第20話 命の恩人・2


「あの、さ……君が俺の事、助けてくれたんだろ? なのにこいつらが驚かせちゃったみたいで、本当ごめん。怖かっただろ?」

「クーン……」

「リュルフも驚かせてごめん、って言ってる」


 しょんぼりとした魔獣の鳴き声とリュカさんの言葉に、強い違和感を覚えました。

 気を失っていたリュカさんは魔獣達が私を驚かせた事を知らないはずです。


 弱弱しい鳴き声と上目遣いで見てくる獣の様子だけで、私を驚かせた事まで分かるはずがありません。


「……やはり、ローゾフィアの魔獣使いは獣の言葉を解するのですか?」


 私の推測にリュカさんは目を丸くして驚きました。


「え、君……ローゾフィアの事知ってるのか?」

「本で知った程度の知識ですが……ローゾフィアの魔獣使いは魔獣と意思疎通ができ、手足のように操ると書いてありました」

「……操ってるなんて、酷い書き方だな。俺達は助け合ってるだけなんだけど……」

「あ……ごめんなさい」


 語調から少し怒った様子が感じ取れたので謝罪すると、リュカさんは驚いたように両掌を横に振りました。


「い、いや、今のは君を責めた訳じゃないんだ! そう書かれてる本が広まってるのなら仕方ないし、意思疎通はできるのは間違ってないし……!」

「あの……どうやって魔獣と意思疎通するのですか? やっぱり、その……顔の紋様が?」


 少し離れているのではっきりとは見えませんが、リュカさんの左目の眼元から頬にかけて、文字のような朱色の模様が星明かりに照らされています。


「そう。ここに魔力を集中させて魔獣を見ると、意思が伝わってくるんだ。こいつは大きな狼グロースハウンドのリュルフ、前に君に魚を落としたのが偵察鷹イーグルのリュグル」

「さっき、その二匹の他に飛竜ワイバーンもいたような気がしますが……?」

「ああ、リュドラは普段村から離れた所で過ごしてもらってるんだ。ほら、飛竜って大きいだろ? 都市はともかく、村だと怖がる人が多くてさ」


 確かに――至近距離で見るのは初めてで、更に吠えられるなんて体験は初めてでしたので気絶してしまいましたが、飛竜は新聞の輸送や要人の移動などに使われる乗り物の一つです。

 都市では慣れている人も多いでしょうが、このような村では体格も大きく恐れ多い風貌をしている飛竜を恐れてしまう人がいてもおかしな話ではありません。


「……で、俺が気絶したから慌てたリュグルがこいつら呼びに行って、戻ってきたら君が俺を治療してたらしくて……君にお礼を言ったら今度は君が気を失って、俺が強引に起こされたんだ」

「……ご、ごめんなさい」

「な、何度も言うけど君のせいじゃないから! むしろ感謝してる。人見知りで男が苦手なのに、俺の事助けてくれて……ありがとう」


 リュカさんの素直な感謝の言葉が、何だかとても気恥しいです。


「ど……どういたしまして。貴方が助かって本当に良かった。でも、一度父上にちゃんと見てもらった方がいいわ」

「ああ……俺も君を家に運ぼうと思ったんだけど、まだ村長は戻って来てないみたいだ」

「今日は父上、ウェサ・クヴァレに出てるから……それでももうすぐ戻ってくるはずです。家に包帯と薬もあるし、家で父上を待ちましょう」


 空はすっかり黒に染まっています。

 早く戻らなくては――と思って立ち上がると、足が酷く震えて、歩き出せません。


「どうした?」

「ごめんなさい、ちょっと足が……」

「大丈夫か? 君さえ良ければ、俺が抱えて……」

「ひっ……!!」


 ひょい、とこちらに近づいてきたリュカさんに対し、また間抜けな声が出てしまいました。


「……ごめん、人見知りが治った訳じゃないんだな。どうしようか……そんな震えた足で暗い岩場を歩かせたくないし……」

「クゥ……」

「あ、リュルフ……乗せてってくれるのか?」


 リュカさんの言葉にリュルフが一鳴きすると、こちらに近づいてきました。


「え、あの……気持ちは嬉しいのですが……」


 何だか申し訳ないのと、この大きな狼の背に乗るというのが恐くて、やんわりと断ろう――としたのですが。


「俺からも頼む……命の恩人に怪我なんてしてほしくないんだ」

「クゥゥ……」


 私を心配してくれるリュカさんとリュルフの切実な訴えを拒みきる事が出来ず――恐る恐る、リュルフの大きな背に乗ると、リュルフはゆっくりと歩き出しました。


「もっとしっかり捕まってくれていいから」


 確かに、ここが岩場という事を考えると、しっかり捕まっていないと落ちた時に危ないです。

 ギュッとしがみ付いてもリュルフは全く苦ではないように岩場を歩いていきます。

  

 魔獣というだけあって少し独特な匂いがしましたが、それ以上に頬を撫でるフカフカな毛触りが心地よくて、体の緊張が緩んでいくのを感じました。

 

「あの……最初に出会った時、面と向かって話せなくてごめんなさい。貴方がローゾフィアから来たと聞いて、お話してみたかったのですが……でも私、父上以外の男の人とまともに話せなくて」

