クライヴとルーカス
クライヴは何かにつけてシグネス川に向かう理由を考えていた。
なんとかしてリラと話す機会はないか、毎日考えるのはそのことばかりだった。
公務の合間に建設会議でのリラの噂を耳にする度に、自分のことのように喜しい気持ちになるとともに、今すぐにでも逢いたいという切ない気持ちが膨らんだ。
けれど、クライヴは一国の皇子であり、そう暇ではない。
シグネス川ばかりを贔屓するかのように視察することも他の貴族から角が立つというものだ。
何らかの理由をつけてリラを皇城へ呼びつけることもできるかもしれないが、ただクライヴが一方的に逢いたいだけなのに、リラに誠意がなさ過ぎるようにも感じられた。
数ヶ月後。
年の瀬が近いこの時期は、仕事の納めとしてリラ発案のもと再び慰労会が行われた。
クライヴの元にも名ばかりの現場責任者兼リラの催しもの報告係であるサム・ネロベルクから知らせが届いた。
けれど、この時期のクライヴは非常に多忙であり、都合が折り合わず、それでも無理をして訪れたものの、滞在できる時間はたった三十分とのことだった。
「いいですか、殿下。三十分したら、出発しますからね。」
デイビッドは強めの口調でクライヴにそう告げた。
クライヴは軽く返事をするといそいそと管理小屋へ入って行った。
クライヴが到着したのは正午を少し回った頃で、懇親会が始まったばかりなのもあり、管理小屋は人でごった返していた。
また今回の参加者は主に、アリエス領およびネロベルク領の役人と作業員であり、こんな内輪の集まりにまさか皇子が訪ねてくるなど誰も想像にしなかった。
懇親会はビュッフェ形式で、正面の長テーブルにパンやスープ、それに肉や魚などの様々な料理が並んでいた。
参加者たちはトレーの上に皿を並べ、欲しい料理の前に並ぶと給仕係がよそうような仕組みであった。
リラはというと侍女や町娘たちと並んでスープの給仕担当を行なっていた。
そして、そのスープの列はなぜかひとつだけ、ずばぬけて長いものになっていた。
「ダンさん、いつもありがとうございます。」
「いやー。リラちゃんこそいつもありがとうね。」
「アランさん、いっぱい食べてくださいね。」
「はは。たくさんよそってくれよ!」
「ふふ。おかわりもありますよ!」
「ケビンさん、今年もお世話になりました。」
「こちらこそお世話になりました。」
リラは他の給仕係と異なり、スープをよそいながら、ひとりひとりの名前を呼び短く挨拶し言葉を交わしているではないか。
クライヴはまたもやその光景に呆然とした。
ひとりひとりの名前を覚えていることにも驚かされるが、皆がリラを慕いとても幸せそうな表情を浮かべていることにも衝撃を受けたのだった。
(美しい…。)
そう思い、今すぐにでもリラに手を差し伸べたいものの、この状況ではリラに話しかけることすら容易ではなかった。
皇子の権限で給仕するリラを止めて話すこともできるだろうが、あんなにも楽しそうなリラの手を止めることも憚られ、もっと見つめていたいような気持ちも膨らんだ。
その日のクライヴは部屋の隅で給仕をするリラをただただ見つめ、時間が来るとその場を後にした。
年が明け春が訪れた頃、クライヴは今度はアリエス伯爵邸に直接向かった。
先触れを出そうとしたものの、クライヴも公務で忙しいため確実な都合などつく日を選ぶことができなかった。
そして、またもや突然アリエス伯爵邸を訪問したため、主人であるチャールズ・アリエスは不在らしく、その代わりにアリエス家長男であるルーカスが取り次ぐこととなった。
クライヴをサロンへと案内され、ルーカスと向かい合うようにソファに腰かけた。
「ルーカス、と言ったかな。先触れもない訪問をで申し訳ない。」
「いえ、とんでもございません。アクイラ国皇子、本日はどのようなご用件でしょうか。橋梁工事の件でしたら、資料が管理小屋にございますので、場所を移したいのですが…。」
ルーカスは皇子であるクライヴに気圧されることもなく、あたかも対等であるように話をするのだった。
「いや、リラ嬢と話がしたいだけなのだが、どこにいるだろうか。」
「ふははは。」
その言葉にルーカスはたまらず笑い出した。
クライヴは些かルーカスの不敬な態度にムッとしたが、想い人の兄であるため多少の無礼な振る舞いは目を瞑ることにした。
「すいません。以前からリラに逢いに来ようとしていることは、それとなくサムから聞いておりましたが、まさか、本当にそうだったとは驚きで。」
ルーカスは気づいていた。
クライヴが初回の会合でチャールズにリラの所在を尋ねていたことも、その半年後に屋敷に訪ねてきたことも、また年末の懇親会に姿を現したこともすべて見ていたのだった。
またルーカスもサムと同じく橋梁現場責任者のひとりであった。
管理小屋で仕事も碌にしないサムが時折、クライヴ宛の書状を熱心に書いている姿が気になり、それとなく尋ねたことがあったのだった。
「まさかとは思いますが妹にご興味でもおありですか?」
ルーカスは先ほどの表情とは一変してするどい表情でクライヴを見た。
「だとしたら?」
クライヴはドキリッとした。
それは媚へつらうでもなく、恐れ慄くでもない、どこか自分を品定めするような、自分を試すような視線だった。
「いえ、もちろん貴方なら申し分ございません。応援しますよ。」
ルーカスはそうにこやかに答えたのだった。
クライヴはふっと笑みが零れた。
(兄の理解もあるのは心強い。)
「ところでリラ嬢は、どちらに?」
クライヴは話がまとまったところで慌てて本題に戻った。
「あー。すいません。一週間ほど前からタウンハウスに出かけています。」
「(また不在か…。)いつ頃帰ってくるのだろうか。」
以前もタウンハウスに出掛けていたことはあったが、一週間ならもうそろそろ帰ってくるかもしれない。
幸い今回は滞在期間にも多少余裕があった。二、三日中に帰宅するのであれば宿をとって待つこともできた。
「夏まで帰ってこないですね。」
「夏!?」
クライヴは思わず大きな声をあらげた。
その様子にルーカスは吹き出したように笑い出した。
「ははは。今年から王都にあるアベリア学園に入学したんですよ。」
落胆するクライヴをルーカスは容赦無く笑っていた。
ここまで遥々訪れたにも関わらず、またしても一目逢うことも叶わないとは、何足る不運だ。
クライヴはたまらず溜息を零した。
それにしても、リラの兄とは思えないほどの不躾なルーカスの態度にクライヴは驚かされたが、不思議と苛立ちはなかった。
それよりも今まで出逢ったことのない振る舞いに興味を惹かれた。
「もしよければリラについて教えてもらえないだろうか。」
「ええ。もちろんですよ。何から話しましょうか。」
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