6-3
あれは、二年の春先だった。
翔馬が違うクラスの女子から手紙を受け取ったのだが、それが和都宛だったことがある。
いつも溜まり場にしている屋上で、翔馬がその手紙を渡したところ、
「……他人を使ってる時点で、なし」
和都は一言そういうと、その手紙の中身を見ることもなく、ビリビリに破いて捨ててしまった。
祐介も度々そういった手紙を受け取っては、和都に渡していたが、破り捨てる紙ゴミが増えるだけで、彼は一切読まなかった。
直接渡そうとしても受け取らないし、下駄箱に入れても即ゴミ箱行き。ひどい時は下駄箱付近の掲示板にずらずらと貼り出していたこともあった。
そのためよく一緒にいる祐介や翔馬は「渡してください」と代理で受け取ることが多いのだが、それも読まないのだから、彼の拒絶っぷりは凄まじい。
「えー! めっちゃ可愛い子だったぞ?!」
「じゃあショーマが代わりに付き合えばいいじゃん」
「いや、それはさすがに無理だろ」
翔馬が答えると、和都はふんと鼻を鳴らして「図書室行く」と屋上から出て行ってしまった。
「ちぇー、今回もダメかぁ」
翔馬はそう言いながら、のっそりと立ち上がる。祐介も立ち上がり、図書室に行ってしまった和都を、二人はのんびりと追いかけるように屋上を出た。
「やっぱ、女が苦手ってことは、アイツもしかして、男のほうが好きだったりすんのかな?」
「今時珍しくはないが、その辺は聞いたことないから俺も知らんぞ」
「そっかー。もし男が好きだった場合は、どういう奴がいいんだろうなぁ」
祐介に言われ、翔馬は困ったなぁと腕を組んだ。普段一緒にいることは多くとも、さすがにそういった好みの話はしたことがないので分からない。
うんうんと唸る翔馬を横目に、祐介はふと疑問に思ったことを口にした。
「翔馬、お前はなんでそんなに和都に恋人を作らせたいんだ?」
「えー? いやほら、恋人でも出来たら『死にたい』とか『殺してくれ』なんて言わなくなるかなぁって思ってさ」
翔馬には、以前和都に『殺してほしい』と言われたことを話してあり、翔馬自身も、和都が一人街中を
それからは、翔馬と二人で彼の気持ちが塞いでしまわないよう、勝手に死んでしまわないよう、側にいることが増えた。
「こうほら『好きな人のためにも生きなきゃダメだろー?』って言えるじゃん?」
「まぁ、方法の一つではあるが」
「アイツこないだ、今読んでる本……なんつったけ、お前も読んでる奴!」
「あー『銀貨物語』か?」
『銀貨物語』は、彫刻師の父親の形見であった不思議な銀貨を奪われた少年が、それを取り戻すための大冒険に繰り出すファンタジー小説だ。和都とよく話すようになったきっかけも、この本だった。
「そう、それそれ! その本が完結したら死んでもいいや、とか言っててさ。このままずっと完結しないで欲しいなぁとか、思っちゃったよね」
「いや、それは普通に困る」
すでに三〇巻以上出ている本だが、まだ終わる気配はない。とはいえ、完結しないのは嫌だ。
「まー今はその本くらいしかないけどさ。それ以外にもなんか好きなものとか、楽しいこととか、そう言うのがたくさんあれば、アイツも『人生足りないな』ってなるんじゃないかなぁって」
──翔馬はああ言ってたけど、死にたくなる元凶から離さないときっとダメだ。
家族だからと言って、必ず仲良くやっていけるわけじゃない。味方じゃない人間のそばにいたところで、彼が安らげることはないのだ。
自転車の荷台に座ったまま、大人しく暖かい缶のスープに口をつける和都を見つめながら、祐介はそんなことを考えていた。
何本目かの橋の下で自販機を見つけたので、自分は暖かいコーヒーを、和都にはスープ買って休憩がてら飲む。
出発してすぐはあれこれ言っていたけれど、和都はしばらくすると何も言わなくなり、大人しく自転車の荷台に座っていた。
「そろそろ行くか」
「……うん」
飲み終えた空き缶をゴミ箱に放ると、再び自転車に跨って走り出す。
そうやって、自販機を見つけたら少し休憩するという形で何度か立ち止まり、道路橋や人道橋をいくつもくぐった。
以前は通れなかった高速道路が見えてきたところで、祐介は自転車のブレーキをかける。
目の前には、通路を塞ぐように建てられた大きな白い壁。
工事期間を示す看板を見ると、どうやら工事は何度かに分けて行われるらしく、最初に来た時に行われていた工事が終了した後、ちょうど年末に入る前くらいから二回目の工事が始まったらしい。
「……次の工事が始まってたのか」
