第19話 岡崎健二VS白石友華
トーナメントの熱が支配するフロアを離れ、自由に使えるダーツマシンの前に移動する。
周囲には噂を聞きつけたギャラリーが駆けつけ、最前列では巴と舞依が二人の対戦を見守っている。
「友華ちゃんがごめんなさい」
巴に対し失礼な態度をとった親友に代わり、舞依は頭を下げた。
「私が岡崎君に面倒をかけているのは本当のことですから……」
友華の巴に向ける視線の意味は「才能ないあんたが何で才能がある岡崎健二を拘束してるのよ」だった。
これまで、ダーツを習う中で健二の凄さを嫌という程知っている巴は、そのことを否定できずにいる。
友華と健二はそれぞれダーツケースから自分のダーツを取り出すと、バレルをてのひらで転がし、具合を確かめていた。
「……何よ。ダーツを辞めたとか言っておきながらちゃんと持ってるじゃない」
健二のダーツを見た友華は、嬉しそうな表情を浮かべると安心したような目で健二を見た。
「御堂先輩にダーツを教える際に必要だから持ち歩いてただけだ」
そんな友華に対し、健二は険しい表情を浮かべながら右手でダーツを握り感触を確かめる。
巴の名前が出て、わずかに友華の眉根が歪むが、今から健二とダーツで競うのは自分だと考えると機嫌を良くした。
「まあいいわ、それじゃセンターコークよ。私から先に投げてもいい?」
「好きにしろよ」
気軽なやり取りをして、友華がラインに足をかける。
友華のフォームは独特で、半身を引き、山なりではなく直線を描くように強くダーツを投げた。
『おお、豪快なフォームだな』
『今日のトーナメントでも優勝したらしいぞ』
『中心の1セグずれか? 後から投げるのは厳しいぞ』
「ふふん、どうよ?」
友華は勝気な笑顔を浮かべ健二に接する。
友華が放ったダーツは、In Bullの中心から1セグメントずれただけ。健二が先行を取るにはたった1セグメントの中心に刺すしかない。
後ろに立ち、既に自分の先行を疑っていない友華の気配を感じ、健二は口元を緩ませる。そして……。
「まだ狙える箇所があるだろ?」
真剣な表情を浮かべラインに足を掛けるとダーツを構えた。
『……っ!?』
健二がダーツを構えた瞬間、その場の全員が言葉を失った。
ダーツボードを射抜く目、バレルを掴む指、テイクバックの肘の角度、リリースまでの腕の振り、放たれたダーツが描く放物線の軌道。
すべてが完璧で、全員がダーツの行方を目で追う中、投げられたダーツはボードの中心へと突き刺さった。
「……なんて綺麗なダーツなの」
舞依が思わずぽつりと呟く。その言葉は、この場の全員の内心を代弁していた。
一流の選手ならば、投げ方一つからその人物の実力をある程度測ることができる。
観戦をしているのはいずれもそれなりの腕を持つ人間が多いので、あまりの美しさに鳥肌を立てる者もいた。
「俺が先行でいいな?」
刺さったダーツを二人で確認すると、健二はその1本を友華へと返す。
周囲が圧倒される中、友華だけは健二に挑戦的な笑みを向けると、
「……ふん、まだ始まったばかりよ。終わるころには逆転してやるんだから」
友華はそう言うと、ダーツマシンを操作し、ゲームを選択した。
『おおおおおおおおおおおおおっ!』
観戦者が沸き立つ。
「えっ? えっ? どうして、皆さん騒いでるんですか?」
事態を把握しきれない巴は、舞依に質問をした。
選ばれたゲームは1501で、本格的なトーナメントでもあまり見ることができないゲームだ。
通常の初級・中級クラスなら301か501が選ばれるのだが、上級クラスでは701や1101が選ばれることが多い。
「つまり1501を選ぶということは、とことんまでやり合おうという挑戦状を相手に叩きつけているということなんです」
先行を取った自分より格上の相手にこれを行うのは相当勇気がいる。
上のレベルになると1ターンでの減算は100を超えるのが当たり前となるので、後攻で捲るには尋常ではない技術と駆け引きが必要になる。
『ただでさえ強い岡崎が先行までとっちまったからな、どうなるのやら……』
『どんな勝負を繰り広げるか楽しみだぜ』
観戦者は健二と友華が熱戦を演じるのを楽しみに盛り上がるのだが、健二は右腕をしきりに気にしている。
「岡崎君、大丈夫なんでしょうか?」
隣で、舞依が眉根を寄せ、険しい表情を浮かべている。
その言葉の意味を知りたく、巴は舞依に聞こうかと思うのだが……。
『……投げるぞ』
健二がダーツを投げはじめたので期を逸してしまう。
観戦者はゴクリと喉を鳴らすと、健二はダーツを投げた。
――タンッ――
静寂の中、ダーツが綺麗な軌道で中心に刺さる。
――タンッ――
観戦者が見ている中、まったく同じ軌道を描く。
――タンッ――
三度、ダーツは同じ線を辿ると……。
【スリーインザブラック】
In Bullに3本ダーツを入れた状態をそう呼ぶ。プロでも狙って投げられる者は少ない大技を最初のターンで健二は繰り出してきた。
『『『『『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』』』』』
そんな離れ業を最初に繰り出した健二に周囲は興奮して盛り上がった。
「岡崎君、凄いです!」
これまで身近に感じていた男の子が、どこか遠くに行ってしまったかのような寂しさを巴は意識してしまう。
周囲の人間もダーツを回収して戻ってきた健二に手を振り応援をしている。
コークと併せて4本連続In Bullにダーツを刺す神技は観戦者を完全に魅了した。
普通の相手であれば、この段階で心が折れていても仕方ないのだが……。
(やっぱり! 岡崎は凄い!)
