妖の里.1


 目覚めたのは昼過ぎ。部屋に差し込む日差しが充分に明るいことに凍華は慌てて身を起こした。


「しまった、寝坊をしたわ。早くしないと叔父さんに殴られ……」


 そこまで言ってはたと言葉をとめ、周りを見回す。

 見慣れない部屋の広さは六畳ほど、隅には文机と箪笥が一竿あり、行灯の火は消えていた。


「そうだ、私、廓に売られ……そのあと」


 殺されかけたのだと思い出し、両腕で自分を抱きしめる。そこで初めて、肩から掛けられていた羽織の品が随分良いことに気がついた。

 廓で着せられた長襦袢を覆い隠すように着せられた羽織は、綿がしっかり入っていて充分に暖かい。衣文掛けには橙色地に赤い南天の小紋の着物が掛けられており、半幅帯も一緒に置かれていた。これに着替えろと言うことだろうか、と思うも、腕を通したこともない立派な着物に躊躇してしまう。


「布団も上質なものだわ」


 雨香達が使っているものより綿がぎゅっと詰まっている。その布団から出て、窓を二寸ほど開け外を覗き見た。

 

 よく手入れされた庭園の真ん中に砂利道が一本。そのわきには松や椿、今はもう花を落としてしまったけれど金木犀が植えられ、奥のほうには楠の木が枝を伸ばしている。


 冬のこの季節に咲く花はほとんどないけれど、それでも綺麗な庭だった。


 凍華は長襦袢に羽織り姿でいつまでもいるわけにはいかないと、躇いながらも小紋に袖を通し、帯を巻く。


「昨日私を助けてくれたのは、妖、よね」


 妖狩りの正臣、と言う男が珀弧と呼んでいた。

 忌々しい青い目とうねる髪を綺麗だと言われたことを思い出し、髪を摘まんで見るも、やはりそれは美しくは見えない。でも、ちょっとだけ好きになれたような気もする。

 

「私は人間ではない。母は人魚だったということ、よね」


 ひとつずつ、昨日知ったことを反芻し、頑張って飲み込んでいく。

 それは苦しいことだったけれど、どこかすとんと腑に落ちた。

 今まで、人とどこか違うと思っていたけれど、人魚の血を引いていたことが理由だと知り、それは衝撃的で、信じられないことだったが自然と納得もできた。

 それこそが、自分が妖の血を引くせいかもと、凍華が小さく笑うと、障子の向こうから幼い声が聞こえてきた。

 

「笑っ……よ」

「僕も……」


 障子に三尺足らずの影が映っており、それが小さな手足をひっきりなしに動かしている。どうやら覗き見をしていて、良く見える場所を取り合っているようだ。

 やがて、障子が少し開き丸い目玉が四つ現れるも、凍華と目が合うと慌てたようにぴしゃんと閉まってしまった。


「おいで」


 畳に膝をつき手招きすれば、おそるおそると障子が開き、同じ顔をした子供が二人跳ねるようにして駆け寄ってきた。


「お姉さん、花嫁さん?」

「珀狐様の花嫁さん?」


 パタパタと尻尾を左右に振り、頭の上の狐耳をピンと立て興味津々と凍華を見上げてくる。

(花嫁さん?)


「珀弧様、やさしい。妖狩りから妖を守って保護する」

「でも、この屋敷に招いたのは花嫁さんが初めて。だから花嫁さん」


 わいわいと手を挙げ凍華の周りを走り出す二人に、どう声をかければよいかと悩んでしまう。「あ、あの、花嫁さんじゃない……」と言いかけたところで、一人が凍華の腕を掴んで鼻を付けた。


「花嫁さん、人間の匂いがする」

「半分だけ人間の匂いがする」

「お姉さん悪い人?」

「僕たち殺されるの?」


 物騒な言葉が可愛い口から出たことに焦りながら、凍華は思いっきり頭を振る。


「悪い人じゃないし、殺さないわ」

「約束だよ。花嫁さん名前は?」

「凍華。それから、私は花嫁じゃないわ」

「僕、ロン」

「僕、コウ。よろしくね。花嫁さん」


 花嫁ではない、ともう一度言おうとして凍華は息を吐く。この二人、どうも聞く気はないようだ。


「えーと、こっちがロンで、こっちがコウね」


 凍華が二人を指差し確認すると、ロンとコウは目を見合わせいたずらっぽく笑ったかと思うと、くるくるとその場で追いかけっこを始めた。

 まるで子犬が自分の尻尾を追いかけるように、それぞれが相手の尻尾を掴みどんどん速さを上げていく。


(目が回りそう)


 凍華がくらりとしてきたのを見計らったように、二人はピタッと止まり両手をあげた。


「「どっちがどっちだ?」」

「ええっ!」


 二人とも、紺地に草模様の着物。子供がつけるヘコ帯の色も同じ緑で、背丈も一緒。銀色の髪から出ている耳はびくぴく、と尻尾はぱたぱたと嬉しそうに動いおり、琥珀色の瞳を細めて笑う顔も見分けがつかない。


