第18話 さようなら、僕の束の間の快適な日常

 その少年は、マイクが本を踏み潰した、マイクの嫌いな男子生徒だった。


「お前だったのか! なんだ! 何の用だ!?」


 マイクが声を荒げて聞くと、その男子生徒はため息を吐いた。


「まだ、読み終わってなかったんだ」


 男子生徒は、抑揚の無い声でそう言った。


 マイクには、その人物が何の話しをしているのか理解できなかった。


「だからなんだ?」


 そう聞くマイクに、男子生徒は呆れた顔をした。


「僕はね、面倒臭いことって嫌いなんだよね。それでも、がんばって金を貯めたんだ」


「だからなんの話だよ!」


「自分のお金で本を買ったのは、あれが初めてだったんだ。それを君は踏み潰した」


 その男子生徒は、感情を声に乗せずにそう言った。


 マイクはようやく、この男子生徒があの本のことについて話していることを理解できた。


「馬鹿かお前は? 本ぐらいいくらでも売ってるだろうが! それくらいでこの僕を着き回したのか?」


 やはり貧乏人は、やることが違って意地汚いのだとマイクは思った。


「僕は優しいからね、君が本を踏み潰したって怒ったりはしない。でもね、ボロボロになってしまって続きの文章が読めないんだ」


 男子生徒は、悲しそうにその青い目を伏せた。


「は? また買えばいいだろ!? この貧乏人が! この程度で僕の手を煩わせるな!」


 マイクはそう叫んだ。


 薄暗い廃墟に静寂が広がる。


「一人になるのを待っていたんだ」


 平坦な声で男子生徒はそう言った。


 青い闇に堕としたようなその瞳で、マイクを見据えて──。


 そして、戸惑うマイクの視界からその男子生徒が急に消えた。


「え?」


 マイクは状況を把握できなかった。


 なぜなら地面に手をついていたからだ。


 そして、徐々にやってくる足元からの痛み。


「あ"ぁ"ーーーー! 足がぁーーー!!!」


 マイクの膝から下が切断された右足が、地面に転がっていた。


 水溜りにマイクの血が混じって、赤く染まっていく。


「こ、こんなことをして、お父様が黙っていると思うなよ! お前なんて、お父様の力で消してやるからな!!」


 マイクは無くなってしまった足先を押さえて、男子生徒を見上げた。


 その男子生徒は、落ちている小石でも見るかのように、マイクを見下ろしている。


「お父様の力か……。分かるなーその気持ち」


「あ?」


「そういえば、君の家もお金持ちだったよね。でもさ、上には上がいるって言葉知ってる?」


「何が言いたい?!」


「僕の名前は、ムエルト・ヴァンオスクリタっていうんだ」


 男子生徒は少し微笑んで、問いかけた。


「……は? お前があのヴァンオスクリタ家の息子? う、嘘だ!! お前みたいな奴が? あの有名な? 絶対に嘘だ!!」


 今目の前で冷たい微笑みを浮かべているこの少年が?


 その驚きと、怒りと、憧れと、落胆と、絶望が、一気にやってきた。


「嘘じゃないよ。だから、君がそのお父様に頼りたくなる気持ちがよく分かる。僕も、よく父に金をせびっているからね」


「この野郎! ふざけやがって!!」


「ま、信じてくれないなら別にそれでもいいよ。だってそんなこと、もうどうでもいいからね」


 やはり、感情の乗らない声でそう話す黒髪の少年。


 それからその男子生徒は、マイクに手をかざした。


「なにを?」


「ん? 決まってるでしょ?」


 そして、青黒い魔力が広がった。恐ろしく光を放つその魔法。その闇がマイクに近づいていく。


 マイクはそれを見て、殺される──そう思った。


「や、やめろ! わ、悪かった! 本なら弁償するから! だから殺すな!」


「もう売ってないよ」


 そう訴えたマイクに、男子生徒は優しくそう言い放った。


 最後に聞こえたその言葉と、全身の痛みで、マイクの人生は終わった。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 最近、父さんのライバル家業が消えたらしい。


「めっちゃ嬉しいわー! でもなんで急に? なんかあったのかな?」とか、父さんが話していた。


 そのおかげかは知らないが、上機嫌になった父さんが僕にボーナスをくれた。


 これでしばらくは、面倒なお手伝いをしなくて済む。誰だか知らないが、消えてくれたその家業には感謝しておく。


 そういえば、あの転校生を始末したあと、知らない人達がやってきて、「騎士団に突き出す!」とか言うから、仕方なく一緒にあの世へ行ってもらった。


 そして、一時、前髪ぱっつんが登校しなくなったことについて、騒ぎになってしまった。


 しかし、この学園ではどうやら、生徒が急に登校しなくなるということは多々あるようで、次の日には何事も無かったかのように日常へと戻っていた。


 転校生が消えてからというものの、僕の学校生活は快適だった。


 メガネ君も、のびのびと読書に励んでいる。同じ読書仲間として、なんだか嬉しかった。


 日常──快適な日々。


 しかし、そんな快適な日々に幕が下ろされようとしていた。


 そう、学園祭が始まる。


 ここ数日、なんとか学園祭の準備は逃れてきた。


 しかし、いつの間にか当日の客の呼び込みを、僕が担当することになってしまっていたのだ。


 僕の不在を利用して罠にはめたらしい。


 僕のクラスの出し物は喫茶店。そして、学園に来る客人を、その喫茶店に呼び込むというものだった。


 理由を聞くと、「客が寄って来そうだから」と言われた。


 付け加えて、「ただ立っているだけでいいから」とも言われた。


 僕は、他の役職よりはマシだと思ったので、ただ立っているだけで良いんならとそれを承諾した。


 そして、学園祭当日。


 僕の面倒事の幕が上がる。

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