ロイドの情欲

 その日から、何かにつけてロイドはリラを晩餐や観劇などに誘ったり、何か贈ろうとしたが悉く断られ、その度にレナルドと深夜の座談会を繰り広げていた。


 リラが断る理由は大きく二つだった。


 一つ目は、ただの学友なのだから、お礼は不要とのことだった。

 これはロイドが不器用な過ぎると幾度とレナルドに小言を言われただろうか。


 はじめての学園祭の終わりに、ロイドはリラに労いを込めて首飾りを贈ろうとしていた。

 それとなく探りを入れれば良いものをロイドは緊張と興奮のあまり馬鹿正直に事と次第をリラに話してしまったのだ。


 大抵の令嬢なら、皇子からの首飾りなど願ったり叶ったりだろう。

 学園でのヒエラルキーの上位にも立つことができる特別なものである。

 だが、リラはこの話を聞いて大慌てだった。


「あ、当たり前のことをしただけなのに、そんな高価なものは頂くことはできません!」


 リラは必死にロイドを説き伏せていた。

 あまりにもリラが懇願するのでロイドはなくなく諦めたのだった。


 二つ目は、他の女子生徒への配慮であった。

 その中でも主に婚約者候補と言われてる二人の侯爵令嬢だろう。


 ひとりは同じクラスのレベッカ・ユングフラウ侯爵令嬢、もうひとりは一つ下の学年のサラ・ブロッケン侯爵令嬢だった。


 特にレベッカはロイドにご執心で、熱心にロイドを誘っていた。

 それに加えレベッカは侯爵家、片やリラは伯爵家である。

 身分だけで言えば明らかにレベッカの方が高く、そしてロイドの婚約者候補であるのだ。


 そんなレベッカを差し置いて、自分がロイドと出かけるなど烏滸がましいというのがリラの心情だろう。


「ロイド様がアクイラ国皇子の十分の一でも押しが強ければなー。」


 レナルドが、ボソッとそんなことを漏らした。

 今のロイドにクライヴの名は禁忌とも言えるが、ここは敢えてのことだろう。


「あー。そうだな。どうせ、へたれだよ。」


 ロイドはイライラを隠さず、頬杖をつき貧乏ゆすりをしていた。

 一国の皇子であるにも関わらずこのように子供のように駄々をこねる態度を取るとはなんとも情けない。

 レナルドは頬杖をつき溜息を零した。


(情けない…。これではリラ嬢でなくても願い下げだろう。)


 レナルドも皇族の血を引いており将来は国の中枢となることが強いられた人間であった。

 ロイドの恋情を置いも国のことを思うなら、ロイドにリラは必要に思えた。


 ロイドはリラに出逢ってから見違えたように、公務に積極的になった。

 今まで何処かぎこちなかった立ち振る舞いも何かコツを掴んだのか、少しずつ堂々と様になっていった。

 そのことを感じているのは、レナルドだけではなく国皇や皇后をはじめとする皇宮のものなら誰しもだった。


(なんとか、ふたりを取り持ちたいが、リラ嬢はどう思っているのだろうか。)


