夏には雷が降る

陰日向日陰

1年生編

4/10 (月) -前半- ボーイミーツガール

《前回のあらすじ》

 髪の毛が逆立つ。くわばらくわばら。


  §


 部活動勧誘期間。


 簡単に言えば、地獄の苦行みたいな部活の練習が楽しくなる珍しい時期のことである。また、一年生にとっては、真新しい高校という環境で、待ち望んだ青春を送るための場所探しでもある。


 人によっては今までの自分の努力の成果を存分に発揮する。

 人によっては心機一転新たな自分を探しにいく。

 人によっては外れくじを引いて三年間の苦行に身を置く。


 三年間の青春を費やして後悔のない選択ができるように、あるいは外れくじを引かないように、一年生は浮かれた足で校内を巡る。


 放課になって掃除が終わって、部活が始まる前の校内外がざわめき経つ時間。下の昇降口からは、名物だというラグビー部の誘拐らしき声が聞こえてくる。

 佐藤さとうれんはそれに巻き込まれたくなかった。

 一年生特有の生真面目な清掃の時間が終わり、ガタガタと机を元に戻している教室を窓越しに眺めて待ちながら、小林こばやし優次ゆうじが訊いてくる。


「蓮はどこ回んの?」

「誘拐に遭いたくないし、文化部から見て回ろうかな。は?」

「ふっ、決まっておろう」

「中学と同じ部活?」

「もちろんクイ研だ!」


 クイズ研究同好会。宇陽高校のそれは栃木県内でも屈指の実力を誇り、たまにクイズ番組でも目にすることがある。

 ちな中学は帰宅部、と教えてくれる友人に蓮は少々不純な香りを感じつつ、一応訊いてみる。


「クイ研入るの?」

「ああ」

「なんで?」

「テレビに出て可愛い芸能人とウハウハするのだ!」


 隠すつもりのない純粋な不純さに頭を抱えた。

 あと、県内屈指とはいえ全国的に頭抜ずぬけて優秀だとかそういう訳ではないのだから、そんなに頻繁にはテレビ番組に出られないのでは? などと思ったが、まだ見ぬ青い春に期待を膨らませている友人に不粋な真似はよそうと黙っていることにした。


 人は失敗から学ぶものである。


 じゃあまた明日、と出席番号一つ前で高校の友人第一号の優次と別れた佐藤蓮は、不明瞭な記憶を頼りに文化部棟を目指す。


 一度文化祭で来た時には迷いに迷ってロクに見学できなかった宇陽高校の校舎だが、入学すれば慣れるだろうと思ったら別にそんなことはなかった。

 初登校日には移動教室はおろか自クラスの場所さえ分からなくなり、部活を見て回った後、帰ろうと思ったら昇降口の場所が分からなくなった。蓮だけじゃなくそこら辺が分からなくて右往左往している同級生で溢れかえっていた。


 そして今、目の前にも、文化部棟の階段のところで不審者よろしく周囲を見回しているクラスメイトが一人いた。

 人違いだったらどうしようと少し躊躇して、スリッパの色が自分と同じなのを確認してから声をかける。


壬生みぶさん、どうしたの?」

「え?」


 壬生琴葉ことはが自分の名前を呼ばれて、不思議そうに蓮の方を見た。まあ覚えてないだろうなと彼は思う。普通の名前だし、特徴的な何かがある訳でもないし、ましてやクラスメイト三日目だし。