その中に、健二が放った神技を見て頬を紅潮させている者がいた。
対戦相手の友華で、過去に対戦した時と違わぬ、いや、それ以上に切れのあるダーツを投げた健二に喜んだ。
(何よ……心配して損した。これだけのダーツを投げれる癖に辞めるとか言うんじゃないわよ)
部室で健二から「ダーツは辞めた」と聞かされた時、友華はショックを受けた。
だけど、今の健二からはダーツにうんざりした、ダーツを嫌うような気配はまったく感じない。
知らず知らずの内に、友華の目から涙が零れる。
「どうした?」
いつものように無愛想に健二は友華に話し掛ける。
「うっ、うっさい!」
そのやり取りが過去にともに歩んだ時と変わらず、友華は軽口をいうと目元を拭った。
「全力のあんたを、今から私が叩きのめしてあげるんだからっ!」
友華は腰に左手を当てると右手の人差し指を健二に突きつけ、自信満々に宣戦布告をする。
心が折れるどころか、乗り越えなければならない山を発見したかのように、友華は生き生きとするとダーツを構えた。
――タンッ――
力強い音と共に、ダーツが黒枠に収まる。
――タンッ――
二投目は少しずれたが、同じく黒枠にダーツが収まる。
否応なしに観戦者の期待が高まり、友華もその気配を感じ取っていた。
「すぅ……はぁ……」
手に力が入りすぎている。そのことに気付いた友華は一度深呼吸をしてから投げた。
――タンッ――
『ああああああああああっ! 惜しいっ!』
ダーツは少し外れてBullの赤い部分に突き刺さった。
『それでもハットトリックだ』
スリーインザブラック程ではないがそこそこの難易度の技だ。3本をBullに入れた状態をハットトリックという。
『スコアでは並んでるし、これ絶対名勝負になるだろ』
ゲーム開始早々からの激しい殴り合いに、観戦者はこの先を期待せずにはいられない。
(これまで、どんな選手と対戦しても物足りなかった! やっぱり私にはあんたが必要だったのよ!)
友華は瞳を潤ませると熱い眼差しで健二を見る。
健二が目の前から消えてしまってからというもの、友華のダーツから気迫が消えてしまっていた。
越えなければならない高い壁の消失に、次の目標を失ってしまったのだ。
誰かと対戦するたびに「あいつはこんなもんじゃない」「あいつならもっと……」と比較してしまい、それに気を取られてミスを繰り返す。
だけど、確信する。
今この時だけは、人生で最高のダーツができている!
これから先も、健二と一緒なら自分はどこまでも高みへと昇っていける!
そんな高揚感を友華は覚えていた。
「さあ! 殴り合いましょう!」
友華の言葉に、観戦者も盛り上がる。
今日一番熱い場所は間違いなくここだ。全員がそう感じる中……。
続くターン、健二はBullに2本入れると1本を外してしまう。
どれだけ名選手でもパーフェクトを狙うのは中々難しい。
気を取り直した友華も続きBullを2本入れ追いすがった。
相変わらずの好勝負に、観戦者は盛り上がり、段々とその数が増えて行くのだが……。
次のターン、健二が投げたダーツはBullに1本しか入らず、観戦者からもどよめきがあがる。
友華は安定して2本Bullを決めたのだが、怪訝な目で健二を見た。
そこから、健二のフォームが崩れ始めた。
「くっ!」
投げたダーツはことごとくBullに嫌われ、全然違う場所に刺さる。
『おい……何か変じゃないか?』
『ああ、岡崎のダーツが……』
周囲で見ていた観戦者もざわつきだし、ヒソヒソとした声が聞こえる。
あっという間に友華が逆転するとリードを奪い差が開いていく。
その間も健二が投げるダーツは1本もBullに入ることがなく、観戦者も次第にこの対戦への興味を失いはじめた。
中には、公開処刑を見ていられず立ち去る者まででる始末だ。
健二は誰とも視線を合わさず、友華は震えながらダーツを投げ続けた。
「岡崎君……」
苦しそうな表情を浮かべ、それでも全力でダーツを投げる健二を、巴は心配そうな目で見つめる。
だけど、友華は一切手を抜くことなく投げ続けているので追いつくチャンスすらなかった。
全員が沈黙し、ダーツの音だけが響くこの重苦しい場は、最後に友華がダーツを投げ数字を0にしたところで幕引きとなった。
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