 ロイドは自分がリラの気を惹く方法ばかり考えでいるが、ここまでクライヴに振り回されている状況で、リラがロイドを意識する隙などあるだろうか。


 不貞腐れているロイドを他所にレナルドはこれまでのクライヴの行動を思い返した。


 クライヴは以前からリラのことを知っている様子から、おそらくクライヴは元々リラに求婚するつもりだったのだろう。

 そして、たまたま参加した成人の宴でリラを見かけ、予想以上にリラを狙う令息が多かったため慌てて声をかけた。

 更に、周囲の令息への牽制の意を込めて、わざとあのような公の場で、半ば強引に婚約を仄めかしたのだろう。


 隣国の皇子に婚約を持ちかけられた令嬢に手を出せるような権力や度胸があるものなどそうはいない。

 リラもここまで堂々と婚約の話が広まっては易々と断ることはできないと踏んだのだろう。


 それに、断ったところで隣国の皇子の求婚を断る不敬な令嬢と悪評がたつやもしれない。

 断る尤もな理由があるとすれば、自国の皇子であるロイドと婚約している、あるいは恋仲にあるということぐらいだ。


 レナルドはクライヴのあまりの計算の深さに感心すると共に冷や汗をかいた。


 ここから挽回する手立てなど思いつくのだろうか。

 ふたりは小一時間ほど思案するも理想的な打開案は浮かばなかった。


 クライヴが一枚二枚どころではなく百枚も千枚も上手なのに加えて、おそらくリラにはもうロイドは学友というレッテルが貼られており、更にリラは元々恐ろしくガードが硬い。


「とりあえず一度リラ嬢とお話になってはいかがでしょうか。実際のところリラ嬢の気持ちもわかりませんし…。」


 リラは今のところ婚約を了承してはいないかった。

 頬を染め満更でもないような表情も見受けられるが、あの美貌の皇子にあれだけの迫られて頬を染めない令嬢などいるだろうか。


「それはそうだが、ど、どのように誘えばいいか…。」


 ロイドは口をもごもごさせた。

 それも仕方がないだろう。ロイドの誘いなど今まで一度も成功したことはないのだ。


「それは、やはりアクイラ国皇子のことで、と…。」


「いやだ!」


 レナルドの提案にロイドは間髪入れずに拒否をした。

 恋敵の名前で誘き出すなど皇子として、いや、男として情けないにもほどがあるのだろう。

 しかし、これがレナルドの考えうる唯一の成功法なのだ。


「しかし、嘘ではないでしょう。」


 それからレナルドはロイドを説き伏せるのに小一時間ほどかかった。




 翌る日。

 あまり眠れなかったロイドは早めに学園に向かい、そのまま図書館に向かった。


 自室にいても昨日のことで悶々とし、仕事をするにしても中途半端な時間だ。

 こんなときは図書館で書籍でも読んで頭を切り替えてしまおう、そう考えたのだった。


 館内に足を踏み入れると誰もいないのかと思わせるほど、シーンッ寝りかえっていた。

 それもその筈、まだ授業開始までだいぶ時間があり、館内どころか園内にもほとんど生徒がいなかった。


 ロイドはどの書籍にしようかと、ぐるりと歩いた。

 ここには、リラとの思い出が詰まっていた。


 リラには色々な書籍を勧めてもらった。

 館内の所々にある自習スペースで、勉学を教わったこともあった。


 少しばかり思いに耽りながら館内を歩くと、ロイドは一冊の本を手に取った。

 ロイドはそれを持ち、リラとよく使った二階のお気に入りの自習用の長テーブルへ向かうと、既にひとりの令嬢が座っているではないか。


(こんな朝早くから先客か…。)


 ロイドは少し残念に思いながら、邪魔をしないようにと彼女から少し離れた席に腰を下ろそうと思った。

 けれど、不意に興味本位でその令嬢の顔を覗き込んで見ると、そこにはなんとリラがいたのだった。

 しかも、あろうことか行儀悪く書籍を枕に突っ伏して、すやすやと眠っているではないか。


 ロイドは思わず近寄り、リラの寝顔をまじまじと見つめた。


 艶のある茶色がかかった黒髪。

 弧を描いた長い睫毛。

 真珠のように白く滑らかな肌。

 ぷっくりとした紅い唇。


(愛らしい…。)


 ロイドはリラに触れたい欲求が沸々と湧き上がった。


 クライヴは何故あんなに容易くリラに触れることができるのだろうか。

 ロイドなんてリラに触れることができるのはダンスの授業で三ヶ月に一度か二度がやっとだ。


 この状況、クライヴならもう既にリラに触れているだろうか。

 その顳顬に口付けのひとつやふたつなど容易く溢しているだろうか。


(触れたい…。)


