ブルースターの記憶

朱音

 episode0ー狭い鳥籠ー

第1話 夢の中

誰かが、私を呼んだ。

愛おしくて悲しくて、それでもその声に返事を返すことが出来ない。

呼吸が苦しくなって涙が溢れて手を伸ばす。


けれどこの手は空を掴むだけでその声には届かなかった。


行かなきゃ行けない。

誰かを、救わなければならない。

誰かが、私をずっと待ってる。

誰かが、泣いている。

誰かが、私に手を伸ばしている。


だけどそれが誰なのか私には分からなかった。

何かを思い出さなくてはならないと感じながらも何も思い出せない。


もどかしくて辿り着けなくて私はいつも泣いていた。



光る金のユニコーンが私をまた導く。

その先に現れるのは美しい花畑だった。

一面に青い花が咲き、月光が花々を照らす。

近くには海のさざめく音が聞こえる。


そうして私は夢の中で、誰かと話していた。


あなたは誰?

私は誰?


見たことのないはずのその場所で、酷く懐かしい気持ちになり私は声をあげた。

しかしその声はただ暗闇に溶けて消えるのだ。



金色のユニコーンはそれだけを見せていつもどこかへ消えてしまう。

私は去ってしまったユニコーンの光の粒を追いかけてまた手を伸ばした。


ねぇ待って、行かないで。お願い。私はここにいるから。またいつものように私をあの人の場所へ案内して。


そう呟いてもユニコーンはいつも私に虚しさだけを残して消えていった。



やがて暗闇の中、私は一人残される。




ユニコーンも消えたこの暗い世界で私は一体どこへ向かったらいいんだろう。





やがて、向こうで手を振る誰かを見つけた。




あの人の手を掴みたいのに、進んでも進んでもあの人に近づけない。


するとあの人は私に背を向けて暗闇の中へ向かってしまった。




『ねぇ駄目…待って、私の側にいるってそう誓ったじゃない!ねぇ!!待って!!!』





そう叫んでも、私のこの手はあの人には絶対に届かなかった。











そこで、目が覚めた。


何かに弾かれたように目を覚ました私は、夢の中で伸ばしていた手で誰かを掴んでいた。


荒い呼吸を繰り返し、今私は泣いていたのだと理解する。


よく見ればここはいつも目覚める小屋の中で、暖炉の火がパチパチと音を立てながら踊っていた。

窓のないこの部屋に光が差すことはなく部屋に置かれた物も数える程度。


何度読んだか分からない長編の絵本に、さっきまで飲んでいたであろう白いマグカップ。

暖炉の火しか明かりがないこの部屋には一つだけランプが置かれていた。


そうしてやっと夢から目覚めて思考が回った私は、勢いよく掴んでしまった相手が目を見開きながら私を見ていることに気づいた。


今にも壊れそうな軋むベッドで横になっていた私は、その人の胸ぐらを掴んで引き寄せていたのだ。


至近距離に青くて宝石のような瞳が輝く。

そして彼のサラサラとした漆黒の短髪はあまりの近さに私の顔に少しかかっている。


鼻筋が通り、いつも細い目が少し大きく開かれている。

まるで絵本の中から出てきたように美しい顔をしたそんな彼は、この状況に少し固まっているようだった。


鼻が触れてしまうのではないかという距離に私も動きを止めてしまう。


彼の両手は私の両端に置かれ、突然引っ張られたことにバランスを崩したようだった。


そうして部屋にある暖炉の火がパチっと音を鳴らした瞬間、私は掴んでいたその手をパッと離した。



『ルキア!?何してるの!?』



彼から手を離すと、私は明らかに自分が悪いというのにルキアに向かって怒鳴ってしまった。

