第17話 玉子焼きと新しい同級生 セッキョクシャ(積極者)

 朝のホームルームで担任から転入生の紹介があった。それは男子生徒だった。彼が自己紹介して名前はリンネだと言った。女生徒たちが色めき立った。


 一時限目の休憩時間、いつものようにキズナはチトセを訪れた。しかし、彼は挨拶だけするとすぐに自分の教室へと帰っていった。


 二時限目の休憩時間、コガレは教室に入ってすら来なかった。強烈な視線を感じた彼がドアの方を見た。すると彼女は彼に手を振って自分の教室へと戻っていた。


 それ以降の休憩時間、二人とも彼の教室に近付くことさえしなかった。彼にとっては、それはそれでもいいかという感覚であった。


 二人が来なくなった原因は転入生のリンネである。チトセを含めた三人とも彼のことを知っているのである。皆が彼のことを鬱陶しく思っている。それぞれが、そう思う理由は違う。チトセ以外の二人は彼よりも非常に嫌がっているのだ。


 二人が来なくなってから休憩時間からチトセはリンネに絡まれているが無視し続けている。しかし、リンネは彼にしつこく話しかけてきているのだ。


 女生徒たちが遠巻とおまきに彼らを見ていた。一部の女生徒の間ではキズナの時と同様に二人の関係を怪しむ動きがある。


 チトセはウンザリしているが、彼の方は周囲のことなどおかまいなしでグイグイ喋りかけてくる。不運なことに、席が隣なのだ。休憩時間、彼は椅子をチトセの直ぐ側まで近付けてチャイムが鳴り終わるまで喋ってくるのだ。


 更に不運なことに、最近の席替えで彼の前の席はミレなった。彼は先生から配られたプリントを毎回震える手で受け取っている。受け取るのが遅いと彼女は振り向いて渡して下さる。その際、必ず彼女は微笑みかけて下さるのだ。それは彼にとっては不気味でしかなく、その度に背筋が凍る。


 一番の不運はチアキがミレの前の席なのだ。それなので彼の日課であるチトセをチラッと見ることが授業中に出来なくなってしまった。


 彼は特に必要はないが休憩時間に手洗いに行っている。行く時に振り返って見るのは不自然である。それで戻ってきた時にチアキを見ようと考えたのだ。しかし、やたら不自然とミレと目が合うのだ。どうやら彼は監視対象者になっている様だ。


 次に考えたのが彼女が席をたった瞬間だ。当初は眺められたのだが、いつの時からはミレが先に立つようになった。彼は彼女に悟られたのかと思った。彼は後ろにでも目が付いているのかと有り得ないことが一瞬だけよぎった。たまたまだろうとは思ったいるが、勘の良さそうな彼女の近くで行動を起こすのは止めといた方がいいと断念している。


 その次に考えたのがチアキが休憩時間に一度教室を出て戻って来た時に見ることだ。これも当初は可能であった。しかし、ミレが付き添うようになり、戻ってくる時は先に入って来たミレがチアキを彼の視界からさえぎって見れないのである。これを意図的なのか彼には判断がつかない。それが連続して数回あった後に彼は断念した。幸いなことはミレと一度も目が合わなかったことである。





 昼食時間になった。彼はリュクから弁当を取り出し机の上に置く。そしてフタを開けようとした時に異変を感じる。隣の席の机が近寄って来ているのだ。彼は右足で机の脚を押さえて阻止する。


 隣の席のリンネは強引に押してくる。押す力が弱まりチトセが油断する。するとリンネは力を込めて押す。この攻防が二人の間で繰り広げられる。


 リンネが渾身の力で押す。それに対してチトセも渾身の力で押し返す。するとリンネがサッと机を引く。チトセは体勢を崩し床に右肩から激突する。その際、椅子も倒れた。痛かったが嬉しいことがあった。倒れる際にチアキの顔が一瞬だけではあるが見れたことだ。



 椅子の激突音で教室にいる生徒たちの視線が彼に集中している。しかし、すぐに注目するのをやめる。それは彼が恥ずかしい思いをしているのを気遣ってのことだ。しかし思い遣る気持ちは更々さらさらない生徒が一人だけいる。


