0018_無駄には価値は無い

■シン

無駄なものにこそ価値があるとか、無駄が大事だ、って話を聞いたんですけど、

これって、論理的にと云うか哲学的に? 正しいんですか?




■アマネ

勿論解ってると思うが、その言葉の意味はきっと、何でもかんでも無駄だと云って切り捨てるのは良くないと云う事を演出的に述べているだけだろうから、字面通りの意味合いの正当性は本質的な内容ではない。




■シン

はい、それは解った上で、ところで哲学的にはどうなんだろう、と云う問です。




■アマネ

うむ、その場合は、まあ大体お察しの通り、間違っている。




■シン

どんな風に説明されますか?




■アマネ

先ず注意すべきなのは、観点の差異と、観点上での有用性判断だ。




■シン

と云うと?




■アマネ

つまり、ある観点で無駄なものだとしても、別の観点で有意義であるなら、その対象自体が無駄だと云う訳ではない、と云う事だ。




■アマネ

例えば、包丁は、布を切るのには適さない。

じゃあ包丁と云うのは無駄なものなのかと云うとそうでなく、食材を切るのに用するなら無駄でなく有用だ。

つまり、そもそも有用性と云うのは、目的に相対化されるものであって、対象の属性ではない、と云う事だ。

人間も同様で、ある個人がある作業に向いていないとしても、別の作業に向いている場合もあるので、無駄な人間と云うようなものは概念としてあり得ないのだ。

それと別に、人間はそもそも何かの道具として存在している訳ではないと云う事もあるのだがね。




■シン

使えない人間なんて、居ないんですね。




■アマネ

居得るのは、人間を適切に使えない人間、の方だろうな。

道具として使い物にならない人間は居ないが、道具を使いこなせない人間は可能だ。

勿論、だからってそうした使いこなせない人間は愚かで劣等だと云う事もない。

全部引括めて、観点毎に対する、気質や能力でしかなく、優劣でなく多様性があるだけだ。

有用性は属性ではなく、工夫する側次第だと云う事だ。




■アマネ

再度繰り返すが、有用性は目的とセットで算出される事態なのであって、対象自身の属性ではない。

だからその意味で、普遍的に無駄なものなどそもそもない。

使い方次第だと云う事だ。




■アマネ

それを理解した上で、では無駄とは何か、と云う事なのだが、

普遍的な無駄性は無くとも、ある観点での無駄性は可能な訳だ。




■シン

ああ、布を切りたいなら、包丁を使うのは無駄なんですね。




■アマネ

うむ。

そしてそのように観点を固定した場合、

その対象はその観点に於いて無駄であると云うのであれば、つまり価値はないと云う事なので、無駄こそに価値があると云う言説は間違いなのだよ。




■シン

成程……じゃあやはりと云うか、浪費などを推奨する言葉ではない訳ですね。




■アマネ

うむ。

大雑把に云えば、価値の無さを無駄と呼ぶのだから、無駄に価値はない。

但し、観点を固定した上での話だ。

だから、例の言葉は飽く迄も、ある観点で無駄だからって、その対象自体が無駄な訳じゃないんだから、何でも簡単に切り捨てるのは良くないぞ、と云う程度の意味だと云う事であろう。




■シン

字面通りに受け取るのもあまり良くないんですね。




■アマネ

人間は主観に訴えかけるような表現を用いる場合があるのでな。

飽く迄も、その意味しているところ、本質を受け取るようでなくてはならない訳だな。



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