私の手が離れた瞬間パッと身体を離し、着ていた服の襟を直す彼。

私が掴んだことによってワイシャツが縒れてしまったらしい。


更に外に着ていた黒い服も軽く直すと、案の定ルキアは不服そうな顔をして私を見てきた。



「こっちのセリフなんだが?」



そりゃ、そうだ。


最もなことを突っ込まれて何も言い返せない。

未だにドキドキと音を立てる心臓を落ち着かせて、私は誤魔化すように自分の黒くて長い髪を弄った。


別に彼を引き寄せたくて引き寄せた訳じゃない。

これはそう…事故だ。

そもそも引き寄せた記憶は私の中にはないし、気づいたら手がルキアを掴んでいただけであって…。


そう心の中で整理すればする程、自分が悪すぎて何も言えなくなる。


結局たどり着いた答えは、謝罪だった。



『ごめん…』



素直に謝ればルキアはため息をついてベッドの近くにある木の椅子に座った。

近くにはランプが置いてありルキアのその整った顔を照らす。


彼は座ってからこちらを向くと、そっと私の髪を撫でてきた。

いつも冷たい彼の手は何故だか安心する。


ランプの光に揺れるその青い瞳は真っ直ぐに私だけを映していた。



「また悪い夢でも見たのか?」



彼の低くて優しい声が部屋に響く。

時々外の風が扉を叩くと少しだけ冷気が入ってきて、私は思わず毛布に顔を埋めた。


目だけを出してルキアを見れば彼は本当に優しい眼差しでこちらを見ていた。


まったく、恋人がいるっていうのにそんな顔してるようじゃ色んな女性を勘違いさせるよ。

そんなことを思いながら静かにその手を掴めばそっと下ろした。


少しだけ悲しそうに笑うその彼の顔には、まだ慣れない。



ガタガタと音を立てる扉を眺めて、またルキアに目を向ける。

そうして目で訴えかけると彼は分かりやすく目を逸らした。


あの扉の外に、私は行けないのだから。



記憶を失ってからずっと、この小屋に閉じ込められたまま今日までを過ごしてきた。

記憶を失って目覚めた時もこの小屋だった。


ルキアは過去を教えてはくれない。

いつも過去について彼に聞くとはぐらかされていた。



こうして扉を眺めては外に行きたいと願うばかりの毎日。

もうこの部屋の中の茶色い小屋は見飽きていたのだ。色もない。


ベッドの白とマグカップ、暖炉の火の赤、そして彼の青い瞳と、私の黒い髪と…このネックレスの青しかこの部屋に色はないのだ。


何度も読んだ絵本に描かれた物も白黒。

絵本に出てくる青空や海、月や星は私の目には届かない。


それが分かっていても尚、ルキアは私を外に出してはくれなかった。


鏡もないこの部屋では、自分の姿を見ることすら叶わなかった。



気まずそうに目を逸らして何か違う話題を探すルキアに私は口を開いた。



『…最近同じ夢を何度も見るの』



そう小さな声で呟けば彼とやっと目があった。

ルキアは分かりやすい。

記憶を無くした私が目覚めたあの5年前から何も変わっていない。


当時私は13歳で、ルキアは18歳だった。


あの時も目を覚ました時まず目に入ったのが彼の青い瞳だった。

ぼーっとする私をただ見つめて今みたいにそっと髪を撫でて側にいてくれた。


自分が誰なのかは分からない。


ただ彼は私のことをユキと呼んだ。

それ以外何が起きたのかは教えてくれなかった。


何だか心にぽっかりと穴が空いてしまったかのような感覚になって、暫く何も考えられなかった。

私は今と同じ真っ白のワンピースを着ていた。



あの時の自分が発した言葉を今でも忘れない。



あなたは、誰?





