クライヴの求婚
ふたりがそんな話をしながら紅茶を飲んでいると、調合が終わった知らせを受けた。
ふたりは工房に戻ると、そこには装飾のない透明な小指ほどの小瓶がふたつ用意されていた。
「すいません。今、サンプル用にお渡してしている小瓶しか用意がなく…。」
「とんでもございません。ありがとうございます。」
リラは満面の笑みで受け取ると、ひとつをクライヴに差し出した。
一般に販売している香水の量と比較するととても少ないが、無理を言って用意してもらったのだ。
ふたりの初デートの記念としてはこれで十分だった。
「ありがとう。次は正式に注文させていただくよ。」
クライヴも工房長に礼を言うと、ふたりは工房を後にした。
工房を出ると、西の空は橙色を帯び、もうすぐ陽が暮れようとしていた。
楽しい時間はあっという間であった。
ふたりは馬車に乗り込むと、どちらともなく寄り添い、先ほど受け取った小瓶を楽しそうに眺めていた。
「リラ、素敵なプレゼントをありがとう。」
クライヴは満面の笑みでリラに礼を言う、リラもまた嬉しそうに目を細めてクライヴに笑いかけるのだった。
シュッ。
クライヴは香水自身の手首に馴染ませてから、リラの首元に擦り付けた。
途端にふたりの周りに薔薇が咲いたと思わせるような上品でそれでいて甘い薔薇の香りが立ち込めた。
クライヴはその香りをより確かめるようにリラの肩に顔を埋め、リラを抱き寄せた。
「すごい、唆られな…。」
「そ、そうですか。少し香りが濃いせいですかね。」
できあがった香水は選んだリラも驚くほどに、甘く唆られる香りをしていた。
クライヴはいつも自分を蕩かすような香りを身に纏っている、自分だって少しはクライヴを翻弄するような香りを纏いたいものだ。
(少し甘い香りを選びすぎたかしら…。)
リラは恥しそうに頬を紅めた。
「でも、こんな唆られる香りをリラが身に纏ったら、誰しもリラの虜になってしまいそうで心配だな。」
クライヴはリラの肩に顔を埋めたまま眉間に皺を寄せた。
「そ、そんな、まさか…。」
リラは慌てて否定した。
クライヴのような美貌を持ち合わせていない自分が、香水を少し変えたくらいで男性が寄ってくるなど夢にも思えなかった。
「もちろん、リラはどんな香りをしてもしなくてもとても魅力がある。」
そう言うと、クライヴはリラの頬に手を当てて、リラの透き通る湖のような青緑色の潤んだ瞳を覗き込んだ。
「ただ、用心に越したことはないから、俺とふたりきりのときにだけ、身に纏ってね。」
こんな情欲に満ちた紅い瞳で頼まれて誰が断れるだろう。
(ぐずぐずにあなたに染まっていきたい…。)
リラはそう思いながら、静かに頷いた。
その返事を合図に、クライヴは食むようにリラの唇に口付けした。
それから、唇の間を割って舌が押し入られ、リラの上の歯をなぞり、下の歯をなぞり、舌を絡ませ喉の奥まで舐め回すように口内を犯していった。
リラは、息も絶え絶えに苦しそうに涙目になりながらも、恍惚とした表情を浮かべていた。
唇が離されると、リラはもどかしそうに眉を寄せクライヴを見つめた。
クライヴは愉しそうに舌なめずりをすると、またリラの口に舌を入れ口内を蹂躙するように舐めまわし、リラも応えるようにクライヴに舌を絡ませていた。
☆ ☆ ☆
陽が暮れた頃に、馬車は皇都にあるアクイラ国人が経営する二階建てのレストランの前に着いた。
クライヴがせっかくのリラとのデートとのことで予約をしてくれたのだ。
ここはクライヴがアベリア国を訪れた際は必ず立ち寄るらしく、オーナーとも顔馴染みのようだった。
店内に入ると、クライヴはオーナーに軽く挨拶し二階の個室に案内された。
その部屋は、入って正面には、バルコニーに面した大きな窓がある個室だった。
バルコニーにはたくさんの植木鉢があり、様々な花々が咲き誇ってた。
そんな花々を照らすランタンも所々に置かれ、その灯りの揺らめきもまた美しかった。
部屋は二階に位置していることもあり、通行人の目を気にならず、ここが皇都であることを忘れさせるようなとてもロマンチックな雰囲気だった。
そんなバルコニーをよく見渡せるようにとテーブルと二脚の椅子が隣同士に並べられていた。
リラはあまりの豪奢な個室に目を輝かせた。
