出逢〜リラとロイド〜(前編)

 ロイドがリラに初めて出会ったのはアベリア学園の入学の日だった。


 ロイドは正門に着き馬車から降りただけで、周囲から黄色い悲鳴や好奇の視線を嫌というほど感じていた。

 貴族の令息・令嬢とは言え、『皇子』という存在を間近で見るのが物珍しかったのだろう。


 この状況に流石のロイドも慣れてはいた。

 慣れてはいたが好ましいと思ったことは一度もなかった。




 ロイドが物心ついたばかりの頃、母である皇后陛下と一緒に修道院を訪れた際、見知らぬ大人たちが自分を羨望の眼差しで見つめていることをよく覚えていた。

 幼いロイドはそれを不思議につつ、少しばかり恐いと感じたことを覚えていた。


 思えばこの頃から人前が苦手だったのだろう。


 歳を増すごとにその視線は意味が変わるのを感じていた。


 ロイドが十三歳を過ぎ父である国皇陛下の意向で政務会議を見学するようになった。

 年若いロイドには、まだ会議の内容が難しく、内容がそれほど理解できるわけでもなかった。

 しかし、歳の離れた第一皇子の兄は、その場を上手く納めていることは理解できた。


(自分なんかが次期、国皇陛下となる兄上を支える立場になれるのだろうか。)


 ロイドはそんな不安に苛まれた。


 そうかと思えば、上手く法案を通すために、まだ何の権限もないロイドに対して、一回りも二回りも年上の大人があからさまに媚びを売ってくることもあった。


 まだ成人にもなっていないロイドに皆は『皇族』として『皇子』として『大人』としての立ち振る舞いを求められているようでロイドは気後れした。


 そんなロイドの心中を周囲は察したのか、いつしかこんな噂が流れるようになった。


「第二皇子は不出来だ。」


 自分などたまたま皇族に産まれただけに過ぎない。

 努力しても早く大人にはなれない。

 できの良い兄と比較をしないでほしい。


 ロイドは次第に人前にでるのが億劫になった。




 そんなロイドが十五歳になった頃、母は来年からアベリア学園に通うように進めた。


「アベリア学園ですか?勉学なら家庭教師から一通り学んでいるので必要ないかと思っております。」


 来年から学園に通い、毎日のように好奇の視線を浴び、『皇子』として振る舞いを求められる。

 ロイドには、そんな想像が容易にでき身震いした。


「そうね。あなたがアベリア学園で学ぶのは学問ではなくて、人を学ぶのです。学園では、あなたを特別に扱う方もいれば、その振る舞いに腹立たしいと思うもの、やはり好奇の目で見るものもいるでしょう。ですが、共に毎日過ごし、様々なことに挑戦する中で、その関係は少しずつ変化していくものです。きっと、あなたに味方してくれるものが現れると思いますよ。私も、父である国皇陛下もアベリア学園で素晴らしい友人に出逢いました。ロイドもそんな友人ができるといいですね。」


 ロイドは母の『素晴らしい友人』という言葉に少し憧れを抱いた。

 確かに皇城内では自分より年上の大人しかおらず、レナルドを除いて同年代の友はおろか知り合いすらいなかった。


(アベリア学園では友人ができるのか…。)


 ロイドは期待にほんの少し胸を膨らませ入学式を迎えたのだった。


 けれど、馬車に降りた瞬間に感じたことは期待とは裏腹に今まで通りの慣れた視線しか感じなかった。

 これこら三年間、これに耐えなければならないのかとロイドは冷や汗をかいた。




 入学式が終わり、教室に入ると担任教師が簡単に挨拶があり、この中から今後の学園で催される数々の行事をまとめるための学級委員を一名選ぶと言い出した。


 皆は暗黙の了解のようにロイドをチラリと見た。

 ロイドは第二皇子として試されているのではないかと重圧を感じた。


 第二皇子ならこんなことは慣れているだろう。

 第一皇子は聡明な方だ。第二皇子も同じくさぞ賢いのだろう。

 皇子の前ではでしゃばってはならない、皇子に従えば問題ないだろう。


 ロイドには、そんな心の声が聞こえてくるのを感じた。


(自分は、皆の期待に応えられるような人間ではない。)


 ロイドはそう叫んでしまいたかった。

 頼りなく俯き視線を逸らしたいも、皇子としての立場がそれを許さなかった。


 ロイドは意を決して右手を挙げようとしたそのとき、隣の席の令嬢がチラリッとこちらを伺うのを感じた。

 自分の様子がおかしいことに気づいたのだろうか。

 座っているのも苦痛なほどに心臓が早鐘を打った。


(学園初日で、このような態度では明日から笑い者だろうか。)


