クライヴの提案

 クライヴは、足を組んだまま優しく微笑みリラの言葉を待っているようだった。

 その笑顔は本当に穏やかそうで、何もかも包み込んでくれるような温かさを感じるが、リラは何故かとてつもない圧を感じた。


(怒ってます…?)


 これなら、まだ睨まれている方が良かったかもしれない。


「確かに、今まで些か強引なところもあったと反省している。だから、リラが不満に感じているところを教えてほしい。」


 そうは言われても、まさか今いきなりその質問をされるとは全く思っておらず、リラは心の準備が全くできていなかった。




 暫くリラは口籠ると、目の前の紅茶を一口飲んだ。

 緊張で味などしないが、気持ちを整えるのに必要な行動だった。


「え、えっと…。最初から説明させていただきます。」


 クライヴは黙って頷いた。


「その書状につきましては、アベリア学園にクライヴ様がいらしゃった後に、婚約の真意が分からず、また次にいつクライヴ様にお逢いできるかわからなかったので、クライヴ様と同じく一国の皇子でもあり学友でもあるロイド様と、その側近のレナルド様ならクライヴ様に詳しいのではと思いご相談させていただきました…。」


 リラは書状の経緯から説明した。


「それから現状、私の婚約についての不安は大きく二つございます。」


「一つ目は、やはり身分が異なることが気になっております。皇族との婚約は侯爵家以上が一般的かと思っておりました。それが何の政治的権力もない片田舎の伯爵家が選ばれるなど到底理解ができませんでした。それに加え、私に皇太子妃として、将来は皇后としての務めが果たせるのか不安がございます。何度も申しますが、私は所詮、片田舎の伯爵令嬢でして、貴族としての教養も最低限で、皇族になる教育などもちろん受けておりません。何より皇族の一員となり国民を支える立場に相応しい人間なのか、とても自信がございません。」


 リラは唇を震わせながら、何とかそこまで言い終えると唾を飲み込んだ。


「もう一つは?」


 クライヴは、相変わらず穏やかな表情だった。


「もう一つは、家族と領民のことです。父は人柄は良いのですが経営者向きではなく、兄もまだ未婚で領民を支えていくには、まだまだ人手が足りないと感じております。ですので、学園を卒業しましたら、すぐにでも領地に戻り家族の手助けをしたいと思っておりました。ですので、今すぐ婚約および結婚するのは、なかなか難しいと思っております。」


 クライヴは、その話を聞き終えると、腕を組み顎に手を当て考え込んでいるようだった。


「そっか…。他には何か思うことは?」


 少し間があっただろうか、クライヴはリラにそう尋ねた。


「えっと…。思い当たる不安は以上ですね…。」


「なら、良かった。」


 その言葉を皮切りに、クライヴから凍てつくような圧はなくなり、穏やかな笑みを浮かべた。

 リラは、クライヴから圧がなくなったことに安堵するも、言葉の意味が分からず困惑した表情を浮かべた。


「じゃあ、恋人になるのはどうだろう?」


「『恋人』?」


 リラは、その聞きなれない言葉に呆然とした。


 平民同士であれば、自由恋愛が存在する。

 リラは領地で時折、誰と誰が恋仲だという話を耳にすることがあった。


 けれど、貴族の間では自由恋愛が存在しない。

 資産保持が目的のため、良い家柄から順に婚約していくのが普通で、恋人という何の制約もない関係は許されなかった。


 もちろん、平民同士の自由恋愛を憧れを抱いたことはあった。

 しかし、自分は貴族として生まれたのだ。


 自分は領地と領民を大切にしなければと思っていた。


「そう。俺は皇子でもないただのクライヴで、リラも貴族の娘ではないただの可愛い女の子。俺はリラが好きで、リラが俺を好きなら成り立つ関係。国のことも領地のことも関係ない。だから、まだ皇太子妃になることも皇后になることも領地から離れることも考えなくていい。ただの恋人。」