 むしろ覚えている人の方が希少種だろう。


「どうして名前……」

「ああ、同じクラスの佐藤だよ。1年1組の」

「……いたっけ?」

「明日挨拶しに行くので覚えておいてください」

「おー、助かる! ごめんね、まだクラスメイトの顔と名前覚えきれてなくてさ」


 えへへと言いながらオーケストラ部で配布されたらしい勧誘用のプリントの名前欄をこちらに見せてくる。細い指の先に几帳面な字で『壬生琴葉』と書かれてあった。

 なるほど、配布物に名前を書く派らしい。別世界の人間だ。


「壬生琴葉です。よろしくね」

「佐藤蓮です。よろしく」


 こういうのも新鮮だなと思いながら二人してペコペコする。中学二年の時のクラス替え以来だ。三年の時はクラス替えがなかった。

 ひとしきりペコペコしたら、「ところで」と蓮。


「何か探してるの?」

「あーっと、放送部どこかなって。文化部棟にないっぽくてさ」

「それ多分だけど、物理室のとこにあるんじゃない? なんとなく見覚えあるよ」


 うろ覚えの記憶でほんのりだが、物理研究室の奥にそんな部屋があった気がする。今は地図も何もなくて確かめようはないが。


 しかし、仮に物理棟にあったとして、そこからが一番の問題である。


「壬生さん、生徒手帳持ってる?」

「持ってないね」

「部活動勧誘のパンフレットは?」

「ないね。どうして?」

「あれに簡単な校内図が書いてあるんだけど……俺も持ってない。物理室ってどこの建物の何階だったか分かる?」

「あーっと……わかんない」

「俺もちゃんと覚えてないんだよね。うーん、しらみ潰しで探す?」

「それしかないかな。ごめんね、付き合わせて」


 取り敢えず、文化部棟の反対側にある建物から見てみることにする。

 廊下の南側に大教室があって、各教科研究室、先生たちの部屋があって、突き当たりに大教室、という構造は特別教室棟はどこも同じらしい。

 というか、同じせいでどこだか分からん。


「気にしないで。俺もどこに何があるか詳しくなりたかったし」

「あはは……面目ない」


 最初に入った廊下は違った。

 特別教室棟は二棟あり、各三階建て。つまり、適当に入っても六分の一の確率で当たりを引けるわけだ。

 などと、高を括っていた。


 ――案の定だった。


「ここは違うね」

「下行ってみる?」

「あれ、また地学室だ。さっきもなかった?」

「二教室あるわけじゃなさそうだよね、一とか二とか書いてないし」

「さすがにループなわけないでしょ」

「そうだね、戻ってみよっか」

「あ、こっちは地理室なんだ」

「あれ、地学室戻ってきちゃった」

「……生物部って、確かあの、キッチンにいて、一匹いたら百匹いて、北海道にいないあれ飼ってたよね、あの、あれ」

「待って! 名前言っちゃダメ! 次いこ、次!」

「こっち化学棟か」

「あとは……あ、三階行ってないはず」

「ここ物理棟じゃないね……」

「そうだね、全部回ったはず」

「やりなおしかぁ」

「ここは覚えてる! 地理室! で、下が地学室!」

「この先はゴキ――あれがいるから行っちゃダメ! 佐藤くん戻ろ! ね!」

「ほんとだ、物理室! じゃあ二階来てなかったんだね」


 などと楽しそうな琴葉と一から三階をぐるぐる回ること数十分、二人はようやっと物理棟を見つけた。そして、放送部室はちゃんとそこにあった。

 南北に二棟ある三階建ての特別教室棟。それの南の棟の二階だ。

 ひとまず目的の場所が見つかって安堵する二人。


「よかった……これ以上迷わなくて済みそうだね」

「壬生さん、どこに何があるか覚えた?」

「まだ自信ないかも……けど見たら分かると思う」

「生物棟」

「あっちの建物の一階でしょ、それは覚えてる。絶対近寄らない」


 試してみると即答されて蓮はからから笑う。どうやらこの新しいクラスメイトはゴキブリがお嫌いなようだ。

 かさかさ動くのは見ていて楽しいものではないし、分からなくもないかなと思いながら、蓮はふと思い出したことがあった。


 高校一年で履修する科目のことである。


 少々かわいそうに思いながらもクラスメイトに現実を教えてあげることにする。こういうことは、逃げていてもいいことはない。直面してももちろん、いいことなどあるはずもないが。


「壬生さん」

「なに?」

「理科って今何やってる?」

「物理と……生物」


 どうやらすべてを察したような間が空く。

 とどめを刺してみた。


「移動教室あったら?」

「…………よし、放送部見てみよっか」


 長い沈黙の後にごまかそうとして放送部室の扉を開ける。扉に鍵はかかっていなかったが、どうやら中に人はいないようだった。


「失礼しまーす……失礼しましたー」


 琴葉が中を一目見る。


 扉を閉めた。


 なぜだか少し顔を赤らめているが、それに小首を傾げる蓮に「ちょっと待って」と告げ、何度か深呼吸をして、もう一度扉を開けた。


 扉を閉めた。


 大きく息をついて、やたら笑顔で言う。


「よし、次いこっか」

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