episode_002

 岡崎は、中国でのビジネスをアテンドする会社に勤務していた。大学の学科を、三国志が好きだという理由から中国語学科にした岡崎は、ゼミの教授の紹介で今の会社に入った。香港に本社があるその会社で、岡崎は中国でプラスティック製品を製造したい日本企業と中国工場を引き合わす仕事を主にしてきており、入社して十年たった今では、課長職になっている。女性とつき合ったことは大学時代に一度あっただけで、未だ独身だ。課長になってからは、工場サイドに接待され、中国の連れ出しができるカラオケバーで遊ぶことも多く、欲求は満たされている。しかし、カラオケバーの子達は、二言目には「日本につれていって」と言いだす始末で、金で買うことの虚しさも身に染みていた。

 スプレンディには、工場を斡旋した企業につれてきてもらった。キャバクラへ来るのは、初めてではなかったが、スプレンディのような高級店にくるのは、初めてである。二人目についたのが、玲香だった。

「初めまして、お隣、失礼いたします、玲香です」

「岡崎さん、さっきの子より、うれしそうな顔してますね。それにすごく綺麗な子だ」

 斡旋した企業の谷田部長が、赤ら顔で言うと、

「あたしに飽きたの?」

 と谷田部長の指名嬢まりあが、混ぜっ返す。谷田の部下である諸岡についていた麻菜が玲香にグラスを渡す。

「ありがとう」

 グラスを受け取った玲香は、岡崎の方をまっすぐ向いた。

「改めて乾杯」

 まりあの発声で、グラスを軽くぶつけ合う。玲香は、グラスを顔の前で掲げて、岡崎をしっかり見ながら「乾杯」といって、軽く顔を傾けて微笑んだ。それから、グラスに軽く口をつける。その姿に見とれていた岡崎も、少し遅れて「乾杯」と言って、グラスの水割りを半分もあけた。

 麻菜が、他の誰にもわからないように

「いけそうじゃん」

 と玲香にアイコンタクトしてきた。玲香は、軽く微笑んで応える。

「玲香ちゃん、学生なのよ。英文科で、将来は貿易の仕事したいんだって。岡崎さんもそういう関係なんでしょ」

まりあが、話題を振る。

「まりあさん、恥ずかしいからいわないでください。それは、本当に夢で、私には無理だって、わかっているんですよ。TOEICの点数も低いし。岡崎さんは、英語を話せるんですよね?」

「いや、私は、英語はほとんどしゃべれません。仕事に使うのは、もっぱら中国語ですし」

「岡崎さんは三国志が好きで、それで大学は中国語を専攻したそうだよ。普通、中国語を専攻しても話せないやつが多いらしいんだが、岡崎さんは大学に通ってる間に努力して、会社に入る時は、ネイティブに会話はできるようになっていた、とお宅の社長がおっしゃってたよ」

 谷田がまりあの背中に手を回しながら言う。

「恐縮です、部長」

「玲香ちゃんって、サリンジャーを原語で読めるようになりたくて、英文科に入ったんですよ。岡崎さんと玲香ちゃんは、同じような動機で大学に入ったんだ、なんか、うらやましいな」

 麻菜がパスを出す。

「私なんか、体育大でて、この会社にお世話になってますが、それが何かの役に立ってますか、谷田部長」

「諸岡くん、私は、君の体育大出の根性に惚れとるんだよ」

「ありがとうございます、谷田部長。一生ついていきます」

 諸岡が大げさに頭を下げたところで、一同は大笑いし、それぞれの相手との会話に流れた。

「岡崎さん、どうやって中国語マスターなさったんですか、今度、教えて頂けませんか」

「マスターといってもね。自分でも何がコツなんだかわからないよ」

 玲香に見とれていたさっきとは違い、岡崎の態度に多少余裕が出てきた。これは、玲香が自分と同じ動機で学科を選び、自分に興味をもっていると感じているからだ。もちろん、それは麻菜と玲香の連携プレイで仕組まれたものである。