「大丈夫かい? チトセ」


 そうリンネは言うと彼に手を差し伸べる。チアキは体を起こし床に座った状態になる。それに対してリンネが更に手を伸ばす。その手をチトセは軽く払う。彼は起き上がろうと尻を浮かす。それでもリンネは諦めず再び手を差し伸べる。


「チトセくぅ〜ん、私の手を取るといいですよっ」


 そう声の持ち主が言った。一応、声で誰か判別は付くが、彼は顔の前に出された手から腕へと目で追っていく。その先にはミレの顔がある。彼女は口角を上げ笑みを浮かべる。そして、首を傾けて更に笑みを増す。彼は背筋がゾクッとした直後に尻餅を付く。


「あらっ、チトセくぅ〜ん。腰でも痛めたのかしら?」


「………いぇ」


「恥ずかしくて言えないみたい? 自力で立てますかぁ〜?」


「……もちろんです」


「もちろん立てないんですってぇ」


 ――えっ……


「私か彼、どちらかの手を必ず取って立って下さいねっ。ねぇ? チ・ト・セ・くんっ」


 ――選択肢は一応あるんだよな? しかし、この豹変ぶりは一体何なんだ? そういや最近流行っているドラマあったな。何だっけ? 「僕の彼女は二人いる」だ! あれに影響でも受けているのか? でもドラマなんか見なさそうだしな


「早く選んでくれると嬉しなぁ〜。伸ばしている手が疲れてきちゃってるしぃ」


 彼は恐る恐る彼女の顔を見る。そうしながらリンネの方へと手を伸ばそうとする。すると今の今まで笑みを浮かべていた彼女の表情が一変し眉間に皺を寄せる。しかし、すぐに表情を元の笑みへと戻す。


 彼は選択肢はないのだと悟る。それで彼女の方へと手を伸ばす。その彼の手は小刻みに震えている。彼女が彼の手首を掴み引っ張る。思いのほか彼女の力が強いので彼は驚く。


 二人の肩同士がぶつかる。勢いよくぶつかったが彼女はビクともしない。そんな彼女は口元を彼の耳元に近付ける。そして彼女はささやこうとしてる。


「昼食時間は和気あいあいとするものだ。君たちの雑音が耳障りで昼食が楽しめない。食事が不味くなる。仕方ないから君たちもまぜてやる」


「えっ……」


「リンネ転入生?」


「何でしょう?」


「私と後ろにいるチアキと昼食を一緒に食べませんか?」


「お気持ちは有り難いですが、私はチトセと一緒に頂くので大変申し訳ないのですがお断りさせて頂いても?」


「そうですかぁ。残念です。じゃあ、また今度にしましょう?」


「えぇ、そうしましょう。もう少し親交を深めてからの方が宜しいかと」


「紳士の振る舞いですね」


「いやぁ〜、そんなことはないですよ」


謙遜けんそんなさるんですね」


 ――きちんとした言葉遣いもできるんだぁ


 そう彼が心の中で呟いていると彼女が彼の方を向く。彼は思わず一歩後に下がる。しかし、もう一歩は出ずに硬直する。


「チトセくんっ」


「……はひぃ」


「どうしたの? チトセくんっ」


「なっ、何がでしょうか?」


「どうして名前で呼んでくれないの? この間二人で約束したじゃない?」


「おいやそうでしたので」


「てっ、照れてたのっ。ミレ、チトセくぅ〜んの前では正直になれなくってぇ」


 ――明らかに拒絶反応を示してましたよね? 金輪際こんりんざい、名前を呼ぶなと。それに素直になる気なんて更々ないですよね?


「チトセくぅ〜んも照れてるのね?」


「……いや、そのようなことはまったく」


「全くもって照れてるんですって? チアキ」


 そう言うと彼女はチアキの方へと振り返る。するとチアキは顔を深く下げている。髪が彼女の顔を覆っている程だ。きっと彼女は全く興味がなく何を見せられているのだろうと考えてあるのだろうと彼は思う。そして、彼は事態が収拾すること、いや一刻も早く終わらせようと決意する。


「あのぅ〜」


「なにぃ〜、チトセきゅ〜ん」


「ミレ」


「やっと呼んでくれたぁ、私の名前。これからは君付けは止めてチトセって呼ぶわね」


「分かった。それで用件を手短に」


「あらっ、いきなりタメ口ぃ〜。でもミレ嬉しいなぁ〜。急に距離が縮まってぇ」


 ――躊躇っちゃダメだ、チトセ!


