レイラの薔薇園

リラの誘い

 その日、リラはクライヴに婚約に承諾することを告げずに帰宅した。


 今更でもあって、自分から切り出すのが些か恥ずかしかった。

 どんなタイミングでクライヴに告げればいいのだろうか。


 手伝いの最中では、あまりにも唐突である。

 それでは、晩餐のときだろうか、それではあまりにもパッとしない。


 クライヴは今までリラに豪奢なドレスに加えて、ふたりきりのダンスパーティーと特別な演出を用意して、喜ばしてくれているのだ。

 そんな相手に、単に婚約を承諾します、と告げるだけなど何とも味気ない。


 リラだってクライヴにとびきり喜んでもらえるような何かを贈りたい。

 せっかくならロマンチックな演出も付け加えられないか。


 そう思い悩むのであった。


☆ ☆ ☆


 翌日の授業終わり。

 リラはいつものようにクライヴの元に訪れていた。


 しかし、珍しくクライヴは不在だった。

 いつもは、執務室で仕事をしているクライヴに迎えられていたのだが、今日は何やらレベッカの件でまた事情聴取があるやらで帰宅が遅くなっているらしい。


 そういえば、今日はレベッカはもちろんのこと、ロイドとレナルドも欠席をしていた。

 昨日、ロイドがクライヴに調査報告を終えると足早に帰宅していたのを思い出した。


「そういえば、学園は大丈夫でしたか。ユングフラウ元侯爵のことを何か尋ねられませんでしたか。」


「はい。私も幾分か覚悟して向かったのですが、びっくりするくらい何もございませんでした。」


 リラは先生からレベッカについて何か話があると思っていたが、何も語られることもなかった。

 それに、先日の騒動を知る生徒も少ないのか、教室はいつも変わらず、そのことを話題にするものはいなかった。


 いや、もしかしたら知っていたのかもしれない。

 けれど、ユングフラウ元侯爵家の派閥は根強い、その報復を危惧して口にすることを躊躇っているのかもしれない。


「それにしても、クライヴ様。遅いですね。」


「そうですね。夕刻までには戻るとおっしゃっていたのですが…。」


「明日も明後日もお忙しいんですか。」


「そうですね。こちらでやるべきことは、リラ嬢のお手伝いもあり片付いているので、本来であれば余裕があるのですが…。」


 確かに仕事が落ち着いているのは感じていた。

 今日も訪れたものの、頼まれることは、ほとんど雑用程度だった。


 そんな話をデイビッドとしながら、書類を片つけてていると、窓から馬車が到着するのが見え、リラは勇んで玄関ホールに向かった。


「クライヴ様。お帰りなさい。」


 玄関ホールで上着を執事に預けるクライヴに駆け寄り、リラがそう言うと、クライヴは一瞬にして緊張が解けたように顔が綻んだ。


「ただいま。」


 クライヴは駆け寄るリラをそのまま抱き締め唇を重ねると肩に顔を埋めた。

 リラは驚きと共に一瞬いして頬を染めた。


 クライヴの帰宅があまりにも嬉しくて駆け寄ったのはリラだ。

 逢えばこのように、いつでもどこでも構わずに抱きしめてくるのを知ってはいた。

 けれど、まさかこんなにも多くの使用人たちの前で堂々と唇を重ねるとは思いもしなかった。


 もちろん、クライヴの使用人たちもふたりの関係は十二分に知っている。

 それでも使用人たちの前では、手の甲かせいぜい頬に口付けをされる程度だった。


 それが、今は唇なのだ。


「新婚になったみたいだね。」


 クライヴは甘くそう囁くのだった。

 その言葉を受けてリラは正式に婚約を了承せずとも気がついたら結婚式があがっているのではないかと思えた。


 使用人たちはそんなふたりの和やかな様子を微笑ましく眺めていた。




 ふたりは晩餐を済ませると、いつものようにサロンでくつろいでいた。


「クライヴ様。明後日はお忙しいでしょうか。」


「明後日か…。明日はまた本殿に顔を出さないといけないが、明後日は大丈夫かと思う。どうかしたのか。」


「えっと。もしよろしければ私とお出かけしませんか。」


 リラは頬を染め、恥じらいながら尋ねた。

 今まさに、出かける誘いを自分からしたのだ。


 それもクライヴと初めてのお出かけだ。

 恋愛に無頓着だった自分にこんな日が来るなど夢にも思わなかった。


「ああ。リラからの誘いであれば断れる筈もない。一日空けておくよ。」


「ふふ。ありがとうございます。」


 リラは満面の笑みを浮かべた。


☆ ☆ ☆


 お出かけ当日。


 リラはいつもより早く目覚めた。

 今日は、見渡す限りの雲ひとつない晴天で絶好のお出かけ日和であった。

 リラの心は自然と浮き足だった。


 リラは珍しく朝からも入浴を行い、侍女に軽くマッサージをお願いした。

 前日から選んでおいた、お気に入りの深緑を基調としたデイドレスと、同じ色の宝飾を身に纏い、侍女に薄く化粧をほどこしてもらった。


 リラは鏡を見た自分の姿に、自分でも上出来でと思え顔が綻んだ。


「お嬢様、とてもお似合いですよ。アクイラ国皇子もさぞお喜びになられるのではないでしょうか。」


 侍女の優しい言葉にリラは思わず顔がにやけた。

 大好きな人とふたりで出かけるのも楽しいことだが、大好きな人のためにお洒落をするのもこれほどまでに楽しいこととは知らなかった。


(早くクライヴ様に見せたい…。)


 そう思っていると、クライヴの到着を知らせを受け、リラは慌てて玄関ホールへ向かった。


「クライヴ様!」


 リラが玄関ホールの階段を降りてクライヴに駆け寄った。

 いつもにも増して愛らしいリラの姿を見てクライヴは自然と顔が綻んだ。


「今日も綺麗だ。」


 そういうとクライヴのエスコートでふたりは馬車に乗り込んだ。




 馬車が向かった先は皇都から小一時間ほど離れた郊外にある温室の薔薇園だった。

 今日は天気が良いのもあり、天井から差し込む暖かな光もあって園内はとても心地よかった。


 この薔薇園は、併設された香水工房に管理されており、その材料を目的として栽培さていた。

 工房管理からと言って安っぽい薔薇園ではなく、中には立派な薔薇園と見まごうほどの薔薇のアーチに観賞を楽しめるようにテーブルと椅子、長椅子などもおかれているのだ。


 皇都から然程離れてもおらず、一般にも開放されているのだが、認知が低く所謂穴場スポットだった。


 そんな薔薇園で栽培されている薔薇は、香水用のための栽培ということもあり、非常に香りが強い品種を中心に栽培されていた。


 リラは楽しそうにクライヴの手を引いて、園内を案内するのだった。


「こんなに美しい薔薇が揃っているのに、一般客が誰もいないのは驚きだな。それにしても、すごい薔薇の香りだな…。」


「ふふ。喜んでいただけて嬉しいです。クライヴ様からいつも薔薇の香りがしますので、お好きなのかと思いまして。」


「こんな素晴らしいのに、人気のないところをどうして知っているんだ。」


「ふふ。以前、好みの香水を探して、こちらの薔薇園とその工房を見つけたのです。こちらの工房で製作した一部を皇都の有名な香水専門店に卸しているらしいですよ。あとで工房ものぞいてみませんか。」


「是非。」


 ふたりは終始手を繋いで、誰もいない薔薇園を見学した。

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