よくよく見ると、作られている白い壁には細かい模様が描かれていて、春先に見たのとは微妙に異なっている。
関係者のみの出入り口には、ご丁寧にしめ縄飾りがぶら下がっていた。
「少し戻って、向こう側に回らないとだな……」
以前来た時と同じように、少しだけ引き返して普通の道路まで戻る。街に戻る道順は覚えているが、高速道路を越える順路は調べていないからよく分からない。
「調べないと、この先は分からんな」
ちょうど別れ道になる三叉路で祐介は自転車を停めると、スマホを取り出した。
時計を見ると、もう少ししたら日付が変わりそうな時間。
地図アプリを立ち上げ、現在地と周辺地図を確認していると、押し黙っていた和都が口を開いた。
「……帰ろう、ユースケ」
背中に抱きついた声が、ポツリとそう言った。
「これ以上は、巻き込めない」
涙で掠れたように、喉を震わせる。
顔は見えなかった。
でもきっと、泣いているんだろう。肩が震えている。
「巻き込みたくないっていうなら約束しろ。『自分から死なない』って」
スマホを閉じて、そう言った。
黒い世界に、白い息がふわりと浮かんで溶けていく。
「俺は、お前が死ないですむなら、何でもやる。『死にたい』って言わなくなるまでずっと、見張るからな」
「……うん。ありがとう」
感謝の言葉を聞いたのは、この時が初めてだった。
◇
それからなるべく人通りの少ない道を通って、街へ戻った。
ずいぶんと深い時間になっていて、家々の明かりはほとんど消えており、点在する街灯の明かりだけが眩しい。
和都の家に着くと、すぐにシャワーを浴びた。それから来客用の布団はないというので、和都のベッドに二人で並んで、暖め合うみたいにくっついて眠る。
死ぬことは出来なかった。逃げ出すことも出来なかった。
子どもだけの、小さな脱出劇はあっけなく失敗に終わった。
それをこの街の大人は、誰も知らない。
ただ、味方同士の二人で、安心して眠ることだけは出来た。
目覚めると、部屋の中はずいぶん明るくなっていた。
「あ、おはよ」
ベッド脇の床に座って、本を読んでいた和都が、一人ベットの上で身体を起こした祐介に声をかける。
「……おはよう」
一緒に眠ったはずだが、和都の方が先に起きたらしい。昨晩は自転車を漕ぎっぱなしだったので、だいぶ疲れていたのかもしれない。
「今、何時だ?」
「お昼の二時過ぎてる。おれも、さっき起きた」
そう言って和都は本を閉じると立ち上がり、閉じていた部屋のカーテンを開けた。
よく晴れた青い空が見える。太陽はすでに天辺を通り過ぎて、傾き始めようとしていた。
「ねぇユースケ、父さんに会ってくれない?」
「……会う?」
「こっち」
訝しむ祐介の手を引いて、和都は一階に降りる。
玄関から入って一番奥、階段を降りてすぐ近くにある部屋の引き戸を、和都が静かに開けた。何度か家に遊びに来ているものの、物置だからと言われて中は見たことがなかった。
四畳ほどの畳敷きの部屋で、シーズンオフの洋服や普段使わないようなものが置いてあり、物置と言われたらなるほどとなる。
そんな部屋の一角に腰より少し高いくらいの小さなチェストがあって、その上に小さな遺影と位牌が置いてあった。位牌には『神谷清孝之霊位』と書かれており、その隣に目元がどことなく和都に似た、優しく微笑む男性の遺影。
「……命日、今日なんだ。おれしか手を合わせる人、いないしさ」
「そうか」
「お線香とか、鳴らすやつとか、本当は欲しいんだけど、母さんに怒られるから」
そう言って、和都が遺影に向かって両手を合わせ、目を閉じる。
祐介もそれを見て、隣で静かに手を合わせ、目を閉じた。
「……父さんに会いたいって言ったらさ、ユースケが怒るんだ」
しばらくして目を開けると、和都が遺影に向かって、困ったような顔で語りかけていた。
「だから、もう少しだけ頑張ってみるよ」
祐介は和都の頭に手を置くと、そのままワシワシと大きく撫でる。
「……ちょっ! 撫でんなよっ」
「親父さんの代わりだ」
「父さんはそんな乱暴な撫で方しないし!」
「知るわけねーだろ」
ボサボサになった頭を直しながら、和都が抗議するのに対し、祐介は小さく笑って答えた。
「よし、何か食べよ! 何食べたい?」
「じゃあ、炒飯」
「おれとお前の二人分だろー? お米足りるかな……」
二人は言い合いながら部屋を出ると、静かに部屋の戸を閉めた。
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