0027_手厳しい言葉の問題点
■シン
格言みたいなものとかで偶に、凄くキツい云い方をするものがあったりするんですけど――例えば、こうでない奴に物を語る資格はないとか、本当にこうならこれくらいできておけとか――わざわざこういう手厳しい表現をするのって、教育的にはどうなんですか?
■キズナ
うーん……勿論場合に依るんだけど、基本的には余り良くないんじゃないかなぁ。
それこそ戒めの言葉とかお説教とかであれば、そのキツさが自戒心に繋がるかもしれないし、相手が自分自身なら鼓舞の効果もあるだろうけど……人間って厳しい事や辛い事を云われると、基本的には厭がるものだからねぇ。
全く効果が無いって事は無いだろうけど、啓蒙的には余り良い方法ではないんじゃないかなぁ。
■シン
はあ……じゃあこう云う表現はどこから来るんですかね?
■キズナ
判んないけど……例えば、優越感とかかなぁ。
■シン
優越感、ですか。
■アキ
手厳しい事を云ったり立派な事を口にするとね、それを理解し口にできる自分は立派な存在だって風に、お手軽に優越感を味わえるんだよね。
まあ、そうじゃない場合もあるだろうけれど、今回は、優越感だとしたら良くないよって話をしようか。
まあ、解りきった事だろうけどね。
■シン
ふむふむ。
■リメイ
優越感って主観であって、別にそれ自体は自由なんだけど……まあ他者に対して優越的であろうと振る舞う場合、客観的には人間には優劣って無いから不当な態度で、相手にキツくあたるならそれって相手への攻撃で、悪なんだよね、大雑把に云うと。
■シン
まあ……そうですね。
■リメイ
だから基本的に、他者に対して徒に厳しい言葉を使ったり、或いは自分の優等性や優越性を強要するような自慢気な表現はね――例えば、自分なんかこういう工夫をしているぞ、それに比べてそうでない奴は駄目だ、と云うような――これってただの一方的な見下しで、まあ正義的にはアウトなんだよね。
■キズナ
もし人に何かを伝えたり啓蒙したいなら、相手が成程って実感できるような表現や工夫をした方が良いんだよぉ。
厳しい言葉は基本的には反感を生むだけだから……絶対無意味ではないだろうけど、大抵の場合は逆効果なんだよねぇ。
■アキ
勿論、話す側だって人間なんだから、感情的になっちゃう場合はあるよ。
でもそこもまあ人付き合いの問題で、余り相手に感情を押し付けちゃ駄目よってのはそうなんだよね。
■リメイ
格言とかみたいな、目の前の人に伝えるものでなくて、ただ言葉として展開するだけのものの場合はね、その手厳しい表現こそが寧ろ気に入られる場合があるんだ。
色んな場合もあるだろうけれど、例えばさっき云ったように、その厳しい格言を理解している自分と云う優越感に浸れるから、とかね。
その主観自体には問題はないけれど、その主観を事実のように扱ったり他者に強要すると、それは違うよって事なんだ。
■シン
ああー……。
■キズナ
他人からしたら、上から目線で接されるのは余計なお世話だったりするしねぇ。
そういう人って居るよなあ、困ったもんだ、みたいな態度とかもね、上から目線で感じ悪いでしょぉ。
■リメイ
反省を促す説得などならまだしも、こうであるお前に権利など無い、なんて事を云ってしまうと、まあ普通は受け入れられないし、ダイレクトに云うなら人権侵害発言なんだ。
■アキ
それこそ、ボク達のこうした説明は、多分かなり偉そうに聞こえるだろうしね。
もしボク達にムッとするようであれば、まあそれが実例だよね。
偉そうな態度には、反感が生まれるのも不思議はない訳だ。
■リメイ
私達は感情に配慮した喋り方が苦手だものねえ……。
ある戒めの言葉を受けた時は、他者への糾弾の前に、自分自身に向けてみた方が良いね……。
