【長編版】魔王城に嫁入りした無才王女は、クーデレ魔族王子の溺愛で覚醒する〜未来を見通す力で愛するものを守りぬきます〜
髙 文緒
第1話 無才の少女
「カトリーヌ。無才の余計者よ。お前に、王女カトリーヌ・ド・マルセスとして我がエリン王国に尽くす機会をやろう」
ある朝のこと。
王城の広間で、王が告げた。
壇上には、王を中心にして、王妃、王女、王子が並んでいる。
カトリーヌは、王族四人から見下される形で広間の中央の床に跪いていた。
彼女は全体的にくすんで汚れたワンピースを着て、櫛を通されていない髪を垂らしていた。
ブロンドの髪は艶を失い、麦の穂のようだ。窓から差し込む朝の光も、彼女の髪を輝かせることは出来なかった。
胸の前で組まれた手はあかぎれて痛々しい。細すぎる指が、恐怖に震えていた。
「……へ、陛下。あの、私、どうして……」
カトリーヌが顔を上げる。
清らかな湖のようなエメラルドの色の瞳が、とまどいに揺れていた。
状況が掴めないでいるカトリーヌは、返すべき言葉を見失っていた。
彼女は王の娘ではあるけれど、妾の子であり、王女の身分は認められていない。
王の家名であるマルセス姓も許されず、母の姓も名乗ることを認められず、ただのカトリーヌとして生きていた。
母の存命時はまだよかった。しかし母が亡くなった七歳の頃からは、完全にいらない娘とされ、最下層の使用人として働いていた。
王は冷たい目で震えるカトリーヌを見下ろしていた。王妃も、王女も、王子も同様だ。
広間に立ち並ぶ近衛兵たちも、薄笑いを浮かべている。
冷え冷えとした空気が広間を満たし、カトリーヌの肌を突き刺さしていた。
「陛下、あの、恐れながら、私は、使用人でございます」
カトリーヌはやっとその一言を絞り出す。
「あらカトリーヌお義姉様! 何も聞かされていませんのね!」
王妃の隣、一段低いところに座る少女が楽しげに声をあげた。
少女の名はアンヌ。カトリーヌの三歳下の異母妹であり、王妃の娘である。
ピンクブロンドの髪にサファイアブルーの瞳。人形めいた可愛らしさだが、表情から酷薄さが透けて見える。
「アンヌ様、それは一体どういう……」
義妹ではあるが、妹と呼ぶことは禁じられている。当然アンヌの方からカトリーヌを姉として呼ぶこともない、はずだった。
「今日からあなたは私のお義姉様になったの! 無才無能のあなたをお優しいお父様が王女にしてあげたのよ! 無能なりに務めを果たしてね?」
「平民の、それも流浪の民の血が流れている貴女を王女とお許しになったのよ。陛下の広いお心に感謝してよく務めなさい」
大きな扇で口元を隠しながら王妃が告げる。
王が宰相を呼び、髭面の宰相は書面を読み上げる。
曰く、カトリーヌを本日付けで、王女カトリーヌ・ド・マルセスと認める、という内容だった。
生まれて十八年間許されなかった王女という身分を突然に与えられ、素直に喜べるはずがなかった。
カトリーヌは恐ろしい予感に身を硬くしながら、頭を巡らせる。
(王女という肩書が必要なこと。となると政略結婚の駒くらいしか思いつかないわ。でも、王女教育を受けていない私を嫁がせる先などあるかしら……)
まともな役目が与えられるとは思えなかった。
「つ、務めとは、何でしょうか?」
カトリーヌが声を震わせて訊ねる。
「うむ。こたびの魔族討伐戦争が、一旦の和睦の運びとなったことは知っておろうな。魔族どもがどうしてもと申し入れてきた件だ」
そう告げる王の言葉に、カトリーヌは諦めとともに納得する。
(ああ、なるほど……私の使い道は……)
「ゼウトス王国を治める王――魔王には、王子が一人居る。お前はその王子の元に嫁げ。奴らめ、和睦の条件として王女を嫁がせろなどと言ってきたのだ。全く忌々しい! 汚らわしい魔族どもが!」
「おお陛下! 恐ろしいことですわ! アンヌの美しさが評判なものだから、こんなことに!」
