0021_私と仕事のどちらが大事か
■コウタロウ
フィクション作品で、ある夫婦が喧嘩している場面があってさ、
奥さんの方が旦那さんの方に、私と仕事どっちが大事なの、って迫っていたんだけど、
これって、問として成立してんの?
■アキ
してないよ、哲学的にはね。
■コウタロウ
へえ……まあ、やっぱりって感じだけど。
でも、なんで問として成立していないって断言できんの?
■アキ
回答としては、評価基準を定めないと判定できないって事なんだ。
■コウタロウ
はあ、評価基準……。
■アキ
例えば、素数と青空は、どっちが硬い?
■コウタロウ
……はい?
■アキ
こんなのは、問になっていないんだ。
形式上は何かの文章のように見えるけど、意味合いを考えると、意味が成立していないんだよね。
■コウタロウ
まあ、確かに……。
■アキ
それは、素数と青空に対して、硬さと云う比較を採用しようとしているのがナンセンスって事だよ。
例えば、数値のように大小がつくものだったら、どちらが大きいか、と云うのは意味が通るよね。
それは、比較基準という同軸上にそれぞれが位置しているから比較ができるって事なんだ。
ベクトルとして同じ方向を向いているから、その大小で比較ができる訳だよね。
■コウタロウ
はあ、ベクトル……。
■アキ
例えば、ある方向と角度θ1を為すベクトルAと、θ1と異なる角度θ2を為すベクトルBについて、どちらが大きいか、と云うのは意味を為さないでしょ。
■コウタロウ
ベクトルの長さでの比較では駄目なの?
■アキ
だって、長さで比較できると云う事は、方向を無視或いは同一にして扱うって事で、それはベクトルの比較と云うよりスカラーの比較になっているでしょ。
そして今しているのは、そんな風に何か基準系があれば比較できるけど、そうでないと無理だよねって、事よ。
■コウタロウ
え、えーと……。
■アキ
例えばね、xy坐標上で原点を始点として、y軸方向に大きさ2で伸びてるベクトルAと、x軸方向から反時計回りにπ/6の角を為す方向に大きさ3で伸びてるベクトルBを比較してみようか。
■コウタロウ
は、はい。
■アキ
ベクトルの大きさだけで比較するなら、ベクトルBの方が大きいよね。
でも、原点からのy坐標方向への大きさで比較すると、
ベクトルAのy坐標は2であるのに対して、ベクトルBの方は3sinπ/6で、3/2となり、こちらの方が小さいんだ。
■アキ
そして、x坐標で比較するならベクトルBの方が、ベクトルAより大きい。
何しろベクトルAのx坐標は0だからね。
■コウタロウ
は、はあ……。
■アキ
つまり、比較する基準系次第で結論は変わるんだ。
アマネが云っているでしょ、結論は秩序に相対的だって。
■コウタロウ
あ、そうか……ここでもそうなのか。
■アキ
どこでもそうなんだよ。
任意の結論は秩序系に相対的なんだから、比較結果と云う結論だって比較系と云う基準系に相対的なんだ。
■コウタロウ
成程……。
■アキ
もっと身近な例の方がいっか。
二人の人間を比較するにも、年齢ではこちらが上、身長ではあちらが上、と云うように、比較基準系次第で変わるよね、と云う程度の事だよ。
■コウタロウ
そっちのが判り易いな。
■アキ
さて、最初の質問に戻るけどね。
■アキ
奥さんと過ごす時間というのと、仕事に費やす時間というのは、もうそもそも別物だから、何かの比較系を導入しないと比較結果は得られない。
だから、もし問として成立させたいなら、
私と仕事、ある基準系に於いて、どっちが大事なのか、って云うようでないといけないんだよ。
■コウタロウ
なんか途端に、痴話喧嘩から哲学議論になるな……。
■アキ
そうでしょ。
それで食卓囲んで一緒に議論をし始めたら、きっと仲の良い夫婦だろうね。
■コウタロウ
謎な光景だけどなあ。
■アキ
まあそんな訳で、質問を成立させる為に必要な要素が欠けていると云う点で、問になっていない、と云うのが哲学的観点からの回答なんだけど……。
■コウタロウ
はい。
■アキ
愛情学者としての回答としては、別の観点での検討をしようかなと。
■コウタロウ
あ、はい。
■アキ
多分解ってると思うけど、この言葉に対して、理性的な回答をすると云うのは、実はナンセンスなんだ。
■コウタロウ
ちなみに、それはなんで?
