デビュタント・ボール 01
ハイランド王国では、新しい年を迎えるとザ・シーズンとも呼ばれる社交期が始まる。
議会の開催に合わせて始まる
この夜会は、社交界にデビューする貴族の女性のための舞踏会である。
主役であるデビュタントの装いは、白のイブニングドレスにオペラグローブと決まっていた。
純白の衣装を身にまとったメルヴィナは、エスコート役のセオドアと一緒に、控え室で名を呼ばれるのを待っていた。
メルヴィナの自殺騒ぎは侯爵家の権力で揉み消されたが、セオドアが二十五年前に出奔した嫡男と和解し、妻子と一緒にアンブローズ侯爵家に迎え入れた話は社交界では有名だ。
これまで彼は、侯爵家の後継者をどうするのか、
ここにきてリチャードを後継者として正式に発表したせいで、メルヴィナは周囲の注目を一身に集めていた。
政界に大きな影響力を持つセオドアが近くにいるから誰も何も言ってこないが、周囲からの好奇の視線が突き刺さるので、メルヴィナは居心地が悪かった。
今日のエスコート役を巡ってはリチャードとセオドアの間でちょっとした諍いになり、ポーカー勝負の結果セオドアが勝ち取ったという経緯があるのだが、この結果になって正直良かったかもしれない。父には悪いが祖父の方が貫禄がある。
体に戻ってから九か月が経過し、ようやく体は健康体と言える状態になった。
まともに動けるようになってからのメルヴィナは、このデビュタント・ボールへの出席を目指して礼儀作法やダンスなどの習得に取り組んできた。
この国の貴族の娘は、この舞踏会に出席し、国王に拝謁して初めて一人前と見なされるためだ。成人の通過儀礼とも言い換えられる行事なのである。
周囲の視線、国王に拝謁するという不安で、メルヴィナは極度の緊張に襲われていた。
(陛下の前で失敗したらどうしよう……)
嫌な予感にお腹が痛くなってきた。
「練習の通りやれば大丈夫だ、メル」
顔色の悪さを見兼ねてか、セオドアが声を掛けてくる。
「はい。お気遣いありがとうございます、お祖父様」
メルヴィナはぎこちないながらも笑みを浮かべ、セオドアに返事をした。
大丈夫。自分には祖父が付いている。一足先に大広間で待機している両親も。
メルヴィナは自分にそう言い聞かせると、差し出されたセオドアの手を取った。
◆ ◆ ◆
デビュタント・ボールは国王夫妻への拝謁から始まる。
拝謁の順番は家格の高い順と決まっていて、今年の参加者の中で一番はアンブローズ侯爵家だったので、メルヴィナの名が真っ先に呼ばれた。
控え室から謁見の間に移動すると、来賓の視線が一気にメルヴィナに集中した。
拝謁の手順は何度も練習したはずなのに、頭が真っ白になる。
「大丈夫だ、メルヴィナ。まず右足から」
セオドアが声を掛けてきた。その言葉に、メルヴィナは少しだけ自分を取り戻す。
(陛下の前まで歩いて、ご挨拶をする。それだけよ)
何度も作法の講師と確認し合った手順を思い出すと、顔を上げた。
謁見の間の最奥に設えられた二つの玉座には、ウォルター王とパトリシア王妃が威厳ある姿で座っており、王の後方には王太子夫妻が、王妃の後方には第二王子のギルバートとミリアム王女が直立して陰のように控えていた。
顔を上げたおかげでギルバートと目が合った。すると彼はメルヴィナに向かって微笑みかけてくる。
その姿に勇気づけられると同時に思い出した。今日の舞踏会は、彼と公式に巡り合うためのものでもあった。
ギルバートと会うのは、昨年の秋に『バート高司祭』が屋敷を訪れた時以来である。
その後、ニコラス最高司祭に間に入って貰って手紙のやり取りはあったが、彼が直接やってくる事はなかった。
ニコラスによると、彼も第二王子として多忙を極めているので、都合がどうしても合わなかったようだ。
ギルバートの顔を久しぶりに見て、手紙に綴られた端正な文字を思い出した途端、すうっと体の力が抜けて緊張が和らいだ。
(ありがとう、ギル様)
メルヴィナは心の中で彼に向かってお礼を言うと、前をしっかりと見据えて足を運んだ。
◆ ◆ ◆
デビュタント全員の謁見が終わると、大広間に舞台を移してダンスが始まる。
そちらでは、メルヴィナの晴れ姿を見るために両親が待機していた。
ファーストダンスはエスコート役と踊ると決まっている。メルヴィナはセオドアに手を引かれ、大広間の中央に進み出た。
メルヴィナと踊るセオドアの目尻には光るものがあった。このデビュタント・ボールを誰よりも楽しみにしてくれていたのはこの祖父だ。メルヴィナも、ステップを踏みながら貰い泣きしそうになった。
ファーストダンスはセオドアと、セカンドダンスはリチャードと踊る。
ギルバートがメルヴィナの所にやってきたのは、父とのダンスが終わった直後だった。
「ようこそお越しくださいました。アンブローズ侯爵家の皆様。そして、メルヴィナ嬢、社交界デビューおめでとうございます」
ギルバートはにこやかに声を掛けてきた。
彼の背後には、常に影のように付き従う見覚えのある近衛兵やルイスの姿もある。
「
メルヴィナはお辞儀してギルバートに挨拶する。初対面のフリをするのは、あらかじめ手紙で打ち合わせ済みだった。
「楽しんで頂けていますか?」
ギルバートの質問に、メルヴィナは頷いた。
「はい。宮殿はどこも煌びやかで素敵です」
「お楽しみ頂けているようで良かった。もしよろしければ踊って頂けませんか?」
「恐れながら、ギルバート殿下、折角のお声掛けですが、実は孫はあまり体が丈夫ではなくて……」
セオドアが割って入ってきた。祖父の表情には警戒心が滲んでいる。
実は、ギルバート扮する『バート高司祭』が帰った後、求婚者について祖父と父に確認したら、すべて断ったという答えが返ってきた。
その時に同時にかけられたのは、『侯爵家の後継は養子を取ってもいいので、心の傷が癒えるまで縁談については考えなくていい』というありがたいお言葉である。
失恋をきっかけに自殺を図ったので、家族全員がかなり神経質になっている状態なのだ。
「あの、お祖父様、私、殿下と踊ってみたいです」
メルヴィナは苦笑いを浮かべながらセオドアに向かって告げた。すると、祖父は苦虫を噛み潰したような表情をする。
「メル、無理をするのは良くない」
「無理なんてしていません。女の子なら誰だってこういう場面に憧れると思います」
きっぱり言うと、セオドアはショックを受けた表情をした。彼だけでなく、背後にいたリチャードも似たような顔をしている。こうして見ると、祖父と父は本当にそっくりだ。
ちなみにリチャードの隣にいるドロシーは、苦笑いを浮かべていた。
「お義父様、珍しくメルヴィナが積極的になっているんですから……」
ドロシーが間に入ってとりなすような発言をした。
すると、セオドアは顔をしかめ、渋々と一歩下がる。
許しが出たと判断し、メルヴィナはギルバートの前に進み出てお辞儀をした。
「殿下、よろしくお願い致します」
「ああ。誘いを受けてくれてありがとう、メルヴィナ嬢。侯爵、彼女の体が弱い事は存じ上げております。一曲だけお許しください」
ギルバートはメルヴィナに返事をした後、セオドアに向かって許可を求めた。
「……かしこまりました。よろしくお願い致します」
乗り気ではない事を隠そうともしない祖父の口調に、メルヴィナは思わず吹き出しそうになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます