出逢 〜クライヴとデイビッド〜

 リラは頭を抱え込んだ。


(〜〜〜!!)


 先触れもなく訪れて、何も告げずに去っていくとは、今更ながら妹を何だと思っているのだ。


 けれど、そんな奇想天外な行動も今に始まったことではなかった。

 それに、見方を変えれば、これ以上変に揶揄われたり詮索される心配をせずに済むのだ。

 リラにとっても都合が良いというものだった。




 暫くすると屋敷にデイビッドが訪れ、リラは馬車に乗り込んだ。

 ふたりでクライヴの待つ屋敷に向かう中、リラは何の気なしにデイビッドにクライヴとの関係について尋ねてみた。


「そういえば、デイビッド様はクライヴ様とご親戚なのですか?」


 リラがふたりを親戚と思ったのも、ロイドと側近のレナルドは従兄弟同士だということがあったからだった。


「いえ、私はお恥しながら元々貴族ではございません。アクイラ国の西の端にある田舎街の商家の次男坊として産まれました。」


「そうなんですね…。」


 リラは驚いた。

 皇子の側近ともなれば、親戚でないにしても有力な貴族の令息かと思いきや、全くそうではなかったのだった。


「殿下はあまり身分に気になさらないので、私のように平民出身のものがお側にいることがしばしばございます。もしかして、自分のようなものが殿下にお仕えするのはお嫌でしたか?」


「いえ、とんでもございません!」


 リラは、慌てて大袈裟に手を振り否定した。

 確かに、貴族の中には由緒ある血筋を好むものもいるが、貴族よりも領民と話す方が好きなリラは全く気になることなどなかった。

 寧ろ、どのような経緯で知り合ったのかの方が大いに気になった。


「もし良かったら、どのようにしてお知り合いになったのでしょうか。」


 リラがそう尋ねると、デイビッドはにこやかに話し始めた。


★ ★ ★


 数年前。

 クライヴは国内視察のため、デイビッドの住むとある田舎町を訪れていた。


 デイビッドの家は代々ワインを専門店を経営しており、その地方の貴族に、かなり贔屓にされていた。

 当時からワインに興味があったクライヴは視察の合間でその店を訪れたのだった。


「この中で美味いワインはどれだ。」


 クライヴは店に入ると、すぐに店主であるデイビッドの兄を呼びつけそう尋ねた。


「殿下。わざわざお越しいただきまして至極光栄にございます。立ち話も何ですので、奥の応接室でワインを選定させていただきます。(一国の皇子ともなれば、そこいらの貴族よりも金がある。ここは丁重にもてなして、高いワインでもたんまり買ってもらおうじゃないか。)」


 店主は商売人の目を輝かせながらクライヴを出迎えた。


 店にクライヴが訪れたそれだけでも店の株が上がるというものだ。

 それに加えて、ここでクライヴに高いワインを買わせれば、そのワインの株も上がり近隣の貴族にまた高値で売り捌くことができるのだ。

 このチャンスを逃すまじと店主は自分でも信じられないほどの猫撫で声だった。


「いや、あまり時間がないから、ここで構わない。」


 けれど、クライヴはあっさりその申し出を断った。

 大抵の貴族は、このような好待遇に上機嫌になり懐が緩むというのに、一国の皇子ともなれば、そんなお別科も何の意味もないようだった。


(チッ。皇子はお高く止まっているな。)


