帰ってきた幽霊令嬢 02
メルには何故か祓魔術が効かなかった。
それを考えると、相談に乗って満足してもらうしか円満にお帰り頂く方法はなさそうだ。
ギルバートは渋々と彼女にソファを勧めると、自身も向かい側の席に腰を下ろした。
物に触れない彼女はソファの上で、宙に浮いたままソファに座る姿勢を取る。
ルイスは気を遣って、隣接する侍従のための控え室へと下がってくれた。
彼の足音が聞こえなくなってから、ギルバートはメルに言葉をかける。
「今の私はニコラス叔父様に聖別してもらった護符を身に着けているから、
言いながら、ウェストコートのポケットから、女神ハイランディアの聖印、『
このロザリウムには、亡者や瘴気から身を守る神術が付与されている。見たところ、しっかりと神気がこもっていて効果は失われていない。
「うーん、特に何も感じないですけど……」
「……つくづく変な亡者だな」
「そんなに私って変なんでしょうか?」
「少なくとも私はお前のような亡者を見たのは初めてだ」
顔をしかめたままギルバートはロザリウムを元に戻し、ソファに背中を預けた。
「用件は?」
「えっと、そろそろ冥府に行こうと思って……」
思いもよらない発言に、ギルバートは目と口をぽかんと開けた。
「実はミストシティ大聖堂に行ってみたんですけど、入れなかったんですよね……。だからギルバート殿下にニコラス猊下に会えるよう取り次いで貰いたいなと思ったんです」
亡者が、自分から冥府に行きたがるなんてありえない。ギルバートはまじまじとメルの顔を見つめる。
「どうして冥府に行こうと思ったんだ? もう満足したのか?」
「いえ、実はこんな事ができるようになってしまって……」
メルは眉間に皺を寄せ、随分と気合の入った表情をした。
すると、彼女の体から、ゆらりと黄金の光が立ち昇った。
かと思うと――。
パン!
何かが破裂するような音が室内に響き渡った。
ギルバートは目を見開く。
その間にも、パン、パン、という音は継続して鳴り続いた。
「これは……ラップ音か……?」
それは、亡者が引き起こす心霊現象のうちの一つである。
ふう、とメルが息をついた。するとピタリと音が止む。
「すっごく疲れちゃうんですけど……こんな事ができるのはちょっとまずいかなって」
そう言いながら、メルは迷子になった子供のような不安そうな表情をこちらに向けてきた。
「先日殿下が教えて下さったじゃないですか。祓魔師の討伐対象になる悪霊は、殿下みたいな特別な人だけじゃなくて、普通の人にも危害を加えるって。このままだと私、そうなってしまうんじゃないかって不安になったんですよね。……だから思い切ってミストシティ大聖堂に行ってみたんですけど、見えない壁があってどうしても入れなかったんです。なので、殿下にニコラス猊下に取り次いで頂こうかなと……」
(今こいつ、神気を発生させていたように見えたが……)
ギルバートはまじまじとメルを見つめた。
いや、気のせいに違いない。亡者が発する心霊現象の源は、深い負の感情から生じる瘴気、それが自分の知る常識だ。
(いや、でもやけにのほほんとしてるこいつなら有り得るのか……?)
