第三話 風獅



 数年前。ある凄惨な事件に巻き込まれ殺されたという、仙に限りなく近いとされた道士の夫婦がいた。その事件で唯一生き残った、彼らの息子である翠雪ツェイシュエを保護した風獅フォンシーは、まだ幼い少年を不憫に思い風明フォンミン山へと連れて行くことを決める。


 そこまでする必要があったのかと問われれば、理由は単純だった。お互いの親が昔からの友人同士という縁があったから。

 

 翠雪ツェイシュエの両親と自身の亡き父が道友で、風獅フォンシーも事件が起こる数年前に一度だけ邸を訪れたことがあった。あの事件に偶然鉢合わせたのは、父の訃報を直接伝えるために訪れたのがきっかけであり、風獅フォンシーが訪れていなければ、翠雪ツェイシュエもまた生きてこの世にいなかったかもしれないのだ。


 夫婦が研究していたとされる未完成の煉丹術や符術は、幼い頃から才能を開花させていた翠雪ツェイシュエにも引き継がれており、それを知った風獅フォンシーは名目上は門派に属させて、自ら援助することを決める。


 周りから何と呼ばれていようと気にしない翠雪ツェイシュエであるが、時々妖魔討伐に駆り出されることもある。その中でも特に厄介な任務が、決まってここに持ち込まれるのだ。


天雨ティェンユー、君がやっと師を決めてくれたのは喜ばしいが、まさかこの子を選ぶとはね」


 風明フォンミン派、掌門しょうもん風獅フォンシー。三十三歳とまだ若い身でありながら、この門派の実力的にも頂点に立つ彼は、五大門派の中でも現在最も仙に近いと謳われている存在。


 長い黒髪を低い位置で結んで銀筒状の髪飾りで纏め、白い道袍に藍色の細い飾り帯をし、風を表す紋様が背に描かれた若草色の衣をその上に纏っている。古の時代、ある神仙によって五人の道士に与えられたという、この世に五本しかない特別な退魔剣のひとつ、『風雅剣』の継承者でもある。


 先に腰掛けた掌門しょうもんに対して、翠雪ツェイシュエ天雨ティェンユーがほぼ同時に拱手礼をする。


 座りなさい、という合図で同時に拱手礼を止め、翠雪ツェイシュエは正面に座り、天雨ティェンユーはその斜め右の後ろ辺りに立った。


「そんなに問題児だったんですか、彼は?」


 半分冗談交じりで翠雪ツェイシュエは苦笑を浮かべる。そうでなければ、門派の門下弟になった時点で師を決めていただろうし、実力があれば師の方から声をかけていたはずだ。


「彼の実力は君も見ただろう? 元々違う流派というか、かたというか、独特な剣舞を使うので、あえて門派の形を強制していないんだよ。だから彼が君を選んだのは、意外ではあったけれども、想定内ではあったかな」


 半年前のあの妖魔討伐の際に同行していたという、天雨ティェンユー


 その時は名前も知らなかったわけだが、全体の戦況を見ていた翠雪ツェイシュエの印象としては、あの場にいた他の道士たちと比べると、確かに彼の実力は頭ひとつ分以上秀でており、引き際の判断力もあった。


 話を聞けば、自分は退魔師なので道士になる必要はなく、そもそもこの門派に弟子入りする気もない、とのことだった。


 それはある意味翠雪ツェイシュエも同じようなもので、両親が残した煉丹術や符術の研究を続けるための援助を受ける代わりに、時々あのような妖魔討伐の任務を風獅フォンシーから与えられるのだ。


 彼がここに来たということは、任務の依頼だろうと予測がつく。


 丁度、新しく作った符の効力を試したいと思っていたので、良い機会だと翠雪ツェイシュエは内心「待ってました」という気持ちだった。


「さて、本題に入ろうか。あまり大勢で赴くには目立つため、翠雪ツェイシュエひとりにやってもらう予定だったが、ふたりならより早急に治められるだろう」


「なるべく少数で、ということは、今回の任務は潜入が必要なのです?」


「本当に君は話が早くて助かる。実は····、」


 風獅フォンシーは穏やかな表情のまま、少しだけ困ったような笑みを浮かべる。それは依頼の内容が内容だけに、頼みづらいというのもあるようだ。


風明フォンミン山の麓の村で、このひと月の内に村人たちが何人も失踪しているらしい。小さな村での事件だから、村人たちが大事にしないために隠したがっていたようで、今になって依頼が来たというわけだ」