 店主は、仕方なく言われるがままに、奥から如何にも古めかしい木箱を自信たっぷりに持ってきた。


 皇族には高いワインを差し出せば満足すると誰かに吹き込まれたのだろうか。

 それともクライヴがまだ年若いこともあり、ワインの味など分からないから適当に選んだのだろうか。


「こちらが殿下にふさわしいと思いご用意させていただきました。」


「他には?」


 クライヴはワインをちらりと見ると興味なさそうに、棚に陳列された他のワインを眺めながら答えた。


「え?」


 店主はその態度に驚き固まるも、慌てて奥へ戻り、これまた古めかしい木箱を持ち出した。


 今まで出逢った貴族は値段が高ければ高いほどに喜んでいた。

 高いものを易々と買えることこそが貴族の象徴とでもいうように喜んで大金を払っていた。


「えっと、こちらなどいかがでしょうか?」


「他には?」


 クライヴは、それにもあまり興味ながなさそうだった。

 その後も店主はあれもこれもと持ち出すも全く相手にされなかった。


 デイビッドはその様子を棚にあるワインを拭きながら遠巻きに眺めていた。


 何度かこのようなやりとりが行われていると、クライヴはツカツカとデイビッドに近づいてきた。


「そこのお前、選んでもらえるか。」


「あ、はい。どのようなものがお好みですか?」


 デイビッドは、あまりにも唐突にクライヴに話しかけられ、思わずいつもの客のように質問を返した。


「なんでも構わない。」


 クライヴは棚に並べられたワインを見ながら興味なさそうに、そう答えた。


 デイビッドは、仕方なくワインを選ぶために店内を歩いた。

 そんなデイビッドの様子を店主は不安そうに眺めていた。


 店主からすると、デイビッドが選ぼうとするワインは、味は良いが中流貴族に出すにも、だいぶお手頃のワインなのだ。

 店主はそんな安いワインは寄せと言わんばかりに、顔を顰めて首を小さく横に振った。


 しかし、デイビッドは、そんなの構わず自分の好きなようにワインを選んだ。

 先ほど、兄である店主が店にある高いワインから順にクライヴに見せたが一向に興味がない様子を散々見てきたのだ。


 それなら、いつもの初見の客のように選ぶしかないデイビッドはそう思えた。




 デイビッドはクライヴが何を求めているのか、さっぱりわからなかったので、数種類を準備した。

 その味は、甘味が強いもの、さっぱりとしたもの、重たいものなど様々だった。

 それらをクライヴの前に並べて、産地や味の特徴を一通り説明をした。


「どれか興味があるのものがあれば試しにお呑みになりますか。」


 店には試飲用のグラスが用意してあった。

 デイビッドは横目で店主を見るとこれでもかと眉間に皺を寄せて不安そうな表情を浮かべていた。


『そんな安いワインの試飲を進めるなど不敬極まりない!』


 今にもそんな怒号が聞こえてきそうな険しい表情を浮かべていた。

 おそらく、この店主はろくな接客をせずに高いワインだけを今まで貴族に勧めてきたのだろう。


 けれどデイビッドの意思は固かった。


『自分の客には本当に美味しいと思えるワインに出逢ってほしい。』


 これが仕事をする上でのデイビッドの信念だった。

 その上で、客の好みを探るにはまずはこのワインからだろうと、長年の経験から選んだワインだったのだ。


 ただ高いもの、貴重なものを渡しても満足するとは限らない。

 逆に高いワインを売りつける店だと評判が落ちても困るのだ。

 先ほど、店主が取った行動が良い例であった。


 クライヴはその行動に多少興味を示したようにワインのボトルを見入った。店主はクライヴが先ほどの自分との態度とまるで異なることに驚いた。


「お前はどれが好みなのだ?」


「そうですね。私はこの中では、こちらのワインが好みですね。」


 デイビッドは気にせず、いつも通りひとりの客として答えた。


「では、それを試しに飲ませてもらえるか。」


 デイビッドは試飲用のグラスを取り出しワインを注ぎクライヴに手渡した。


「軽いな。」


 クライヴは一口飲むと、そう告げた。


「そうですか?私には、これくらいがちょうど良かったりします。もう少し重みがあるものがお好きなら、また選びますが。」


 デイビッドがそう尋ねるも、後ろから従者が近寄るのが見えた。


「殿下、次のご予定が…。」


 従者にそう言われると、クライヴは礼を言ってその場を後にした。




 それから滞在中の数日間は、クライヴは店に訪れデイビッドとワインの試飲をしたり説明を受けたりしていた。


「ところで、何故お前が店主ではない。」


 不意にクライヴはデイビッドに尋ねた。


「私は次男ですので、後継にはなれません。来年くらいには、この店も出ていかないといけないのですが…。」


 デイビッドは空笑いをしがら、恥しげに答えた。


「そうか。なら、俺の元で働く気はないか。」


 デイビッドはあまりのことに耳を疑った。

 クライヴは全く表情を崩さなず更に続けた。


「問題ないなら荷物をまとめてくれ。明日にはこの街を立つ。明朝、迎えを寄越す。」


 それだけ言うとクライヴは店前につけていた馬車に乗り込んだ。


 デイビッドはクライヴが立ち去るのを見ると、腰が抜けたようにその場にしゃがみ込み身体を震わした。


☆ ☆ ☆


「その後は、大慌てで荷造りしましたよ。父と兄はさぞ驚いていましたが、元々跡取りでもない自分がいつまでも店にいるのを煙たがっておりましたし、何事もなく殿下に着いて行くのを許してもらえました。」


 リラは驚いた。


 話の規模は多少違えど、今の自分と同じような状態であった。

 寧ろ平民からクライヴの側近として仕えるデイビッドの方が自分よりも余程大変に思えた。


 なんだか、自分が身分のことを気にしてクライヴとの婚約を躊躇っていることを恥ずかしく思えてきた。


 それにしても、突然の皇子からの誘いに、どうして即決することができたのだろうか。

 躊躇いや戸惑いはなかったのだろうか。


 クライヴからの婚約の申し出にあと一歩で踏ん切りがつかないリラは、そのことが気になって仕方がなかった。


「その、クライヴ様のお側でお仕えるすることに不安などはなかったのでしょうか…。」


 昨日までただの平民だったのだ、いきなり皇子の隣で名だたる貴族を相手にしなくてはならないのだ。

 大抵の人間は、そんなの想像しただけでも恐ろしい。


 幾分の不安もなかったのだろうか。


 誹謗、中傷など受けなかったのだろうか。


 これから起こるであろうリラの未来への不安を少しでも払拭するように、聞かずにはいられなかった。


「そうですね。あのときは、殿下とお話ししていて、殿下の魅力に取り憑かれていたのでしょうね。博識で、聡明で、会話を重ねるうちに、この方と是非仕事をしてみたいと思わずにいられませんでした。それに、こんな田舎の商家の次男坊という、何の取り柄もない自分を買ってくれたのです。自分のようなものが断る選択肢など考えられませんでした。今思えば、何とも無謀なことをしたなと思います。ですが、あのときは感情のまま動かずにいられなかったのでしょうね。」


 その言葉にリラはハッとした。


(クライヴ様ともっと一緒にいたい。クライヴ様のことをもっと知りたい。それだけでもいいのかもしれない…。)


 もっと素直な気持ちを表に出してもいいのかもしれない、リラは自然とそう思え、心の中の迷いや不安が少しずつ晴れていくのを感じた。


「けれど、まさか、側近になるとは思ってませんでしたよ。せいぜい、下僕かよくて従者かと思ってました。皇都に着いてからは、家庭教師をつけられ国政やら外国語やら毎日何時間も勉強させられました…。本当に地獄でしたよ。けれど、嫌だと思ったことはないですね。そう思わせる魅力が殿下にあったのでしょうね。」


 デイビッドは終始にこやかに思い出を話した。

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