 ロイドは冷や汗をかいていた。

 しかし、令嬢はロイドと視線が合うとにっこり微笑むのだった。


(この令嬢も私が立候補することを期待しているのだろうか…。)


 ロイドがそんなことを考えていると。その令嬢はすっと自らの右手を挙げたのだった。


「先生、もしよろしければ私にやらせていただけないでしょうか。」


 その言葉に驚き、生徒たちは一斉にその令嬢を見入った。

 ろちろん、ロイドも例外ではなく、目をまんまるくして隣に座る令嬢を凝視していた。


「ええ、もちろんですわ。えっと…。レディ・リラ。他に立候補者はおりませんか。」


 教師は念のため、他の生徒に確認をすると、ひとりの女子生徒が手をあげた。


「はい。レディ・レベッカ。」


「あの、差し出がましいようですが、このようなことはロイド様の方がよろしいのではないでしょうか。」


 レベッカは、強めの口調でそう発言すると同調するように頷く生徒も見受けられた。


(やはり私がやらねばならないのだろうか…。)


 ロイドは再び拳を強く握り締め自分を奮い立たせた。


「あの、失礼ながら申し上げてもよろしいでしょうか。」


 すると、またもやリラは手を上げ発言した。


「殿下はご公務と並行しながらの学園生活になると思います。ご多忙の中で、学級委員を行うのは、なかなか難しいのではないでしょうか。それに、殿下ならこのような役割簡単に熟せるかもしれませんが、せっかくの機会ですので私も僭越ながら経験してみたいと思っておりました。」


 そういうとリラはロイドに向き直った。


「なので、差し出がましいかもしれませんが、殿下、もしよろしければ、この役割を私に譲っていただけないでしょうか。」


 リラはにっこり笑ってロイドにそういうのだった。

 リラにとってはなんてことはない彼女の姿勢がロイドには荒野に降り立った女神のように神々しく眩しくて仕方がなかった。


「ああ、もちろん。是非、お願いしたい…。」


 その言葉を機に控えめに拍手が起こった。

 ロイドが直々にお願いしているのだ、これを否定するなど野暮というものだろう。

 それに、リラの並々ならぬ学級委員への意欲に胸を打たれたものも幾人かいた。


 レベッカはその光景を目の当たりにして苦虫を噛みながら、なくなく同意するしかなかった。


「ありがとうございます。レディ・リラ。明日、他のクラスも交えて説明がございます。それでは、校内の設備を案内しますので、廊下にお集まりいただけますか。」


 皆は席を立ち上がり廊下に出ようとすると、レベッカはひとり皆のそれとは異なりロイドの元にやってきた。


「ロイド様。お久しぶりですわ。ご挨拶が遅くなって申し訳ございません。私、やはり学級委員はロイド様のような聡明な方が適任だと思いますの。それなのに、リラ様に決まってしまうなんて、本当に残念ですわ。」


 レベッカは険しい顔で、お世辞とも嫌がらせとも取れるようなことをロイドに言ってきた。


 これにはロイドも思わずたじろいだ。

 レベッカは侯爵令嬢という上流貴族の立場とロイドの婚約者候補であるため、ふたりは何度か顔を合わせたことはあった。

 けれど、レベッカの媚を売る姿勢と威圧的な態度にロイドは常に気押されどうも苦手だった。


「あ、ありがとう。しかし、リラ嬢の熱意が素晴らしいと私も感服した。それに、私も毎日学園に出席できるかわからない。公務の都合で欠席することもしばしばあるだろう。やはり、そのような大役の適任ではない。」


「そうですか。ロイド様はお国のためにお忙しいのですね。しかし、クラスをまとめるような大役をあんな片田舎の伯爵令嬢に務まるのかしら…。」


 レベッカはリラに聞こえるようにわざと声を潜めなかった。


「殿下、レベッカ様。お話中失礼致します。レベッカ様、ご心配いただきありがとうございます。私自身もこのような大役務まるのか不安なのですが、せっかく由緒あるアベリア学園に入学させて頂き、様々なことに挑戦したいと思い、僭越ながら立候補させていただきました。もし、私が至らないときは、どうぞご指導いただけると嬉しいです。レベッカ様も素敵なクラスになるように協力していただけますでしょうか。」


 リラはにっこり笑ってレベッカにずいっと迫った。


「わかりましたわ…。」


 レベッカは、たっぷり悪意を込めた言葉に怯むどころか、屈託のない笑顔で協力してほしいと言ってのけるリラに気押され渋々承諾するしかなかった。


 ロイドは、そんなリラの姿が凛々しく、神々しくさえ見えて仕方がなかった。

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