憎々しげに吐き捨てる王。扇で顔を覆って体を震わせる王妃。
「なんておぞましい! でも安心なさってお母様。私はそんな恐ろしいところに嫁ぎませんわ。だって……」
アンヌは王妃の側にすこし身を乗り出して、慰めるように告げた。
言葉を区切ってから真っ直ぐに座り直すと、閉じたまま持っていた扇子をカトリーヌに向けて言い放つ。
「だって、魔族側はただ『王女』を求めたのですもの。私である必要はないのですわ。そう思うわよね? カトリーヌお義姉様?」
アンヌの可憐な唇から、残酷な言葉が告げられる。
さらに、王の逆側の隣に座るエリック王子が口を開く。カトリーヌの異母弟で、アンヌの弟である。
「国のために重要なお役目です。無才無能の貴女にも役目が出来たこと、僕も喜ばしく思いますよ」
王子は慇懃な態度でカトリーヌに侮蔑を示す。
「ええ……そう、ですね……」
「貴女の母は占いで陛下に取り入りましたが、貴女は何の才能も引き継がず、下賤の血だけを継いでいる。本当に、負債でしかありませんでしたね」
フッ、と笑いを漏らしながら王子が言う。
母への侮辱に耐えきれず、カトリーヌが口を開きかけたときだった。
「ミレイユの占いは素晴らしかった。よく当たったし、語りも美しい。儂は『取り入』られたとは思っておらぬ。価値あるものは
静かだが低く響く声は、王のものだ。
その言葉に、広間は一瞬で緊張に包まれた。王の思うところに反すると指摘されたのだ。
「は、はい、承知しております! 私はただ……」
王子が慌てて言葉を取り繕う。
それを王は、虫でも払うかのように片手を振って制した。
「フン。価値の分からぬ者たちの
「カトリーヌは占いが出来ないどころか、普通よりも勘が鈍いくらいですもの。陛下ががっかりされるのも無理ありませんわ。才を見込んでやった平民の女に生ませたのが、無価値無才無能の娘とは!」
王妃がカトリーヌを見下ろして言い捨てる。
「でもさすがお父様ですわ! お義姉様に価値を与えたんですもの! 魔族への人質という役目を与えることでね!」
アンヌが甲高い声で喋り続ける。
「お義姉様は今日にも嫁いで行かれるって聞きましたわ。支度を急いだ方が良いと思いますの。ねえ、そのみっともない格好では行けませんわよねえ。お義姉様?」
「ふむ。そうだな。忌々しい魔族どもめが日時まで指定してきたが、二十日後の昼だ。今日の午後にでも出発するように。カトリーヌよ、分かったな」
急な話だ。しかし、カトリーヌに断るという選択肢はない。
その生まれから、今のエリン城内に彼女の居場所は無い。
才も血の尊さも持たない自分を卑下しながら、下働きを続けるだけの人生だった。
未来などとっくに諦めていて、心は痛みすら忘れていた。無価値さを見つめる空っぽの日々。
下層で働く中で、戦争によって疲労の色を濃くしていく人々の空気を肌で感じても、そういうものとして見つめることしか出来ない自分。占いで王と国に尽くす母が幼い頃の記憶に居るけれど、自分は才を引き継げなかった。
期待に添えなかった。
(無才の私にも、出来ることがあるのなら……人質として、和睦の条件になれるほどの価値があるのなら……)
カトリーヌは、かたく口を結んだ。
床に膝を着いたまま背筋を伸ばして、真っ直ぐに王を見つめる。
そして震える手を、胸の前で組んだ。
(もう戦争は続けられない。国のみんなも、疲れ切っている。私にも、国のために出来ることが、ある――)
「……謹んで、お受け致します」
カトリーヌは覚悟を決めて宣言した。
「うむ。カトリーヌ。役立てよ」
王からの餞別の言葉は、それだけだった。
そうして、魔王城への輿入れが決まったのだ。
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