儀式を行い、番のお役目を与えられた村民たちによって子を成して行く。

 これらがこの村――ジュウオウ村の歪な風習だ。


「そうだ。この村では自由に男と女が愛し合う事は許されない」

 

 つまり、愛も恋も存在しない。存在が許されていない。

 でも、それなら――、

 

「それなら、もしかして、ナキさんは――」

「どうして、捨てられなければならなかったのか。どうして、私とあの子が別たれたのか――お前さんには、も分かっているだろう」


 その通りだ。もはや言葉にせずとも、俺は分かっていた。

 しかし、それでも言わねばならない。全てを受け入れ、理解し、前に進む必要が有る。


「――存在を、許されなかった」


 シグレはゆっくりと首を縦に動かし、首肯する。

 そして、絵本でも読み聞かせるみたいに、昔話を語ってくれた。


「村の決まり事は、私の産まれるよりもずっと昔から有る物だった。だから、それは当然の物で、背くなんて考えた事も無かった。――あの日までは」


 シグレは俺の方を見て、懐かし気に微笑む。


「あの人はふらりと現れた。あの人はお前さんと同じ様に決まり事を知らん“迷い人”だった。

 私は自分の居場所も故郷への帰り方も分からないあの人と共に暮らした。

 共に仕事をし、共に食事をし、そうして共に過ごして行く内に――恋に、落ちた」

 

 俺と同じ、迷い人。

 それが何十年も前にも存在した。


「それで、その迷い人との間に産まれた子供が、ナキさんなんですね」


 シグレは「ああ」と答え、小さく頷く。

 

「しかし子供なんて、いつまでも隠せるわけもない。すぐに見つかり、姦淫の禁止という決まり事を破ってしまった私たちは、村から糾弾され、処罰を受けた」

「処罰――」


 シグレは自身の片足をいたわる様に摩る。

 俺がその足に視線を向ければ、シグレは大丈夫だと言うかの様に薄く笑って見せた。


「私はね、この村の産まれだったから。でも、あの人は違った」


 あの人――迷い人は、余所者だった。

 決まり事を守らなかった余所者がどういう扱いを受けたのか。どういう処罰を受けたのか――。


「そして、あの人との愛の結晶も取り上げられ、海へと投げ捨てられた。私は泣き叫び、狂乱した。

 でも、村に――神に背いた私へ伸ばされる救いの手なんて物は無かった。

 無力だった。私は一人だった。あの人も、娘も、奪われた――」


 そう言ったシグレの瞳からは、雫の一滴すらも落ちる事は無かった。

 涙なんて、とうの昔に枯れてしまったのだろう。

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