第57話:別れ

天文21年7月15日:近江観音寺城:前田右京太夫利益20歳視点


「お爺様、死なないで!」


 百合が悲痛な声で訴える、義祖父殿の死が受け入れられないのだろう。

 義父殿と養父殿の話では、百合は御祖父ちゃん子だったようだ。

 今直ぐ死ぬ訳ではないが、死病に侵されているのは間違いない。


 信長から義祖父殿が膈だと文をもらって、急いで観音寺城に駆け付けた。

 関東は家臣達に任せれば大丈夫、上杉兵部少輔ごときでは奥村武蔵介と青鬼のコンビには勝てない。


 信長は、俺が安心して義祖父殿に会いに来られるようにしてくれた。

 これまでは無理難題を言って手元に置いていた青鬼を戻してくれた。

 奥村武蔵介と青鬼が江戸城にいるから、安心して観音寺城に来られた。


 義祖父殿の死に立ち会えたのは、百合と俺と子供達だけではない。

 嫡男である養父殿、次男の駿河守殿、百合の実父である義父殿。

 養父殿達とは仲が悪いが、兄弟である事は間違いない、又左衞門たち3人もだ。


 最後の刻を安心して過ごすために、やれるだけの事をやった。

 奥村武蔵介に策を考えてもらい、使えるモノは全部使った。

 病の床にあった義祖父殿も一緒に考えてくれた。


 六角と三好の影響が大きい甲賀と伊賀を切り崩した。

 有力な者達は、城地を持ち代々の恩や血縁があって切り崩せない。

 だが、そんな有力者に使われている者達には何もない。


 城地を持たず、働きに応じて銭を与えられるだけの大多数を切り崩した。

 兄や叔父に奴隷同然に使われている者達に、土地を与えて引き抜いた。

 銭で召し抱える足軽ではなく、地侍として武家地を与えた。


 足軽の甲賀組や伊賀組ではない、地侍の甲賀衆と伊賀衆だ。

 彼らが兄や叔父を裏切ってやってきたのは、俺が甲賀の出身だからだ。


 俺がこれまでに召し抱えてきた甲賀衆と伊賀衆に正当な褒美を与えて来たからだと、義祖父殿が言っていた。


 甲賀衆と伊賀衆には、越前の朝倉と加賀の一向一揆の不信を強めさせた。

 朝倉家の者達、いや、越前の住む全ての人たちに、石山本願寺は嘘の和議を申し込んで騙し討ちする気だという噂を広めさせた。


 十分に噂が広まった頃を見計らって、両国の国境にある村を襲わせた。

 甲賀衆と伊賀衆に焼き討ちや盗み働きを繰り返させた。

 越前と加賀、両方にある村を襲わせた。


 もちろん、越前では一向一揆が国境を越えてやっているという噂を流した。

 加賀では朝倉の手の者が国境を越えてやっているのだという噂を流した。

 これでは石山本願寺や三好が間を取り持とうとしても、どうにもならない。


 宗主が命じようと、石山本願寺の実権は欲深く恩を仇で返す蓮淳が握っている。

 これまでと同じように、それほど忠誠を尽くしても無駄。

 散々利用した後で破門されるだけだと誰もが知っている


 義祖父殿と武蔵介の賢さには感心する。

 俺ではこのような策は思いつかない。

 他にも色々な策を考えてくれた。


 次に石山本願寺が根来衆と雑賀衆を使えないように、銭で雇って遠く離れた地で戦わせるようにした。


 俺の名前では雇えないかもしれないので、事も有ろうに将軍の名を使った。

 将軍の名を使って、遠く離れた上野で戦わせた。

 関東管領を詐称する上杉兵部少輔を討てという御教書を銭と一緒に送った。


 根来衆と雑賀衆も、将軍家の公的文書で命じられ、銭まで送られては断れない。

 断れば将軍の命令に背いた事になり、討伐されても仕方がない。

 根来衆と雑賀衆は、大義名分を得た信長と俺を敵に回すほど馬鹿ではない。


 彼らも必ず負けるとは思っていないだろうが、俺達が一筋縄ではいかない強敵だとは理解しているはず。


 彼らと織田勢は同じ戦場で肩を並べて戦った仲だ。

 信長が創り出した長柄足軽組と鉄砲足軽組の強さを分かっている。


 俺の事は知らないだろうが、青鬼の強さは嫌というほど見せつけられている。

 その青鬼と互角に戦う斉藤新九郎と、青鬼より強い俺がいる。

 そんな俺達と戦いたいと思っている者は少数だ。


 戦って勝てたとしても、多くの者が死傷する。

 幼子を抱えて夫を失った女にどんな運命が待っているのか……

 死傷する畏れの高い戦をしたい者は少ない。


 根来衆と雑賀衆にとって、利が多く確実に勝てる戦いに雇われるのが理想だ。

 信長や俺に雇われる戦いは、そういう戦いだった。

 だが、石山本願寺に命じられる戦いは、利がなく勝ち目も薄い戦いだ。


 知恵のある根来衆と雑賀衆は、石山本願寺の命を断れる理由を探していた。

 将軍の命で上野で戦っているというのは良い断り文句になる。

 狂信的な一向衆以外は喜んで上野に向かった。


 根来衆と雑賀衆が関東で上杉兵部少輔の相手をしてくれた。

 お陰で百合と俺は安心して義祖父殿の死に水を取れた。

 信長も、何時ものせっかちな性格を出さずに義祖父殿を看取らせてくれた。


 信長はああ見えてとても情が厚いのだ。

 それに、今回に限っては、刻は信長の味方だ。

 俺はまだ余裕があったのだが、信長は軍資金が苦しかったのだ。


 鯨油と塩鯨、鰯油と干鰯が売れないと、兵を動かす事ができない。

 そんなギリギリの状態で、美濃を切り取っていた。

 近江は俺の銭を使って雇った根来衆と雑賀衆がいなければ、切り取れなかった。


「殿、上様が御隠居様のお見舞いに来られます」


 信長も毎日のように見舞いに来てくれる。

 義祖父殿にこれからの策を聞くためだと言っているが、それだけではない。

 それだけの為なら、家臣にやらせるか俺に伝えに来いと命じるだけで良い。


 毎日家臣の屋敷に見舞いに行くなんて、刺客を送ってくれと言っているのも同然なのに、誰に何を言われてもほぼ毎日見舞いに来る。


「出迎えるぞ」


 さて、喪が明けたら上洛かな?

 それとも、敵が仕掛けて来るまで待つのか?

 義祖父殿の見立てでは喪が明けて直ぐに上洛だが……

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