第26話:周産期の心配

天文17年7月27日:那古野城:前田慶次16歳視点


 信長には、本宿に援軍をすると約束したが、俺はやらない。

 家臣に水軍を任せて、近くの湊を襲わせるだけだ。

 愛する百合が命懸けの出産をするのに、手伝い戦などできるか!


 それに、今川義元とは人質の身代金を交渉している途中だ。

 義元の軍師である太原雪斎と腹心の朝比奈泰能を捕らえている。


 冷酷非情と評判の今川義元だが、今回は人質を見捨てられない。

 2人を始めとした多くの重臣を見殺しにしたら、家臣の信頼を失う。


 そう義祖父殿と奥村次右衛門が言っていた。

 2人揃って言うのだから間違いない。


 時間をかけて交渉している間に、これまで以上の足軽を集める。

 小豆坂の合戦でも武名を挙げたので、いくらでも足軽が集まる。

 足軽だけでなく、馬を自前で持っている騎馬武者も徒士武者も集まった。


 そんな武者や足軽を使って、毎日漁をやらせた。

 舟に乗っても酔わないように、揺れる舟の上でも戦えるように、舟に慣れさせた。

 

「おんぎゃあ、おんぎゃあ、おんぎゃあ、おんぎゃあ、おんぎゃあ」


 子供が生まれた!

 俺と百合の初めての子、龍千代が生まれた!

 この子が安心して暮らせるように、敵は全て殺す!


 太原雪斎と朝比奈泰能を人質として止め置く事で、合戦が始まらないようにする。

 そう考えて2人に3000貫文ずつ、他の人質も10貫文から500貫文もの高額な身代金にした。


 義祖父だけでなく、荒子譜代衆にも相談して、かなり高い値段にした。

 なのに、今川義元が全額払うと言ってきた!


 今更値段を釣り上げるのは恥なので、しかたなく銭と人質を交換した。

 織田家が支配している安祥城と松平家が支配している岡崎城の間、矢作川の所にまで人質を連れて行って銭と交換した。


 俺は9000貫文もの大金を手に入れた。

 だが、その分、本宿城の安全を失ってしまった。

 だから、再度家臣に三河の湊を襲わせた。


 以前襲った鳥羽川の湊から三谷の湊までを、もう一度襲わせた。

 もう奪う船や網はないが、敵の面目を潰す事はできる。

 これで三河の有力な今川方国人、鵜殿家を本宿攻略に使えなくなる。


 更に東にある八月家、佐脇家、本多家、岩瀬家の小さな湊を襲わせた。

 俺が先駆けをできないのに、家臣に無理はさせられない。

 実際に上陸しなくてもいい、沖合に現れて敵を引き付けてくれれば十分だ。


 何時上陸して襲ってくるか分からないとなると、領地を離れる事はできない。

 今川義元も松平広忠も、国人地侍に本宿を襲えとは言えない。


 むしろ援軍を送らないといけなくなった。

 襲われている味方の国人地侍に援軍を送らないと、忠誠心を失ってしまう。

 頼りない、当てにならない主だと思われてしまう。


 水軍衆は毎日出陣して、牛久保六騎と呼ばれる牧野家の寄騎、岩瀬、野瀬、真木、山本、稲垣、牧を海岸線に引き付けて消耗させてくれた。


 水軍衆は更に足を延ばして渥美半島も襲ってくれた。

 危険な城攻めなどは行わず、漁師村の有る浜に上陸して小舟を奪ってくれた。

 今川方の国人地侍が陸を右往左往していたそうだ。


「旦那様、私の事は大丈夫でございます、どうか出陣されてください」


「いや、子供を生んでしばらくは危ないと聞いている。

 何かあってはいけない、何ができる訳でもないが、手を握って励ます事くらいはできる、だから絶対に側を離れない」


「本当に大丈夫でございます、安心されてください。

 荒子の義母様も来てくださっています。

 女中の数も以前の十数倍になっています、何の心配もありません」


「何の心配もないわけがない、現に俺が心配でたまらない」


「私の事を想い、心配してくださってありがとうございます。

 旦那様のような優しい殿方と結ばれた私は幸せです。

 殿様に頼んで蜀江錦を手に入れてくださった事も、うれしく思っています。

 だからこそ、私の所為で旦那様の武名に傷がつく事が怖いのです。

 女房を優先して戦に出なかった、などと言う悪評を立てさせられません」


「それは悪評ではない、俺が百合を心から愛している証拠だ。

 誰が罵りに使おうと、俺には誉め言葉でしかない」


「旦那様……そこまで想ってくださるのはとてもうれしいです。

 ですが、私にも妻としての誇りがあります。

 旦那様を尻に敷く悪妻と呼ばれるのは絶対に嫌です。

 旦那様を戦に行かさず、小間使いのように使うと言われるのは嫌です。

 どうか御願いします、私が悪く言われないように、戦に行ってください」


「百合の悪口を言う奴は絶対に許さん、俺が叩き殺してやる!」


「旦那様、他人が悪口を言うだけではありません。

 私自身が自分を許せなくなってしまいます。

 どうか御願いです、私の事を本当に愛しておられるのでしたら、側にいるよりも戦に出てください、お願い致します」


「百合がそこまで言うのなら出陣はする、出陣はするが、遠くには行かん。

 その日のうちに戻って来られる場所にしか行かん」


「それで殿様と約束された本宿の援軍ができるのですか?

 旦那様の武名に傷をつけずに済ませられるのですか?」


「大丈夫だ、城の3つ4つ落としてやれば、今川も松平も本宿になど構っていられなくなる、安心しろ」


「旦那様が約束してくださるのなら安心でございます」


「俺は百合との約束は絶対に破らない、だから安心していろ」


「はい、安心して待たせていただきます。

 何か食べたい物はございますか?

 旦那様の出陣祝いに料理を作らせていただきます。

 勝利を祝う料理を作ってお待ちしております」


「駄目だ、産後の百合に料理などさせられない、絶対に駄目だ!」


「分かりました、私は作りません、誰か他の者に作らせます。

 だから、何が食べたいのか言ってください」


「そうだな、だったら、以前教えた小田巻き蒸しを作れるようにしておいてくれ。

 卵をたくさん用意させておく、百合も一緒に食べよう」


「はい、旦那様が作ってくださって大好きになりました。

 明日お帰りになられたら一緒に食べましょう」

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