大抵の亡者は負の感情に囚われているものだが、メルにはそれがない。
(考えても仕方ない、か)
何しろメルは、何もかもがおかしい亡者なのだ。
「…………本当にお前は変わっている」
ギルバートは思考を放棄すると、ぽつりとつぶやいた。
◆ ◆ ◆
メルがラップ音が出せる事に気付いたのは、絵画の鑑賞の為に侵入したとある貴族の屋敷で、美術品泥棒に遭遇したのがきっかけだったらしい。
「何とかしなきゃって思ったら音が出ちゃって……びっくりした泥棒が逃げてくれたのは良かったんですけど、このまま悪霊になったらどうしようって怖くなったんですよね……」
しょんぼりと落ち込んだ表情を見せるメルは、元々の性質が善良なのだろう。
「ギルバート殿下にこれ以上ご迷惑をお掛けするのは申し訳なかったので、他の王族の方々の所にも行ってみたんです。でも、私が見えるのはギルバート殿下だけでした……」
高い神気を持つギルバートの家族――父のウォルター王や兄のライナス王太子、妹のミリアム王女の所にも行ってみたが全滅だったようだ。
ちなみに、兄嫁のフリーダ王太子妃はまだ修行中だが、母のパトリシア王妃は王家が主催する祭祀に長く関わる中で、後天的に神気が使えるようになった『神気覚醒者』である。
だが、母の神気量は直系王族や高位の聖職者と比べると微々たるものなので、試すまでもなくメルを視る事はできないはずだ。
「……しばらく大聖堂前に待機して、色々な聖職者の方々にも声をかけてみたんですがダメでした。祓魔師の
しゅんとした表情でメルは続けた。
ギルバートは顔をしかめる。
「……そうなると、可能性があるのはニコラス叔父様ぐらいかもな」
「ですよね……。本当に申し訳ないのですが、ニコラス猊下に会えるように取り計らって頂けないでしょうか? 悪霊になるのは嫌なんです」
すがり付くような目を向けられて、ギルバートはたじろいだ。
「わかった。叔父様に連絡を取ればいいんだな?」
「はい!」
ぱあっとメルは顔を輝かせた。
「どうして宮殿に入れるのに大聖堂はダメだったんだ……。結界の強度が違うのか……?」
「さあ、私に聞かれましても……」
思わず疑問を漏らすと、メルもまた首を傾げた。
「あ! えっとですね、殿下、図々しいついでにお願いがあるんですけど……」
メルは、何かを決意したような表情で姿勢を正し、ギルバートの顔を窺ってきた。
「ニコラス猊下との面会って、きっとすぐは無理ですよね?」
「そうだな。叔父様はお忙しい。お前が大聖堂に入れないのなら、都合を付けてどこかに出てきて頂く必要がある。面会の約束を取り付けるにしても、私も暇ではない」
「ですよね。何日かお時間がかかりますよね……」
メルは物言いたげな視線をギルバートに向けてくる。
「言いたい事があるならさっさと言え」
ギルバートは合理主義者だ。回りくどいのは好きではない。
遠回しにこちらを窺うメルに苛立って促すと、彼女は意を決した表情で口を開いた。
「時々お話しして下さい!」
「…………」
渋い表情で沈黙すると、メルはしょんぼりとうなだれた。
「……やっぱり駄目ですよね……幽霊は苦手だって仰ってたし……でも私、この二週間、誰ともお喋りできなくて寂しくて……幽霊だから夜眠くもならないし……」
メルの目が潤む。
「眠れないって辛いんですよね。最初は月や星を目指して上に向かって飛んでみたりもしたんですけど……地上が遠くなったら怖くなって戻ってきちゃいました」
言葉を紡ぎながら、彼女は寂しげな笑みを浮かべた。
その姿があまりにも哀れで、ギルバートは深くため息をつく。
「……節度を保つなら構わない」
ギルバートの返答を聞いたメルは、大きく目を見開いた。
「本当ですか!?」
「ああ。……と言うか、そもそも断ってもお前には祓魔が効かない。正直憑きまとわれても私に防ぐ手段は無いからな。それくらいならちゃんと許可を出して、絶対に踏み込まれたくない時には来るなと交渉する方がマシだ」
「踏み込まれたくない時……? 着替えの最中とかですか?」
「入浴時や就寝時も勘弁してくれ。裸や寝顔を見られるのは抵抗がある」
「えっと、そうですね。逆の立場だったら私も絶対嫌だと思うので、そういう時間は避けます! お約束します!」
メルは力いっぱいに発言した。
「それが本心ならありがたい」
ギルバートは疑いの眼差しを向けながら告げ、小さく息をついた。
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