解雇通達

青山涼子

第1話 滝本美香(部下)目線

滝本保奈美のフラストレーション


 出勤してパソコンにログインするなり、げんなりした。上司の大森真砂子からのメールが三通もたまっていたからだ。どうせ、いつものようにつまんないミスをネチネチと指摘して、やり直しを要求するものだろう。こういうお小言が、どれだけあたしのやる気をそいでいるのか、彼女はわかっているのだろうか? 昨日だってどうにも会社に行く気になれなくて病欠を取ってしまったんだから。


 ――そろそろ限界かもしれない。配属変えを申請しよう。


 そう思い立った時だった。目の前の電話がけたたましく鳴った。電話の主は人事部の浅井雅美課長だった。貴重品を入れた通勤用バックだけを持って、今すぐ来いという。ついに、あの件について、あたしの言い分を聞いてくれるのかもしれない。でも通勤用バックは何で必要なの? そんな事を考えながら、人事部へ急いだ。浅井課長と待ち合わせした会議室を開けると、そこにはなんと大森真砂子も座っていた。思わず「えっ、なんで……」と真砂子に問いかける私を遮るように、浅井が話しを切り出した。


「大変残念ですが、滝本美香さんは、本日を持って解雇となります」


 押しつけられるように渡された一枚紙には『二〇二〇年三月一日付けで解雇』という太文字が踊っている。心臓がドキンと鳴って、底なし沼に落とされたように息苦しくなった。溺れかかった私に浮き輪を投げ込むような慈悲のこもった眼差しで、浅井課長は話しを続けた。


「これは滝本さんの勤務評価とは全く関係ありません。滝本さんには、顧客から預かった機密市場情報の分析をして頂いておりましたが、今後この業務はAIに委託されることになったためです。会社の都合による解雇ですので、退職金に加え、今後半年間は、毎月給与全額が支給されます。更に、人材育成会社、マックス・コンサルティング社が提供する再就職支援のための各種サービスも無料で受けて頂けます」


 AIが私の代わりになる? ガタガタと膝が震え出し椅子に座っているのも辛くなってきたが、声を振り絞って聞いた。


「ということは、同じ部門の他の従業員も全員解雇されるってことですか?」

「他の方の人事情報については、お伝えできません」


 しれっと返した浅井課長を無視し、真砂子に詰め寄った。

「真砂子さんも解雇されるんですか?」

「いいえ。人工知能が全てを対応できるわけではありませんから」

 そう言った後、真砂子に焦りの表情が走ったのを私は見逃さなかった。

「真砂子さんが私を解雇しなきゃいけない理由は、他にあるんじゃないですか?」


 真砂子は苦虫を潰したように黙り込んだ。その表情が全てを語っていた。結局そういうことか。裏切り者を追い出したいってわけだ。

 『大森課長が不必要な仕事のやり直しを強いるため、業務効率が落ち、顧客との関係も悪化している』と、支社長宛てにメールを送ったのは、約二ヶ月前のことだった。考え抜いた末の告発だったのに、支社長からの返事はなかった。それどころか、真砂子の過剰関与はひどくなるばかりで、あたしのストレスは増える一方だった。こないだなんて、月末の忙しい盛りに、「情報漏洩防止強化週間」なんてものを唐突に打ち出し、顧客へメールを送る時の注意点なんてものをくどくど指導された。真砂子の私を見る眼も以前より険しくて、支社長にチクったことを根に持たれている気がした。

 いずれにしても、あたしは真砂子を見くびっていた。自分のキャリアを邪魔する者なら、ここまで容赦なく切るとは思っていなかった。さすが派遣からの叩き上げで課長職まで昇りつめただけのことはある。でも、あたしだって馬鹿じゃない。半年間、働かないで給与をもらいながら、マックス・コンサルティングに再就職を世話してもらうというのは悪い話じゃない。ここで、報復人事だの、不当解雇だのとごねて事を拗らすより、実を取ってさっさと引き下がる方が賢明だ。連日のパワハラのせいで体調も崩れているし休養に入るには、いいタイミングかもしれない。それに細かな数字ばかり扱う今の仕事より面白くてやりがいのある職種がありそうな気もする。

 あたしは真砂子の答えを待たずして、こう言った。


「もう結構です。このまま帰宅しますので、机の中の私物は自宅に送って頂けますか?」

「もちろんです。IDと机の鍵だけ置いていってください。退職関連の書類も郵送しますから、必要事項を記入して送り返してください」


 すっかり業務対応口調に戻っている浅井課長には興ざめだったが、写真の印刷がすり切れたプラスチックと小さな金属片を机の上に落とすと、無言で退室した。エレベーターを降りながら、朝の電話の時点で、通勤バックを持ってこいと指示した浅井課長の段取りの良さに苦笑した。


 ――でもお弁当、給湯室の冷蔵庫に入れたままだ。


 赤いタッパの中味が腐敗し悪臭を放つ頃、真砂子が気づいて顔をしかめる様が頭に浮かんだ。


 ――これは私のミスじゃないからね。文句は浅井課長に言ってよね。


 会社の前で深呼吸をすると振り返らずに歩きだした。


                (続く)

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