■アキ
と云うのもね、この言葉って、質問の体裁をとっているけれど、実は質問ではなくて、「淋しいよ!」って云うのが本質なんだ。
■コウタロウ
……あー。
■アキ
だからそもそも質問じゃないんだよ。
仕事が大事だってのも、奥さんの方は多分解ってる。
その上で、それは扨措き淋しがってるんだ。
だから、「君の事が大事だからこそ仕事をするんだよ」って理性的な回答をして、「それなら解るわ」って収まる訳がないんだよね。
■コウタロウ
確かに。
■アキ
奥さんの言葉はそもそも感情から出た言葉であって、理性から出た言葉じゃない。
つまり、理性でアプローチしようと云うのが、端からナンセンスなんだ。
■コウタロウ
あ、主観と客観は独立だから……。
■アキ
そうそう。
だから、理性的な回答は全く無意味。
何故なら客観範疇でなく、主観範疇が舞台だから。
■アキ
なので、奥さんが淋しがってるぞと云う事実と、でも仕事はしないとねっていう事実の衝突について、どうにか対処しないといけないぞと云う場面だってのが本質なんだ。
あれもやんなきゃこれもやんなきゃで、自然界ってのは複雑だねえ。
■コウタロウ
成程……。
■アキ
ここで奥さんを、理屈の通じない人、と云う風に想定してしまうのは、それも短絡的。
何故なら、どんな理性的な人だって感情は持っているんだから。
例えば、もしこんな言葉を自分の奥さんから云われて、なんて理不尽なんだとうんざりするなら、そのうんざりってのもやっぱり感情であって、正当性とは無関係なんだ。
つまり結局、客観範疇のやり取りでなく、主観範疇のやり取りでしかないんだ。
理屈が通じない人なんじゃなくて、理屈が通じない場面、なんだよ。
■コウタロウ
それは確かに……うーん。
■アキ
だからね、感情と理性は対立するものじゃなくて、x軸とy軸のように、並立する別の軸なんだよ。
主観と客観は独立で、同時に別別に成立するんだ。
それが自然界と云う同一範疇で並立しているから衝突が生じ得て、葛藤と云う事態も起こるんだね。
■コウタロウ
は、はい。
■アキ
繰り返すけれど、奥さんが理屈の通じない人間なのでもなく、うんざりする事態でもあろうけれど、この事態の本質は、感情的なもの即ち主観範疇にあるものだって事なんだ。
■コウタロウ
だから、理屈での解決はできない……。
■アキ
そう。
つまりそれは、論理だとか哲学の出番でもなく、夫婦のスタンスに於いてどうにかしてよ、と云う事でしかないんだ。
乱暴に云うなら、そう云うのも引っ括めて夫婦、人付き合い、と云う事なので、人付き合いをしよう、結婚しよう、と決意したからには、まあ何とか頑張ってよ、愚痴くらいなら付き合うからさ、と云うのが、当事者の外部が出せる結論なんだ。
■コウタロウ
成程……。
■アキ
と云う訳で、主観範疇の問題である以上、正しいも間違ってるもなく、どうしようかしらねってのを夫婦で考えて、二人の主観に依って決めてよ、と云うのが答なんだ。
■コウタロウ
まあ要するに、問になってないんだな。
■アキ
うん、質問の形式をしていても、本質は質問ではないんだ。
事態はただ一つ、奥さんが淋しがってるよ、っていう事。
取り敢えず、ギュって抱き合いな。
■コウタロウ
投げ遣りな……。
アキさんって愛情学者の割に……実際の恋愛場面には淡白だよね。
■アキ
哲学者だからねえ、飽く迄。
実践や具体とか実用的な恋愛テクニックには興味無くて、愛情と云う自然現象的事態への公理論的解明が研究対象なんだ。
私自身は恋愛の経験も実感も無いから、ピンと来なくて大変だよ。
■コウタロウ
良く解んねーって。
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