「こんな素敵なレストランが、皇都にあるなんて全然知りませんでしたわ。」
満面の笑みでクライヴにそう告げるとクライヴもまた嬉しそうに微笑んだ。
「いつかリラと来たいと思っていたんだけど、喜んでもらえてよかったよ。」
食事中はふたりは他愛ない話をした。
クライヴの仕事に、リラの学園生活など。
ふたりは笑い合い、美味しい料理に舌鼓しながら、楽しい時間を過ごした。
メインを食べ終え、デザートは隣の部屋に案内された。
そこは、先ほどと同様の構造を持ちながら、正面には食卓用テーブルではなくローテーブルとソファが置かれ、先ほどより薄暗く、より寛げる空間を演出していた。
ローテブルには、ケーキスタンドにフルーツをふんだんに使った小ぶりのタルトやケーキが置かれ、それを照らすようにいくつかのキャンドルが並べられていた。
リラはまたしても目を輝かせて満面の笑みを浮かべた。
接客係が紅茶を運ぶとクライヴは人払いをすると、スッとソファから立ち上がりリラの前で跪いた。
一瞬、リラは皇子が自分の前に跪くことに驚いたものの、クライヴは穏やかな笑みを浮かべ、リラの手を取り口付けをした。
「初めて逢った時から、ずっと愛している。どうか俺と結婚してほしい。」
リラは、あまりのことに驚きつつも顔が綻びながら、胸がいっぱいになり涙が自然に溢れた。
今日、自らクライヴに婚約の承諾をしようと意気込んで計画を立てたにもかかわらず、逆に求婚されるとは全く予想だにしなかったのだった。
『私もあなたを心から愛しています。』
『あなたとずっと一緒にいたいです。』
そう伝えようと思うが涙が止めどもなく溢れ、うまく言葉が出てこず頷くだけで精一杯だった。
クライヴはそんなリラを優しく抱きしめ、頬と頬をすり合わせた。
暫くして、リラの興奮がおさまった頃に、クライヴはポケットから重厚感ある箱を取り出した。
パカっと開かれた箱の中にはリラが見たこともないほどの大ぶりのダイヤモンドを中心に細かいダイヤモンドが幾つも飾られた美しい指輪が入っていた。
「リラ、受け取ってくれるね。」
クライヴはリラの左手を手に取ると薬指に指輪をそっとはめた。
リラは嬉しくて、治った筈の涙がまた自然と溢れた。
ふたりは、自然と唇を重ねると笑い合った。
「あ、あのクライヴ様。こんな素晴らしい贈り物をいただいた後で大変恐縮なのですが、もしよければ受け取っていただけますか。」
そう言いながらリラは小さな鞄からリボンのついた小さな袋を取り出した。
クライヴは予想外のお返しに驚きながらも嬉しそうに袋を紐解くと中には焦茶色の手袋がありCliveと刺繍が施されていた。
「まさか、こんなお返しがあるとは…。」
「以前、クライヴ様が何か手編みの品が欲しいとおっしゃっておりましたので…。」
その手袋は店で売っていたと言っても遜色がないほど上等な品だった。
クライヴは大層感心したように手袋を観察し、手にはめてみると寸法もピッタリだった。
「すごいな。これをリラがひとりで編んだのか。」
「はい。この編み方は私の地方では家族や婚約者と言った大切な人に贈る編み方なんですよ。それと…。」
リラは照れながらそう答えると、恥じらいながらまた鞄から同じ色の一回り小さな手袋を取り出した。
「私もお揃いで作ってみました。」
せっかくの恋人同士なのだ。
何か揃いのものが欲しいと常日頃思っていた。
そんなときに、クライヴに編み物を贈る約束を思い出し、ちょうどいいので揃いの手袋を編むことにしたのだった。
照れながら手袋を見せるリラにクライヴは意地悪く笑った。
「はは。これでは、誰がどう見ても恋人同士だな。リラは恥ずかしがって口外するのを躊躇っていたように思えたが案外満更でもなかったのか。ありがとう。外出するときは必ずつけるよ。」
その言葉にリラは自分がした事態に気づいた。
ただ揃いの品が欲しいと思って作っただけなのだ。
クライヴが自分のものと皆に知らしめたいわけでは決してなかった。
「そ、そんな…。えっと…。」
慌てて否定したくもあるが、身につけてはほしい。
そんな恥じらうリラの額にクライヴはそっと口付けた。
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