そう言った時のルキアの顔は、何だか少し辛そうだった。


もしかしたら失った記憶の中で、ルキアとは絆の深い友人だったのかもしれない。

それとももしかしたら兄妹だったり。

そんなことを思っていたあの日の記憶も、今では曖昧になっていた。

5年も経てば記憶は曖昧になってしまうものなんだろうか。




相変わらずあの頃と同じように側にいてくれるルキアは、私の髪を撫で続けるとまた静かに口を開いた。

彼の声は子守唄のように心地がいい。悲しいことも何もかも忘れてしまえるような、そんな優しい声だ。



「夢は夢だ、あまり現実に持ち込むな」



そう。

夢は、夢。

彼からの言葉に理解しようと何度も言い聞かせてもあの夢はずっと私に何かを語りかけてくるようだった。


外は吹雪なのかさっきよりも強い音で扉を叩く音がして、思わず毛布を全て被った。


行き場を失ったルキアの手が彷徨っているのが想像出来る。



そうしてギュッと目を瞑ると、やがてルキアがランプの明かりを吹き消す音がした。

そうして暖炉の火の明かり以外に光を無くした部屋はさっきよりも暗くなっていた。



「多分眠りが浅かったんだ。しっかりと眠れ、まだ夜中だからな。また明日の夜ここへ来る」



それだけ言うと、ルキアの重い靴の音がギシギシと音を立てて行く。

やがて扉の開く音がするとヒューっと冷たい雪が部屋に入り込んだ。


今のうちに、今のうちに扉へ行けば外に出られる。

そう何度も心の中で思ったことだろうか。

絶対に開けられないと知っている私は、既に諦めて布団の中でその自由の音だけを聞いていた。



やがて扉が閉まると、部屋には本当に静寂が訪れた。

暖炉の火だけはいつも私の耳に音を届けてくれたけど。










『って、諦める訳ないでしょ!!』












そしてこの時間になると、私は活発化し出した。

もう5年もここに閉じ込められているのだ。


この5年で脱走を何度試みたことか。

部屋中ありとあらゆる場所に窓がないかを調べた。

しかしどこを探しても、浴室にもトイレにもどこにも窓が見当たらないのだ。


あまりに徹底しているこの部屋に寒気がしたもののそんなことで諦める私じゃなかった。


ルキアは毎日夜になると部屋へやってくる。

そして寝ている(フリ)をしている私に近づくとランプを灯して暖炉に薪を足しに来る。

そうして私が起きると今のように少し話をして、こうして寝かしつけると出て行く。


もう5年も経てばその行動にも慣れた。


今回に関しては、本気で寝てしまっていたけど。


それでもルキアが出ていったこのチャンスを逃すわけには行かなかった。

もしかしたら、もしかしたらいつかルキアが扉に鍵をかけ忘れるかもしれない。

その僅かな可能性を私は信じていた。



『よし、行くぞ』



私は自分の髪で髪を結い上げると、まずは扉に体当たりした。

バンっと激しい音が鳴り響き腕がじんじんと痛む。



『うん…今日もルキア鍵かけ忘れ作戦は失敗』



まずはルキアが鍵をかけ忘れているかもしれない可能性を考えて扉に突っ込んだ。

多少の痛みはあるがいつか掴める自由に比べればなんてことない。


扉に突っ込み鍵が開いていないことを確認すると、次の手段にでた。


作戦2


いつだったかボロすぎて浴室の床の板が剥がれたことがあった。

残念ながら剥がれた場所には更に木が重ねてあって脱出は叶わなかったが、その剥がれた木の板でとにかく部屋中を叩きまくった。



『おりゃ!』



まぁ、あんまり見栄えのよくない脱出作戦だけどしょうがない。

案外強いこの木の板は普段剥がれた所に戻してルキアから隠していた。

脱出しようとしているのがバレたらとことん止めてくる人だから。


こうしてルキアがいなくなったタイミングを見計らい脱出を試みてきた。


未だに成功はしていないがいつか絶対脱出出来ると信じている。



そう思いながら今日も私は木の板を持って暴れまくった。




『はぁ…はぁ…ボロそうに見えて、なんでこんな頑丈な小屋なのよ…』



ベッドの軋む音、床を歩くたびになるギシギシという音、天井が落ちてきそうな軋む音、そんなボロボロな状態だというのに案外頑丈なこの小屋に何度も心を折られていた。



『ふぅ…駄目よ、私。諦めちゃ駄目。いつか必ずここを出てやるんだから。そうしてルキアが普段何をやってるのかこっそり見てから遠くの世界へ旅出るの。そうこの絵本のように、街を超えて海を超えてたくさんの人々に会うの。そうよ、そうでしょ私』



そっと自分に言い聞かせて、再び見た目によらず頑丈な壁に戦いを挑みに行く。

そうして長い時間を過ごし、私はついにベッドに横になった。


木の板を元の場所に戻しベッドの傍に置かれている白黒の絵本を手に取る。

何度も読んで所々破れているその分厚い本を適当に開くと、私はその本を顔の上に乗っけて静かに目を閉じた。



『はぁ……今日も駄目だった…また明日、明日になったらボロ小屋も壊れやすくなってるかもしれない。そうね、明日…また…』





こうしていつものように私の意識は遠のいて行く。

ガタガタと音を立てるその扉はいつの間にか静かになっていた。
























ーきろ、起きろー

















意識が途切れる瞬間、誰かに呼ばれている気がした。




けど、きっとまた夢の中だと思った。


















そう、こうして目を閉じればきっと、またあのユニコーンが私を-----





















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る