 失踪となれば、一概に妖魔や怪異の仕業とは決めつけられない。しかし、わざわざ掌門しょうもんが自分に頼むということは、決めつけても良い材料がその事件にはあるのだろう。


「賊、の可能性は低いというわけですね」


「そういうことだ。通常、妖魔がひとを攫って喰らえばその痕跡が必ず残る。それが一切ないということは、かなり知的で危険な存在といえよう」


 妖魔は基本的に下級中級上級の三段階で格付けされているが、魔族に近い存在、本能だけで動かない知的で能力も高い妖魔が稀に存在する。


「まさか、特級の妖魔?」


 天雨ティェンユーは眉を顰める。上級までは、ある程度力のある道士が何人か集まればなんとか対処できる。特級はその数倍は厄介な存在。


 確かにそうなれば掌門しょうもん自ら赴くか、師匠たちが動くしかないだろう。


 風明フォンミン派は門下弟や道士こそ数多いるが、掌門しょうもんと並ぶ実力者は多くない。しかも師という肩書を持つ者たちを動かすには、有無を言わせず動かせるだけの確かな証拠が足りないのだ。


「その証拠集めが今回の任務ということですか。そんなに暢気に構えていて大丈夫なんです?」


翠雪ツェイシュエの言う通りです。証拠集めなんてしている間に、犠牲者が増えてしまいます。俺たちがその妖魔を見つけて倒せばいいのでは?」


「······ちょっと待ってください。あなた一応、私の弟子ですよね? 今呼び捨てにしませんでした?」


「別にいいだろう? 弟子入りはしたが、そっちは何も教える気がないんだし。俺も直接的に教えを乞う気がない。間接的に学ぶ事はそれなりにありそうだがな。相部屋から解放されたのは感謝している」


 は? と翠雪ツェイシュエは思わず天雨ティェンユーが立っている方に身体を半分向けて、信じられないという表情で見上げると、そこには利用できるものは最大限に利用するだけだとでもいうような、してやったりな笑みを浮かべる少年がいた。


 そのためだけにあの半年間、毎日ここに通い、自分に頭を下げたというのだろうか。


 それで彼が得たものは、道士たちとの共同生活と身の入らない修練からの解放。そしてこの別棟に仕方なく用意してやった、彼の部屋だと?


風獅フォンシー様、どう思います? 今すぐ破門すると言っても、この場合は文句など言えないですよね?」


 はは····と風獅フォンシーは子供の喧嘩しにか見えないふたりのやり取りに、苦笑を浮かべるしかなかった。


 なぜならそういう翠雪ツェイシュエもまた、彼と同じだからだ。師と弟子としては上手くいかずとも、案外、ふたりは似た者同士だから仲良くなれるのではないか、と風獅フォンシーは思ってしまう。


「さっき彼が言っていただろう? 君を見て学ぶ事はありそうだ、と。彼も君と同じで色々と事情があってね。広い心で、もう少し様子を見てあげてくれると助かる」


「····まあ、あなたがそういうのなら、考えてやらなくもない、です」


 先程の言葉をなるべく良い方へ解釈し、同情心も持たせつつ、翠雪ツェイシュエを納得させることに努める。


天雨ティェンユーも。私が最も信頼している者に、君を任せることになるんだ。先程の言葉が本心ではないにせよ、翠雪ツェイシュエに迷惑をかけたら駄目だよ?弟子として彼の研究の手伝いをしてあげて欲しい」


「····風獅フォンシー様の言葉に従います」


 よろしい、と素直に従うふたりを交互に見つめ、風獅フォンシーは優し気な笑みを浮かべて満足げに頷くと、今回の依頼の詳細を話し始めるのだった。



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