第3話 邪魔する者は許さない

 ――ミハイ・ドラレイン。

 それが彼の名前である。

 彼は深いモミの木に囲まれた薄暗い城に住んでいた。ミハイは初めて出逢った時から、刻が止まったかのように美しいままだ。

 昼間でもこの森は薄暗く、寒々しい。

 ミハイの活動の時間のほとんどが夜で、明るいうちに活動をする時は彼が始祖ちちと呼ぶ、フランシス公から貰った、家紋の紋章が刻まれた指輪を、肌身離さず持っている。そして彼は、人前で決して食事を取らず、真っ赤なワインで喉を潤すだけだ。

 

「――――お父様。何時いつになったらわたくしにも、そのワインを飲ませて下さるの」

「アウラ、お前にはまだ早いだろう。だが、このワインをねだるのは、おませなアウラだけだね。他の娘達は、私のワインより別の事に興味があるようだが」

「わたくしはもう成人しましてよ。あの子達はドレスや宝石、異性にしか興味がありませんわ。わたくしはお父様と同じ時間を共有し、同じ物を飲みたいのですわ」


 アウラが城に連れて行かれると、そこには二人の少女がいた。どの娘も自分と同じようにみすぼらしい姿で、目をギョロギョロとさせていたのを覚えている。黒髪の少女がセラ、茶色の髪の少女をカテラと名乗った。

 ミハイは、三人を保護しそれぞれに教育係と侍女を付けて、何不自由なく成人するまで、大切に箱庭の中で育ててくれた。

 他の娘達はちっとも彼の素性を気にしないが、ミハイは闇の貴族、吸血鬼ストリゴイだとアウラは確信していた。

 深夜に訪れたミハイが、アウラの手首や指、首筋に牙を立てて喉を潤している事はぼんやりと記憶の片隅に残っている。

 贅沢が大好きな、我儘で意地悪なセラや、丸々と太ったカテラの部屋にも、恐らくこの美しい吸血鬼は訪問しているだろう。あの血のように紅いワインだって、自分や彼女達の血液かもしれない。

 そんな事を考えると、アウラの嫉妬の炎に心が焼かれそうになる。自分以外の娘で喉を潤すミハイの姿を思うと、嫉妬し、独占欲に狩られるのだ。


「アウラは甘えん坊だね」

「お父様だからですわ。だってわたくしはお父様と、結婚したいくらい愛していますのよ。子供の頃からずっと、お父様にそう伝えていますのに」

「ふふ、そうだね。アウラは子供の頃から変わらないようだ。光栄だが、あまり父を困らせないでくれ。お前と愛し合う御子息が現れたら、私は素直に送り出せなくなるからね」 


 ワインを飲むミハイの膝に両手を乗せて寄りかかり、彼を見上げるアウラは、不満そうに彼を見つめた。ミハイは青白い冷たい指先で、彼女の頬を撫でる。

 それだけで、アウラは天にも登るほどの高揚感を感じた。社交界で出逢う、どんなに身分の高い美しい貴族の異性も、ミハイほど魅力的で心惹かれるような存在は居なかった。


(嘘つきね、ミハイ。わたくし達を保存食にしているくせに、結婚なんてさせるつもりはないはずですわ。けれど、わたくしにとっては、その方が都合がいい。ですが……あの子達が邪魔ですわね)


 大人になるにつれてアウラも、ミハイが実の父親ではない事くらい理解していた。いつまでたっても、彼女は血の乾きを覚えず、人間を吸血したいという欲求が、沸いてこないのだから。

 今なら、足繁く教会へと熱心に通っていた母の行動からして、実の父親が誰なのかなんとなく察する事ができた。

 例え、自分の存在が保存食だったとしても、彼の側で死ぬまで共に一緒に居られるのならば、構わないとアウラは思っていた。

 他の娘達は、養父であるミハイを父として敬愛しているが、アウラほど彼を特別に愛している者はいないだろう。


(わたくしは、貴方の特別になりたいのですわ。ミハイと釣り合うよう勉学に励み、教養を身に付けたのは、貴方に妻として選ばれるためですのに)


 そして、アウラはついに以前から考えていた、恐ろしい計画を実行する。

 意地悪で我儘なセラを、バルコニーから突き落とした。そして、外出を渋るカテラを湖畔にまで連れ出し、彼女を薬で眠らせると、そのまま溺死させた。

 カッコウは、親の愛情と餌を得る為に巣の中にある他の卵や、孵化ふかした、義兄弟の雛を、巣から落とすと言うが、アウラもまた同じで、淡々と彼女達の命を奪った。


(わたくしの体は人間でも、心は化け物なのかもしれないですわね)


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