「ああ、そんなの全然気にしなくていいよ……今の君を見て本当に男が苦手なんだなって分かったから。そんな状態で俺の事助けてくれて、本当にありがとう」


 一定の距離を取って歩いてくれるリュカさんに向けて前々から言いたかった事を伝えると、優しい言葉が返ってきました。


「こんな状態を理由にして人を見殺しにしたら、私、今度こそ生きていけないから……」

「……今度こそ?」

「あ、いえ……あの、リュカさんは何故青ペンギンと仲良くしたいのですか?」

「え、あー……旅の途中で水色ペンギンを見かけて、なんか可愛いなーって思ってさ。旅の仲間に加えられたら楽しそうだなと思って」


 うっかり口に出してしまった事を追及されたくなくて話題を逸らすと、リュカさんはさして気に留めた様子もなく言葉を続けました。


「でも、なかなか上手くいかなくてさ……青ペンギンなら、と思ってここに来たんだ。あのペンギンにも俺は敵じゃないぞ、って伝えてるんだけど……」

「……もう諦めた方がよろしいのでは? 今回は助かりましたが、またあんな事があったら……」

「心配してくれてありがとう。けど、あれはずっと手に持ってた俺が悪かったんだ。しばらくは魚を投げて様子見てみるよ」


 どう考えても魚を強奪した青ペンギンの方が悪いと思うのですが――リュカさんの笑顔は、全く青ペンギンに怒りを抱いていないように見えました。



 そんな話をしているうちに家につき、足の震えも収まってリュカさんに包帯と薬を出そうとした所で伯父様が帰ってきました。


 伯父様に事情を説明した後、リュカさんの傷を確認してもらうと、問題ないと分かって、リュカさんは改めてお礼を言って帰っていきました。


「……お前に治癒師としての才能もあったとはな」

「え?」


 伯父様の言葉の意図が分からず問い返すと、伯父様は持って帰って来た新聞の束を机に置いた後、椅子に座って肘をつきました。


「私はあの傷を塞ぐのに2日はかかる」

「え……いえ、私も傷は完全に塞げませんでしたが……?」

「そうなのか? なら彼の回復力が強いのか……赤系統の人間は体力自慢が多いと聞くしな」


 私が気を失っていた数時間の間に傷が完全に塞がった、のだとすれば確かに恐ろしい回復力です。

 自然の中で魔獣と共に生きる民だけあって、私達よりずっとたくましいのかもしれません。


「……お前は、あの男と付き合っているのか?」

「え……」


 再び意図が読めない質問をされて、つい声が出てしまいました。

 でも、伯父様から見れば男性恐怖症のはずの私が男性を家に引き込んでいた訳で、そう思われるのも仕方がない状況ではあります。


「父上……誤解させてすみません。彼とまともに話したのは今日が初めてで、けしてそのような関係ではありません」


 ただ――今日、面と向かって話してみて、本当に温かくて優しい人だと思いました。

 これまで頂いた贈り物の事もありますし、嫌いかと言われたら嫌いではないといえます。


『そうか……お前がもし今、誰かに想いを寄せているなら、お前の元婚約者が結婚した事を知っても大丈夫かと思ったのだが』

『ああ……ついにマイシャと結婚なさったのですね』


 伯父様が会話を念話に切り替えたのでこちらも念話で返すと、伯父様が少し驚いたように私を見据えました。


『……何故相手がマイシャ嬢だと?』

『……違うのですか?』

『いや、マイシャ嬢で間違いないが……何故知っていた?』


 正直、伯父様に言うのは憚られました。

 ですがここで黙ってしまったら『コンラッド様は元々マイシャの事を好いていた』なんてあらぬ誤解を招いてしまいます。


『……私が身を投げた夜に、マイシャ本人から聞きました。家の為に嫁ぐから、私にも家の為に決断しろ……と。……あの子は私によその家に嫁ぐなり修道院なり、そういう選択をしろと言ったのです。なのに私は、失望のあまり最悪の手段を選んでしまいました』

「……そうか」


 やはり、妹の言葉をきっかけに身を投げた、と告白するのは心苦しいです。

 背中を押したのはマイシャでも、その道を選んだのは私自身ですし。

 私が身を投げてしまったせいでマイシャも色々言われているだろう事は容易に想像できます。

 マイシャ自身、私を追い込んでしまった罪悪感にかられて今も苦しんでいるかもしれません。


 せめて、兄様だけでなくお父様やマイシャ、コンラッド様にだけでも、私が別人として生きている事を伝えられないか――と考える中、伯父様が新聞の束から一束、私に差し出しました。


 差し出された新聞の一枚目――そこにはウェス・アドニスの次期領主がアドニスの花と呼ばれる娘と結婚した、という記事が書かれていました。


 コンラッド様の優しげな笑顔と、マイシャの華やかな笑顔と共に。


『ああ……私が身を投げてしまった事で、二人とも気に病んでいるかと心配していたのですが……幸せそうで何よりです』


 言いながら、ボロボロと涙が零れてきました。


 嘘は言っていません。結婚式という晴れの舞台で新郎新婦この二人にに陰のある顔をされたら私は今以上に心を痛めていたでしょう。

 コンラッド様にも、マイシャにも、幸せになってほしいと思っています。 


 でも、この止まらない涙が罪悪感から解き放たれた嬉し涙なのか、それとも、私がいなくなってたった三節でこんなにも幸せそうな笑顔を浮かべられる二人に対する悔し涙なのか――私には、分かりませんでした。


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