「今度って、いつ?」

「それは、岡崎さんがお決めになってくださいね」

 そういって、玲香は顔を傾けて微笑んだ。

「今日はお客さんと一緒だし。連絡先教えてくれる?」

「岡崎さんのも教えて下さい」

 そう言いながら玲香は、自分の名刺の裏にメッセージサービスのIDを書く手を止め、上目遣いに岡崎を見つめた。


 翌日の土曜日、岡崎の方からメッセージが来た。

「来週、谷田部長と中国へ出張するから、何かお土産を買ってきます。買ってきたら、会えるかな?」

「うれしい。でも、会ったばかりの岡崎さんにそんなおみやげなんてもらっていいのかしら?」

「気にしないでいいよ。それより会える?」

「私は、ゴールデンウイークは実家に帰るし、その前は、ずーっとお店に出ています」

「いそがしいんだね」

「TOEICの学校に行きたいから、お金貯めなきゃいけないんです。岡崎さんのように努力しないと。海外出張なんて、ほんとエグゼクティブって感じですよね。私、仕事ができる人って、尊敬しちゃいます。そう言う人は、みんなジェントルだし。岡崎さんもそうですよね」

 これでも店外を求めるなら、切りだ

 そう思いながら玲香は送信ボタンを押した。

「そんな風に玲香さんに言われると、照れちゃうよ。全然、そんなんじゃないし。それじゃ、25日にお店に行くから。おみやげ何がいい?」

 やった、と思いながら

「そんな、本当にいいですよ、悪いから。お店に来て頂けるだけで、うれしいです」と返信する。

「遠慮しなくていいよ、本当に気持ちだけだから。香水とかでいいかな? でも、化粧品とかよくわからないから、ブランドとか玲香ちゃんが決めてよ」

 もう、ちゃんづけか、免税店で手に入りやすく、そう高くないものがいいだろうと思いながらメッセージを打った。

「それじゃ、香水をお願いしちゃおうかな。私、香水とか何をつけているか、恥ずかしいから、普通はお客さんに言わないんですよ。内緒にしてくださいね。シャネルのチャンスをお願いできますか?」

 最後の撒き餌を込めたメッセージだ。

 寝に帰るだけの1DKのアパートで、岡崎は、昨日、スプレンディでついた玲香に、ベッドに寝たまま、メッセージをした。

 学生だっていうから、うまくやれば外で会えるかな

 と思いながらのメッセージだったが、気付いた時は、店に行く約束をさせられていた。

 やっぱり、一回ぐらいは行かないとダメだな

 そう自分に言い聞かせながら、メッセージのやりとりをしていたが、「お客さんには言わないんですよ。内緒にしてくださいね」という玲香のメッセージから目が離れなくなった。

 今までキャバクラで会った子とは、玲香は違った。二十歳なのに、しっかり目標を持っているし、メッセージの文章も絵文字や深夜の情報番組で見たわけのわからないギャル文字も使ってない。その玲香が、俺に「勉強のコツを教えてくれ」と言っている。「内緒にしてくれ」と言っている。

 岡崎は、中国のカラオケバーで遊ぶ時とは、違った熱さを感じた。

 玲香のアーモンドの様なきれいな眼、小さいがすうっと通った鼻筋、そして、唇。薄すぎる唇には、薄情さを感じる岡崎であったが、玲香の唇は、ふくよかではないが、薄いとも言えなかった。その唇が微笑みかけ、グラスにあわさる。肌同様に白く、長い指先に控えめなマニキュア。

「乾杯」

 そう言ってグラスに口をつける。濡れた玲香の唇が光る。その映像が、頭の中に、何度も何度も浮かび上がる。

「乾杯」と言っていた玲香が、顔を傾け、微笑みながら、今度は

「内緒にしてくださいね」

 と囁きかけてくる。

 心の奥から沸いてくる熱い気持ちは、沸騰しそうなほどだ。玲香が、また囁きかけてくる。

「内緒にしてくださいね」

 囁きが繰り返されるたびに、熱さが増していく。

 岡崎は自分の股間に手を伸ばした。

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