「チトセェ〜」


「何だ? ミレ」


「一緒に昼食食べようよっ?」


「もちろん」


「ミレ、嬉しいぃ〜」


 その彼女の言葉に彼は心が折れかかり伏し目がちになる。しかし、彼は一刻も早く終わらせたい一心で紙一重で踏み止まる。


「チアキも一緒に食べようよっ?」


「……わっ、私はいいよ。二人に悪いし」


 ――あぁぁ……変な気を遣わせてしまっている


「ねぇ〜、チアキも一緒に食べようよぉ〜」


 そう言うと彼女はチアキの首に絡みつく。その行為に対して、彼女はを動かし嫌がる。そして、ミレの腕を振りほどく。そして彼女は立ち上がりミレと対面する。


「私はいいって言ったでしょ!」


 彼女にしては大きな声でそう言い放った。あまりの出来事に、あのミレが後退りする。チトセは彼女がひるんでいる姿に驚く。更にミレは一歩下がる。


 ふとチトセは視線をチアキへと移す。彼女の視線はミレへと真っ直ぐ向かっている。その先のミレは目を見開いている。その彼女がチアキをなだめようと思ったのか手を伸ばそうとしたが、すぐに引っ込めた。チアキのあまりの目力めじからにそうせざるを得なかったのだ。


 チアキが顔を微かに動かす。それはチトセの方へだ。彼が顔を背けるのが一瞬遅れた。その際、彼は彼に睨まれた気がした。彼は俯き顔を上げることが出来ないでいる。彼がそうしていると、ミレが勇気を振り絞り彼女の前へと進む。


「チッ、チアキ? 一体どっ、どうしたの?」


「えっ……」


「いっ、いきなりチアキにしては大きな声出して」


「……そっ、そうだっけ?」


「そうよ! どうしちゃたのよ?」


「あっ……それは……」


「体調が悪いんじゃない? それなのに私たちが騒いでたからっ。特にチトセ同学生が倒れて椅子で大きな音出したから」


「…そっ、そうかもしれないわ」


「ごめんね、チアキ」


「ミッ、ミレが謝ることないよっ」


「そっ、そうなのかな?」


「そっ、そうだよ」


「チトセ同学生に謝らせるね?」


 そう彼女が言うとチアキは背を向け席に座る。ミレがチトセを見て首をかしげる。その際、彼女は口角を上げた。彼女としては愛想笑いのつもりでいた。普段の彼女からの仕打ちを考えれば、彼は全くそう受け取ってはいない。むしろ、彼は少しイラッとしている。


 すぐさまミレは察したのだ。彼女は内心気が気でない。それは、この間の様に言葉遣いが急変し話し合いに持ち込んでこないかだ。あの日以来、彼女は実は彼に対して苦手意識が芽生えている。彼女はしたしく接していたつもりだった。これまでは、そうして仲良くなっていた。掴み所のない彼に苦心している。しかし、彼には興味がある。それは異性としてではない。彼という存在にある意味惹かれているのだ。


「チトセ同学生?」


「何かな?」


「やっ、やっぱり一緒に食べるのは止めにしないか?」


「分かった」


「すまない。これからも気さくにミレって呼んでくれよな?」


「分かった、ミレ」


 彼の抑揚のない言葉で言った。それに彼女は即座に視線を反らし背を向ける。そして、彼女はチアキの元へと向かう。彼女は彼の瞳の奥に内なる怒りを感じたのだ。


「チアキ?」


「何?」


「二人で食べよう?」


「あっ、うん」


 そう彼女が言うと机を動かす音がする。位置的にチアキの方が動かしているのだとチトセは思う。彼は彼女の方を見れないのだ。彼は倒れている椅子を元に戻す。そして、ゆっくりと座る。