「えーと、ちょっと待って」

「待たないよ」

「どーちだ」


 ぴょんぴょん跳ねる様子は可愛らしいのだけれど、これは困ってしまったと眉を下げていると、障子の前に大きな影が映った。

 すっと障子が開き現れた珀弧は、コツンコツンと二人の頭を叩くと、ロンとコウは同時に「痛っ」と叫び頭を撫でる。


「お前たち、起きたら教えに来いと言ったはずだ」

「珀弧様! 花嫁さんと遊んでいたの」

「珀弧様! どっちがどっちかあてっこしてたの」


 はぁ、と珀弧は袂に腕を入れ嘆息すると、言い含めるようにゆっくりと話した。


「その人は花嫁さんじゃない。俺は凍華に話があるから、お前達は凛子に食事の用意をするよう伝えてこい」

「「あい!」」


 ロンとコウは、分かったとばかりに右手、左手をそれぞれ上げると、我先にと部屋を出て行った。

 ふさふさの尻尾を見送る凍華の前に、珀弧が座り胡坐をかく。

 月明かりの下で見たときも整った顔だと思ったけれど、日の差し込む部屋で見れば、息をのむほど綺麗な顔をしている。凍華は居住まいを正し、畳に指をつき頭を深く下げた。


「助けて頂きありがとうございます。……あの、ここはどこでしょうか?」


 思えば部屋に火鉢がないのに暖かい。部屋の作りも庭も特段変わったところはないのに、どことなく浮世離れしたものを感じる。

 

「ここは妖の里。人間たちは自分達の住まいを『現し世うつしよ』ここを『隠り世かく』と呼んでいる。俺はこの屋敷の主で珀弧と言う名の妖狐だ。妖狐、は分かるか?」

「狐、でしょうか」


 自分に人魚の血が流れているのだ、いまさら目の前に狐や狸が現れても驚かないと、腹に力を入れるも、目の前の男はあまりにも美しい。

 だから珀弧が「そうだ」と答えるも、尻尾や耳もないので俄に信じられずまじまじと見てしまった。


「何を見ている?」

「尻尾も耳もございません」

「ははっ、俺は子供じゃないから、ロンやコウと違い普段は隠している。二人は自己紹介をしたか?」 

「はい。聞きましたが……見分けがつきませんが」


 正直に堪えれば、珀弧はくつくつと喉をならし笑った。

 整い過ぎた顔でとっつきにくい人だと思っていた凍華は、意外な様子に目を丸くしつつ、ほっと胸を撫でおろした。どうやら怖い人ではなさそうだ。


「それで、幾つか質問をしたいのだが良いか」

「私に分かることでしたら、なんでもお答えいたします」


 節目がちに答えるのは、もはや癖といっていいだろう。

 青い目を殊更嫌う雨香達に、話すときには目だけではく頭もさげるよう強く言われていた。

 珀弧はそんな様子に僅かに眉を顰めつつも、やせ細った身体から察するものがあるのか、そのまま言葉を続けた。


「答えたくないことは言わなくてよい。まず、どうしてあの場であの軍人に追われていたのだ」


 それを説明するには凍華の育った環境から全て話す必要がある。

 凍華は言葉に詰まりつつ、両親を亡くし叔母に引き取られたこと、従兄妹の学費のために遊郭に売られ、そこにいきなり妖狩りが現れたことをかいつまんで話をした。


 かなり端折ったけれど、人と長く話をしたことがない凍華にしては頑張ったし、うまく説明できた、気もする。

 しかし、話を聞いた珀弧は何も言わず「うーん」と唸るばかり。

 説明か悪かったのかと、恐る恐る髪の隙間からその表情を覗き見れば、ばちりと目が合い慌てて頭を下げた。


「まず、顔を上げてくれ。俺は詰問をしているつもりはなく、話がしたいだけだ」

「はい」


 言われ畳から額を上げるも、相変わらず背は丸まり、顔は下を向いている。

 珀弧は凍華の隣に座り直すと肩に手を当て、背をぐっと伸ばした。

 突然のことに凍華が驚き顔を上げれば、間近に迫った琥珀色の瞳がにかりと笑う。


「この方がよい。この家では背を丸めるな。顔を上げろ。話をするときは相手の目を見る。ちなみにこれは命令ではなく、俺の頼みだ」


 とっつきにくい顔が、急に親しみのあるものに変わり凍華は狼狽えた。しかも距離が近い。


「か、畏まりました」


 真っ赤な顔で答え、恥ずかしさから下を向けば、顔を上げれと言われてしまう。

 

「あ、あの。珀弧様、少々離れていただくわけにはいきませんか?」

「あっ、これは失礼した。怖い思いをした女性に失礼だったな。不快だったであろう」

「そのようなことは……ございません」


 少々心臓が煩くなるだけ、とは言えず口籠る様子を、珀弧は勘違いしたようですぐに元の場所に座り直した。

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