 クライヴのその言葉にリラの胸の奥はジワジワと熱くなった。

 ただ好きなだけで成り立つ関係なんて、考えたこともなかったのだ。


 もし、リラがただの領民で、クライヴも近くに住むただの領民なら、すぐにでもその胸に飛び込んでいただろうか。


「俺のこと好き?」


 クライヴは甘くそう口にして、艶やかな紅い瞳でリラを見つめた。


 リラは恥ずかしさのあまりに視線を逸らしながらも言葉に表すことなく小さく頷いた。




 それを見るとクライヴは立ち上がりリラの隣の腰掛けた。

 リラは一瞬にしてクライヴの甘い薔薇の香りに包まれ、頬は上気しクライヴの紅い瞳の虜となった。


 リラのその様子にクライヴは意地悪く笑うと、リラの頬を両手で包み込んだ。

 リラの大きな青緑色の潤んだ瞳とクライヴの艶やかな紅い瞳が絡み合った。



 クライヴは物欲しそうに親指の腹でリラの唇をなぞり、じっとその薄紅色の艶やかな唇を見つめた。



 リラはクライヴのその視線にさらに上気し、鼓動はさらに早くなり、強張りながら静かに目を瞑った。


(ただのクライヴ様がそこにいるのなら、私も自分の気持ちに素直になりたい。)


 そう思うものの、やはり目の前にいるのは、ただのクライヴではなく一国の皇子であるクライヴ・レオ・アクイラだ。


 戸惑いが全くないわけではなかった。

 ただ今は、そのことを忘れて、自分の気持ちに正直でありたい。


 クライヴは、その様子にふわっと優しく微笑むと、リラの唇にそっと触れるだけの口付けをした。


☆ ☆ ☆


 その日の夜。

 晩餐を終えたレナルドは執務室で火急の書状を受け取った。


「アクイラ国皇子からか…。」


 レナルドは封筒を開き中を確認した。


【レナルド殿。お忙しいなか、ご配慮いただき感謝いたします。さて、リラ・アリエス伯爵令嬢との婚約についての申し立てですが、本日、本人と相談させていただきました。】


 レナルドは、その言葉を見ると、驚き慌てて元のように便箋を封筒にしまった。


(リラ嬢とアクイラ国皇子はすでに会話されたということか?!)


 レナルドは全く予想だにしなかった。

 レナルドがそう思うのも無理はない、三人で相談したのは、たった三日前だ。


 書状を送ったのは二日前の夕刻だから、書状がクライヴの手元に届いたのは、おそらく昨日だろう。


(それにしても、昨日、今日は学園は休みだ。どうして、リラ嬢とアクイラ国皇子が接触できるというのだ。)


 レナルドの想定では、明日にでもリラに書状を送った旨を伝え、婚約申込みの断りについて、再度三人で相談しようと持ちかける筈だった。


(まさか、こんなにも早くふたりが会話をしているとは…。)


 レナルドは信じられず頭を抱えた。



 そして、何より大きな問題があった。

 この書状が届いた事実をロイドにいつ、どのように伝えるかだ。


 レナルドは、途端にげっそりして、執務室にひとりきりなのを良いことに豪快に溜息を吐いた。


 ロイドの性格からすると一番望ましいのは今すぐなのだろう。


 だが、それを行うと、おそらくというか確実にロイドに朝まで寝かせてもらえない。

 レナルドにとって、それは絶対に避けなければならない問題だった。


 クライヴが来てから、珍事件が重なりロイドは度々仕事が手につかなくなり、かなりの量をレナルドが手伝うという悲惨な状況が続いていた。


 レナルドは、残業に次ぐ残業に加えて、ロイドの愚痴を明け方まで聞く生活が続いており、これ以上に睡眠時間を削られては、とても敵わなかった。


(絶対に、今日の睡眠時間は確保したい!)


 それに、クライヴからのこの書状は内容が不透明なところが多い、おそらく敢えて伏せているのだろう。


 良からぬ詮索をする前に、明日にでもリラから直接ことのあらましを尋ねるべきだろう。

 やはり早くても翌朝の学園に向かう馬車の中で、できればリラから概要を聞いてから三人で話すのが最良だろう。


(明日は寝れないかもしれない…。)


 そう思いレナルドは執務室を出て行った。

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