ナッツ入りチョコレート事件

蟹場たらば

1 なぜ彼女はチョコを買ったのか?

 この時期の男子高校生の関心事といえば、バレンタインにチョコをもらえるかどうかだけだといっても過言ではないだろう。


 気になるあの子はくれるだろうか。普段よく話すあいつはどうか。こっそり自分のことを思ってくれている女子がいたりしないか。もし1個ももらえなかった時は、どうやって誤魔化そうか……


 僕――白峰しらみね皙也せきやも、そんなことが気になって仕方のない男子の一人だった。


(どういうわけか自分でもよく分からないけど、)去年はクラス1のイケメンと仲がよかったおかげで、彼に渡すついでのおこぼれをもらって、かろうじて0個という事態は回避することができた。しかし、高二になって彼とはクラスがバラバラになってしまったので、同じ展開は期待できないだろう。


 とはいえ、クラスのお調子者みたいに、「親を安心させたいからチョコをくれよー」と催促するなんて真似はとてもできそうにない。それどころか、「俺、甘いもの好きなんだよね」と遠回しにアピールすることさえ無理だった。


 僕にできることといえば、せいぜいチョコがもらえそうかどうか、事前に探りを入れることくらいである。しかも、探りを入れるといっても、女子に直接声を掛けにいくわけじゃない。教室の隅で本を読むふりをしながら、彼女たちの会話に聞き耳を立てるだけという、消極的を通り越して不道徳的なものだった。


 あるグループは――


いずみ君と、六村ろくむら君と……」


橋本はしもと君は?」


「ゼリーが好きって言ってたから、そっちにしようと思って」


 また、別のあるグループは――


「……私は西島にしじま君にあげようかなって」


「えっ、いつから? いつから?」


「分かった! 文化祭の時でしょ?」


 うーん、びっくりするくらい白峰君の名前は挙がらないな。彼も文化祭には結構協力してたと思うんだけどなぁ。


 一応、本人に聞かれないようにしてるだけとか、友達の前だから隠してるだけとかっていう可能性も考えられるけど……まぁ、どうでもいいか。


 別に強がりを言ってるわけじゃない。僕には他に好きな子がいる。彼女からチョコをもらえるのなら、そのたった1個で終わったって構わなかった。


 僕の好きな子というのは、隣の席の聖澤ひじりさわさんのことである。


 休憩時間で教室が騒がしい中、彼女は一人静かに読書にふけっていた。最近は昔の海外ミステリにはまっているらしいから、今日読んでいるのもきっとそうなんだろう。


 僕が読んでいる(ふりをしている)本も、同じく海外ミステリだった。盗み聞きを誤魔化すのはあくまでも副次的なもので、本来の目的は聖澤さんと共通の話題を作ることだったからである。……まぁ、彼女とはそもそも会話になること自体めったにないから、この作戦は今のところ完全に不発に終わっているのだけど。


 もっとも、会話がないのは、別に僕が奥手だからというだけじゃなかった。なにしろ、クラス替えをしてたった一週間で、「美人」から「クールビューティ」に評判が変わったくらいである。聖澤さんは口数が少なくて、男子どころか女子ともあまりしゃべらないような性格だったのだ。


 そのせいで、「気取ってる」とか「暗い」とか、彼女が悪く噂されているのを耳にすることもあった。確かに表情は乏しいし、受け答えも淡々としているから、見方によってはそういう風にも取れるかもしれない。


 でも、聖澤さんは、西島君が授業用の資料を運ぶのを手伝ったり、白峰君が指名された時に答えをこっそり教えたりしている。本当に気取っていたり暗かったりするなら、そんなことしたりしないだろう。


 まぁ、それでもバレンタインの前くらいは、女子たちの会話に混ざってほしかったというのはある。聖澤さんは当日どうするつもりなんだろうか。彼女も人並みにチョコをあげたりするんだろうか。


 僕がそんな風にやきもきしていた時だった。


「聖ちゃん、聖ちゃん」


 そう聖澤さんに声を掛ける女子生徒が現れた。中ノ原なかのはらさんである。


 聖澤さんの淡白な態度に、彼女を苦手とするクラスメイトも少なくない。特に読書や予復習をしている時は、邪魔になりそうで話しかけづらい、という生徒ばかりなほどである。けれど、中ノ原さんだけは例外だった。