 おそらく無意識だったのだろう。

 ロイドは気がつくと、リラに手を伸ばし、その髪からその頬まですっと撫でた。


 すべすべでふっくらとした肌。

 ロイドが想像した何倍も柔らかな肌だった。

 自分のそれとは全然違うそれに興奮しもっと触れたいと欲望が湧き上がり、ロイドはまた手を伸ばした。


「んん…。」


 リラが寝言か何かを零し、ロイドはハッと我に返った。


 自分は今何をやっていたのだろうか。

 皇子として紳士としてあるまじき行為だ。

 クライヴに些か影響されたのだろうか。


(いかん。いかん。リラには誠実でありたいと思っていたのに…。あんな破廉恥な皇子と一緒にされてはたまらない。)


 ロイドは、羞恥と自責の念から頬を染め上げると首をぶんぶんと横に振った。

 そうして落ち着きを取り戻すと、自分の上着をリラにかけ隣に座り選んだ書籍のページを捲った。


 どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 長いようで短く、おそらくものの数分だろう。


 ロイドはひとつも書籍に集中することができず、館内に自分たちの他に誰もいないことをいいことに、リラの寝顔をチラチラと盗み見ていた。


 こんな無防備なリラを見たのは初めてだった。

 可愛らしく、このまま時が止まればいいのにとさえ思えてしまった。


 数日前まではリラと婚約して、結婚して、そんな夢を見ていたのが嘘のようだった。

 許されることなら、このままリラを攫って何処かに閉じ込めておきたい。

 そんな欲望さえ沸々と湧き上がるようだった。


「…ロイド様?」


 リラは、ロイドがいることに気づくと慌てて飛び起き、姿勢を正し髪を手櫛で整えた。


「おはよう、リラ嬢。(可愛い…。)」


 愛らしいリラの寝起きにロイドは思わず顔がにやけそうになった。


「え?ロイド様。すいません、お見苦しいところを…。き、昨日あまり眠れなく…。」


 リラは慌てて弁明した。

 リラも昨日の見学での出来事に相当疲れていたのだった。


「いや、とても可愛らしい寝顔だった。」


「か、揶揄わないでください。う、上着まですいません!」


 リラは頬を染めながら、ロイドの上着を手渡した。

 ロイドはそっとリラの手を包むように上着を受け取った。


「いや、とんでもない。」


 ロイドはリラのはにかむ笑顔に、なんだか照れ臭くなり視線を落とした。

 するとリラが枕にしていた書籍が目に入った。


「そ、それは…。(アクイラ国の歴史書?まさか、婚約の決意をしたのだろうか…。)」


 ロイドは一瞬にして心臓が押し潰されそうになった。


「あ、えっと。その、アクイラ国皇子にどのように納得してもらおうかと思いまして。まずは、背景から探ろうと…。」


「…納得?」


 ロイドはリラの言葉の意味がわからず、聞き返した。

 リラは周囲をキョロキョロと見回し、誰もいないことを確認すると、恥ずかしそうに口をもごもごしながらすっとロイドに近づいた。


「えっと…。私のような田舎娘では、妃に相応しくないということの説明を、ですね…。」


 リラは口元に手を当て、ロイドの耳元で小さくそう話した。

 ロイドはリラの吐息がかかり耳がこそばゆく、また婚約を断ろうとしている事実を知り思わず顔がにやけそうになった。


「あ、ロイド様。今日か明日か少しお時間ございますか?この件でご相談したくて…。」


 リラは申し訳なさそうにロイドに尋ねた。


「ああ。もちろん、確保しよう。」


 他でもない愛らしいリラの頼みである。

 ロイドも決して暇であるわけではないが、クライヴからの婚約の打診を断る算段を相談したいなど願ったりかなったりであった。


 ふたりは、晩餐の約束をして、教室へ向かった。

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