私には本当に他者への共感が欠けているって自覚するよ……。
■キズナ
主観って難しいよぉ。
客観と独立だからねぇ。
■シン
RIFORTHの人って、ホントに皆、理屈しか見てないんですね……。
■キズナ
だからまあとにかく、余り手厳しい言葉は使わない方が良いかなぁ。
少くとも、使わなきゃいけないなんて事はないだろうしぃ。
他にもっと安全で有意義な表現方法があるんなら、そっちを使っていれば大丈夫だよぉ。
■リメイ
内容自体が厳しいものでどうしても感じ悪くなっちゃう場合もあるだろうけれど、少くとも攻撃的だったり優越的だったりする表現には有用性は無いだろうと思うよ。
自分は正しさを得たと思って、鬼の首を取ったように他者を糾弾しては駄目、って事だね。
優越感は主観だから自由だけど、優越性は人間同士には存在しないからね。
■シン
各人が別の秩序系同士で、互いに包含関係に無いから、ですね。
■リメイ
うん、そうそう。
■アキ
人付き合いは主観的なものなので、相手が厭がったなら、その態度はもう相手の感情に対して有意義じゃないって事なんだね。
勿論、内容自体がどうしても厳しいものになるとか、正しいものは正しい云う事実とは別の、感情の問題なんだけれどね。
だから、内容自体の手厳しさは扨措き、伝達方法には配慮が必要なんだ。
■キズナ
厳しい戒めの言葉も、これをする人は駄目と云う表現より、こういう理由でこれをしてはいけないと云う風に、論拠を添える方が有意義だよぉ。
それなら、飽く迄客観事実を扱っているだけだし、理解ができるからねぇ。
まあ、受け手の主観はそれと無関係なんだけどぉ……。
■キズナ
格言と云うのは、印象的なフレーズで相手の印象に残そうと云うものだけど、それはつまり論証や理性を伴っていない言葉だから、鵜呑みにはしちゃ駄目なんだぁ。
一番良いのは、論証は別途しておいて、最後の纏めとしてアフォリズムを使う、みたいなやり方だよぉ。
それなら理性にも印象にも残るからねぇ。
そう云えば、リメイは良くそうやってるよねぇ。
■リメイ
そうだね。
やっぱり理性的なだけでは印象に残らないから。
でも、印象だけに訴えるのでは正当性が担保されないから、論証は必ずしないとね。
そして、攻撃的であってはならない。
主観的辛さは排除対象じゃないけれど、攻撃的言説は悪になり得るからね。
■シン
色色と、気をつけた方が良い訳ですね。
■キズナ
人間は理性の他に感情もあって、そこを無視するのもナンセンスだから、難しいんだよねぇ。
教育とかも、正しさをただ展開したって、相手に伝わらなきゃ意味が無いしぃ……。
■リメイ
正義もね、各人各文化で秩序系が異なっているから、抽象的にしか構築できないし。
■アキ
愛情と云うのは主観なんだけど、主観も結局は一つの秩序系だからその内部では論理的に成立しているし。
それでいて自由に変容するから画一的な断定はできないし。
■シン
ど、どの分野でも、主観と客観の独立は……結構大変なものなんですね。
■アマネ
独立したものを一緒くたに扱わねばならないから大変な訳だ。
■シン
■アマネ
だからこそ、より大きな範疇で普遍的に扱うのが有意義であろうで、その最大の括りが根源だという事なのだよ。
そうして、全ては解決するのだ。
まあ、具体事例には直ちに対処する事はできないのだがね。
■シン
な、成程……。
■アマネ
さて貴様ら、研究をサボって何をしている。
■リメイ
気分転換だよ。
■アキ
休憩中ー。
■キズナ
質問を受けてただけだよぉ。
アマネは何してるのぉ?
■アマネ
研究をサボっている。
■シン
部屋に戻って研究してください。
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