「チトセ?」


「何だよっ?」


「僕たちも一緒に食べよう?」


「勝手にしろ」


「いいの?」


「あぁっ」


「チトセ?」


「何だよっ」


「机と椅子を移動した後、座る瞬間に椅子を蹴ったりしない?」


「しねぇよ」


「ありがとう」


 そうリンネは言うと机をくっつけた後、椅子の背をしっかりと掴みチトセの脚を注視しながら恐る恐る座る。二人は弁当の箱を開ける。リンネは食べ始める。一方のチトセは手をつける様子はない。彼は箸すら持ってない。リンネは横目で気にしながらも黙々と食べていく。


 時間が流れていく。未だにチトセは弁当に手をつけてない。彼は食慾がすっかり失せてしまったのだ。するとミレが振り向き彼の弁当の上に玉子焼きを乗せる。チトセは彼女を見る。その彼女は上目遣うわめづかいいだ。いつもの彼なら不気味さを感じるところだろう。しかし、今の彼は全く気にもしてない。


「何です?」


「玉子焼きだよっ。見てわかんないぃ〜」


「そうじゃなく、なぜ乗せたのか?」


「食べてもらいたくてぇ」


「まだ弁当に手をつけてないので、お持ち帰ってくれません? 食欲ないんで」


「それはいけないわっ、チトセ」


「一食抜いたところで、どうってことないですよ」


「私はとても心配しているの。空腹になると怒りっぽく……いや、とにかく心配なのっ、ミレは」


「あっ、そうですか。それはどうも。でもご心配なく」


「いけないわ、チトセ。きっと箸を持つ力もないのね? ミレが食べさせてあげるっ」


 そう言うと彼女は彼の箸を手に持ち玉子焼きを掴む。そして、彼の口元へと運ぶ。それに対して、チトセは口を開こうとはしない。


「食べてくれるまで、ミレはいつまででも待つわっ」


 そう言うと彼女は真剣な眼差しを彼に向ける。彼は溜め息をつきたい。彼は視線を外す。彼は数人の生徒が二人に注目していることに気付く。それで終わらせようと口を開けようとしたが考え直す。


「自分で食べるので置いてもらえます?」


「それは誠に残念なことだけど、ミレ泣く泣く置くわ」


 彼は彼女の芝居がかった言い回しにウンザリする。言葉通り彼女は玉子焼きを置いた。彼は間髪入れず彼女から箸をもらい玉子焼きを掴んで口にする。


「味はどうかな?」


「…………」


「食べてる最中に話しかけるなんてマナー違反だね」


 そう言うと彼女は両肘を付き両手で顎を支え上目遣いで彼を見ている。正常な時の彼なら耐えられず口の中の玉子焼きの一部を吐き出してしまっただろう。今の彼は悟りを開いた僧の如く無心で食べている。しばらくして食べ終えた。


「チトセ同学生?」


「何です?」


「ちなみに玉子焼きはチアキの物よっ。しかも手作り」


「えっ……」


「味はどうだった? 美味しかった?」


「…………」


「チトセ同学生? どうしたの?」


「甘くて美味しかったです」


「だそうよ? チアキ」


「……………………」


「チアキ?」


「……わっ、私の玉子焼きは塩味だけど……」


「えっ……どういうこと?」


 そう言うと彼女は不思議そうな顔で彼を見つめる。彼女には彼が放心している様に見える。彼女は甘いと言った彼を不憫に思う。それで彼女は手助けしようと思う。


「チアキ?」


「何?」


「チトセは疲れていて味覚が少しおかしくなってるんじゃないかな?」


「きっと美味しくなかったんだよ」


「そんなことないよっ。口に合わなかったんだよ」


「それ、大して変わらないと思うよ」


 ミレは次の言葉を発することが出来ない。チアキは俯いて食事を再会する。その後、二人は沈黙が続くなか昼食時間を終えた。放心状態だったチトセは二人のやり取りを聞いていなかった。





 その後の休憩時間と移動教室、彼女は彼の前をに背を向けて通り過ぎて行った。彼は色んな意味で嫌われてしまったと落胆しきっている。

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