蒼月書店の奇々怪々Ⅱ ー日月の夢幻ー
望月 栞
第1話
私はグラスに伸ばしかけた手を止めた。
「えっ?」
目の前にいる友人の言葉に、耳を疑った。近くのテーブル客の騒がしい声で聞き間違えたのかと思った。
「やっぱり、びっくりするよね。でも、本当なの。私、前園店長と付き合うことになったんだ。ずっと片思いしてたの」
若菜は照れくさそうに言った。
「・・・・・・そうなんだ」
どうにか言えた言葉が、それだ。居酒屋の喧噪の中では、聞き取りにくかったかもしれない。
「もちろん、みんなには秘密だけど、梨江には言っておいた方がいいかなと思って」
彼女は嬉しそうに顔をほころばせた。
「それからね、前園店長が別の店舗に異動になるのはみんな知ってるけど、私達の店舗の店長を私が担当することになったの」
「えっ?」
また、同じ反応をしてしまった。
「昇進ってこと?」
「うん。春から店長になります!」
満面の笑みで彼女はそう言ってのけた。友人ならすぐに祝ってあげるところなんだろうけど、私はぎこちなく笑っただけで、何も言えなかった。
パタパタと、小さい背中が駆けていく。私はその後ろ姿を眺める。
「桃子! ちょっと待って」
歩きながら、お姉ちゃんが呼び止めた。もうすぐ四歳になる姪はくるっと振り返り、その場でジャンプした。おもちゃを買ってもらえるとなると、テンションが上がるのを抑えられないようだ。
「早く行きたくてウズウズしてるのね」
「ごめん、急かしてて」
「まぁ、そうなるよ」
桃子の誕生日が近い。そのため、私からのプレゼントとして、おもちゃを購入するために私達はチェーン店のおもちゃ屋に来た。店内は広く、見失わないように私は桃子と手を繋いだ。
「ちょっと、向こうを見てきてもいい?」
私が頷くと、お姉ちゃんは店のカゴを持って衣料が陳列されている方へ向かっていった。
桃子はというと、色々見たいようで私の手を引っ張り、人形やら、電車や車のおもちゃやら、プリンセスのドレスやら、男女関係なく、様々なものに興味を示した。おもちゃだけでなく、自転車にまで手を触れている。周囲にいる子供達も似たような様子だった。
もし、結婚して子供が出来たら、こんな感じなのか。
桃子は会うたびに少しずつ出来ることが増えている。そんな桃子と、大変な子育てを頑張るお姉ちゃんの様子を見ていると、そんな風にいつも感じる。自分がアラサーという年齢のせいもあるだろう。
桃子はキョロキョロと目移りして様々なおもちゃを手に取りながら、一つに決めようと厳選している。この子が楽しそうに笑うと、私も自然と笑えた。
桃子と一緒にいる間は、辛いことも忘れることが出来た。
若菜に好きな人のことを打ち明けたことはなかった。でも、まさか同じ人を好きになっていたなんて気付かなかった。若菜からもそんな話、今まで聞いたことはなかった。
そのショックがあってか、昇進の話も素直に祝えなかった。好きな人と結ばれて、しかも仕事も順調なんて。たしかに若菜は明るくて優しいし、誰からも好かれるような性格だけど、それでも・・・・・・。
未だにショックを引きずったまま、私は仕事を終えて家路を急ぐ。
地元の駅を降りて十分ほど歩き、もうすぐ家が見えるところで、見覚えのない建物が目に入った。古民家のようで、明かりがついている。気になって近付いてみると、『蒼月書店』と看板に気付いた。店先には満天(ドウダン)星(ツツジ)が咲いており、そのそばにある立て看板にはドリンクメニューが書かれている。どうやら、店内で本を読むことが出来るようだ。
こんな本屋、今まであっただろうか。
飲んで色々忘れたい気分だったが、本屋で働いている私としては、そのまま素通りすることは出来なかった。立て看板に記載されている営業時間を確認したが、今は閉店時間の三十分前。まだ、大丈夫だ。
私は出入り口の扉を引いて、中へ入った。
「いらっしゃいませ」
出入り口の近くにカウンターがあり、品の良さそうなグレーの髪のおばあさんが柔和な微笑でそこにいた。洋服にエプロン姿だったが、着物が似合いそうな人だ。よく見ると、翠色の瞳をしている。カウンターの脇にある椅子には、グレーの毛並みの猫が品良く座っていた。ロシアンブルーの猫っぽく、こちらは瑠璃色の瞳をしていて、美人な・・・・・・いや、美猫だ。ここで飼っている猫だろうか。
店内出入り口そばの陳列棚には、新刊本や話題の本が並んでいる。一通り見てから奥の方へ足を運ぶと、その辺りには珍しい本がそろっているようだった。二階へと続く階段もあり、上は飲食スペースのようだが、今は私以外に客はいないようだ。
「いらっしゃいませ」
引き戸の音と共に、再びおばあさんの声が聞こえた。振り返ると、落ち着いた茶髪の男性客が入店していた。童顔で若く見えるが、もしかしたらアラサーの私と同じくらいかもしれない。
私はそのまま店を出るのは気が引けて、平積みされている本の中から見つけたエッセイを一冊手に取った。女性漫画家のエッセイでいくつかシリーズが出ているが、私が普段から読んでいる本だ。今読んでいるものを読了してから次のものを、と思っていたが、ついでだ。これを買っていこう。
私はそれを持ってレジへ向かったが、いつの間にかおばあさんがいなくなっていた。店内を見渡したが、新刊本の棚にいる男性客以外、姿が見られない。どうやら、レジカウンターの奥のバックヤードに行ってしまったようだ。
持っていたエッセイをカウンターに置こうとしたが、そこにはすでにハードカバーの本が置かれていた。えんじ色の表紙にタイトルはなく、金色の太陽と白銀の月が描かれている。見たことのない本だ。
なんとなく気になり、エッセイを置いてその本の表紙をめくった。
シャーッ!
急に聞こえた声に振り向くと、床に降りていたグレーの猫が毛を逆立ててこちらをじっと見ていた。入店したときは何ともなかったのに、今は怒っているのか、あるいは警戒しているのか・・・・・・。
「あらっ」
視線を移動すると、バックヤードからおばあさんが出てきているのに気付いた。翠色の瞳を見開いて驚いた表情をしている。
「その本は・・・・・・」
その先の言葉は何も聞こえなかった。突然、視界が暗転した。
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