 たとえば、


「聖ちゃん、今日は何読んでるの?」


「アントニイ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』よ」


「私はピーナッツ入りがいいなぁ」


 とか、


「お寿司のネタは何が好き?」


「コハダかしら」


「私は大トロと、サーモンと、タマゴと、ハンバーグと……」


 とか、


「犬派? 猫派?」


「猫派」


「私はホットドッグ派~」


 とか、よく言えば物怖じせずに、悪く言えば遠慮知らずに、聖澤さんにしょっちゅう声を掛けていたのだ。……というか、改めて振り返ってみると、中ノ原さんってめちゃくちゃ食い意地張ってるな。


 でも、今日に関しては、その食い意地に助けられることになった。


「聖ちゃん、チョコちょうだい」


「何故?」


「何故って、もうすぐバレンタインじゃん」


 一番仲のいい中ノ原さんがもらえないなら、多分クラスの誰ももらえないだろう。逆に彼女がもらえるなら、他のクラスメイトにも――僕にももらえるチャンスがあるんじゃないだろうか。


 そうして聖澤さんの返事に、僕と中ノ原さんが期待する中、彼女はこう答えるのだった。


「いやよ。わずらわしい」


 中ノ原さんに話しかけられてからも、聖澤さんは本を開きっぱなしにしていた。まるでチョコをあげるどころか、会話をすることさえ億劫なようだった。


「出たー。聖ちゃんってすぐ煩わしいって言うよね」


「…………」


「しゃべるのも面倒くさくなってる!」


 もっとも、冷たくあしらわれるのはもう慣れっこということだろう。中ノ原さんは特に気にした様子もなく、次の話題に入っていた。


「私じゃなくても、誰かにあげたりしないの? 好きな男の子とか」


 確かに、聖澤さんが友達より片思いの相手を優先する可能性もなくはないだろう。まだチョコをもらえないと決まったわけではないのだ。二人の会話に、僕はいっそう耳をそばだてることにする。


 その一方、心のどこかでは、答えを聞きたくないという気持ちもあった。自分の名前が挙がるならそれでいい。しかし、もし他の男子の名前が出てきてしまったらと思うと、気が気でなかったのだ。


 ただ当然のことながら、盗み聞きしているだけの僕の逡巡は、友達同士の二人の会話とは何の関係もなかった。


「そんなのいないわよ」


 読書に集中しようと、聖澤さんは完全に本に目を落とす。


「色恋沙汰なんて煩わしいだけでしょう」



          ◇◇◇



 自転車で家まで帰る道すがら、今日の聖澤さんの発言を振り返る。


 ある意味よかった、というのが僕の正直な感想だった。


 僕と聖澤さんの関係は、はっきり言ってただのクラスメイト以上のものではない。チョコをもらえる可能性は初めから限りなく0に近かった。それが正真正銘0になったというだけのことだろう。


 しかも、チョコをもらえないのは、聖澤さんが恋愛に興味がないことが理由だった。僕のことをなんとも思っていないと分かったのは、ショックといえばショックである。けれど、他に好きな人がいるからとか、白峰君のことが嫌いだからとか、そういう理由でもらえないよりはずっとマシだろう。


 聖澤さんが他人にまったく恋愛感情を持たないアセクシャルだという線も一応なくはない。でも、確率論的には、単にまだ人を好きになったことがないだけという可能性の方が高いはずである。


 それなら、僕にも付き合うチャンスはあるんじゃないだろうか。そういうわけで、『ある意味よかった』という結論になったのだった。


 おかげで、学校帰りだというのに、ペダルを漕ぐ脚は軽かった。親戚の家に届け物をするように親から頼まれたせいで、結構な遠回りをさせられる羽目になったけれど、それも気にならなかった。


 いや、むしろおつかいを頼まれて、ラッキーだったくらいである。


 後ろ姿を遠目に見ただけなのに、すぐに彼女が誰か分かった。前を歩いているのは、聖澤さんだろう。


 どうやらスーパーで買い物をした帰りらしい。指定のスクールバッグに加えて、ビニール袋を提げている。


 そして、半透明なそれから、中身がうっすらと透けて見えていた。


「え?」


 僕は思わず自分の目を疑う。


 袋の中には、板チョコが入っていたのだ。

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