第五話 逃れられぬ定め

 八


 あの時の少女が成長し、今、俺の隣で穏やかに色とりどりの花を眺めている。俺はこの時間がひどく心地が良かった。俺は目の前に咲く花をまた一つ千切って、太陽の光にかざす。この花は何も救わない。あの時摘み取れなかった純白の花の代わりに、この様々な色を内包した美しい色彩の花を手で弄んだ。花弁をとってそのまま手を離すと、それは風に乗って天高く舞い上がる。それを見届けてからふとトゥーの方を振り返れば、彼女もまた俺を見ていた。俺達はそれに何となく笑いあう。


「あーあ」


 トゥーは気の抜けた声を上げながら、また視線を花々に向けた。


「この景色も、イエンは二度と見れなくなるのかしらね」

「俺が結婚するからか」

「そう。私が貴方の妻になれるのならば、何度でも貴方を外へ連れ出すというのに。そしてまた、貴方とこの一面の花を見ることができるのに」

「君は、俺の妻に選ばれなかったのだな」


 俺が呟けば、トゥーは小さく頷いた。

 墓の守り人の配偶者は村からくじで選ばれるものだ。村で生きてきた者にとって、顔も知らない墓の守り人と結婚し、さらに二度と墓地の外に出られないとなれば、それはひどく悍ましいことであった。かつて配偶者の座を村で押し付け合い、挙句の果てには刃傷沙汰まで起こってしまったため、現在はこのような慣習が採用されている。


「君は、誰が俺の妻となるのか知っているのか」

「知らないわ。だって私、村にちっとも馴染めていないもの。村では私、いつも一人で、誰とも話さないし、友達だって貴方以外いないわ。最近村がやけに慌ただしいから、多分誰を貴方に嫁がせるか、そろそろ決まったのだと思うのだけれど」

「そうか」


 俺が頷くと、トゥーはどこか不機嫌そうな顔で俺を睨む。


「なによ、貴方と生涯を共にする人が決まったかもしれないっていうのに、貴方随分平然としているのね。それとも女を抱けるからって浮かれているの?」

「まさか。ただ、それは墓の守り人として生まれた時より定められていたことだからな。今更どうとも思わない。墓の守り人は子供を産み、必ず次代に血を繋がねばならないものだ」

「見知らぬ女じゃなくて、恋した女と契りたいって思わないの?」

「墓の守り人は生者を守るためだけに生きている。己の欲望のためじゃあない」


 俺が断言すれば、トゥーは大きくため息をついた。俺は口を閉ざし、眼前に広がる花々を平静な心地のまま瞳に焼き付ける。トゥーの言う通り、この光景は二度と目にすることは出来ないだろうから。ただ、たとえそうであろうとも、それでも俺は己が墓の守り人であることに誇りを持っていた。死を無意味なものと定義し、そのためだけに生涯を捧げる墓の守り人を憐れむ人も多いことだろう。いや、多くの人々は墓の守り人を憎み恨んでいるに違いない。それは、妹を失ったかつてのトゥーのように。死者に咲く花を手に入れさえすれば助かる命を、俺達は見捨てているのだから。それでも俺は自らの命をもってして、禁忌だけは犯さず墓の守り人の信念を貫こう。


「……トゥー、そろそろ戻ろう」


 だから、もう十分だった。

 俺は彼女の手を握り絞め、彼女も俺の手を握ったまま放さない。この明るく広い世界が愛しかった。穏やかで、優しくて、死者の眠らない大地に生きる花は壮麗であった。だからこそ俺は戻らねばならない。純白の花が咲き誇り死者が眠る、閉ざされた沈黙の大地へと。

 来た道を辿り、俺とトゥーは共に墓地へ歩いて戻る。その道中、俺達は何も言葉を交わさなかった。しかし手だけは決して離してはなるものかと、指を絡め、互いの体温を分けあい続けた。俺達は暫くの間はそうしていたものの、なにやら向かう先が騒がしいと感じて足を止める。背筋が震えるような寒気を感じ、俺はぶるりと震えあがった。


「イエン、声が聞こえるわ」

「あぁ、明らかにおかしい……トゥー、急ごう」


 俺達は短い会話を交わしてから走り始める。風を切り、芝生を踏みしめ、しかしその時はまだいやな感じがするだけで、本当に起こっていることは知らなかった。

 故にその光景を捕らえた時、俺は喉が張り裂けんばかりに絶叫を上げた。墓地には刃物や純白の花を握った大勢の村人達が押しかけており——血の海にフアが倒れていた。


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