第33話
辻本さんは二作目を書き進めているらしい。『自称神と操り少女』の著者である遠藤さんのことは一旦脇に置き、今は目の前の作品に集中しているとのことだ。
私はコーヒーで喉を潤してから、覚悟を決めて言った。
「桃に相談したおかげだね」
自分から名前を出すのは初めてだった。緊張で手が震えてしまう。
辻本さんは軽い調子で言った。
「桃には相談していませんよ。タイミングが合わなかったんです。代わりに桃のお姉さんに相談しました」
「あ、そうだったんだ……」
どうやら家族ぐるみでの付き合いがあるらしい。
ふう、と息を吐き出す。
ここで逃げたらまた袋小路に囚われるだろう。私はもう逃げない、そう決めたのだ。
「……桃とはどういう繋がりなの?」
ずっと気になっていたことを質問してみた。
辻本さんは顎に手を当てて言った。
「親同士の仲が良くて、家族ぐるみでの付き合いがあったんですよ。桃とは同い年ということもあり、よく話してました。それに、蜜柑さん――桃の姉ですね。昔は少年漫画家を目指していて、熱意に燃えていたので、蜜柑さんに触発されて私も小説を書き始めた部分が多分にありますね」
そういえば、お姉さんが漫画家を目指していたという話は聞いていた。たぶん桃も姉の姿を見て漫画を描き始めたのだろう。
昔は目指していたという言葉から、今はその夢を諦めてしまったことが察せられる。
「絵里さんは、桃とはどういう関係なんですか?」
「中学時代、同じクラスで仲が良かったんだ」
オタクカルチャーの話で盛り上がっていたことを話す。指導ごっこをしていたという事実は伏せておいた。
「なるほど、そういう繋がりでしたか」
辻本さんが頷く。
「桃のおかげで、私達も繋がり合えたわけですね。桃に感謝しなければなりませんね」
「だね」
私が桃にした仕打ちを考えると、未だに自分を許せなくなる。だが、桃はそんな私を辻本さんに紹介した。どういう意図があってそんなことをしたのか全くわからないが、辻本さんに出会えたことは私にとって良いことだったと断言できる。それは疑いようのない事実だった。
そういえば、と辻本さんが口を動かす。
「恋川さんの『ゆるさんぽ』を読んだんですよ」
「え! ほんとに!」
身を乗り出して訊くと、辻本さんは鬱陶しそうに頷いた。
「正直、文章はいかがなものかと思いましたけどね。誤字脱字の多さは許容するにしても、接続詞の使い方の間違いや二重表現が多くてイライラしました。もっと真剣に推敲をしてほしいものです」
「手厳しいね」
「そもそも私は日常系というものが苦手なんですよ。基本的に知的な興奮を味わえる箇所の少ないジャンルですからね」
でも、と横を向いて続ける。
「キャラクターの掛け合いや独特のユーモアは結構好きでしたよ。最後まで読み切れたのは、恋川さんにセンスがあったからだと思います」
だんだん声が小さくなっていく。照れているのだ。
私は更に身を乗り出して辻本さんの白い手を握った。
「わかる、わかるよ辻本さん。掛け合いやユーモアがいいんだよね。おまけにキャラクターは可愛くて魅力的。ずっと世界観に浸っていたくなるような独特のよさがある、そうでしょ?」
「え、ええ。そうかもしれませんね」
「他によかったところはあるかな?」
「……緑ちゃんっていう子が好きでした。可愛かったです」
「わかる!」
その時だった。後方から、がしゃん、という音が響いた。腰を上げてそちらを見ると、ベレー帽をかぶった女性がテーブルを拭いていた。どうやら飲み物をこぼしてしまったらしい。
何となく見覚えがある気がした。じーっと凝視を続けていると、女性が顔を上げた。
「え……?」
眼鏡を掛けているが間違いない。恋ちゃんだった。
恋ちゃんは大きく目を見開き、みるみる頬を赤らめ、悔しそうな表情を浮かべた。席を立ち、テーブルの横にやってくる。当たり前のように私の隣に腰を落としてきた。
「それで、あたしの作品が何だって?」
「……」「……」
黙って見つめる。
恋ちゃんは顔を赤くしたまま、「そんな目で見ないでよ」と不貞腐れた態度を取った。
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