36. 両親

 レイラが飛び出していった食事部屋は静かになった。そこに男性の声が聞こえた。


「戻ったぞ。レイラがなんか怒りながら帰ってったが、お前何したんだ?」


 レイラと入れ替わるように帰ってきたトーマス。庭園でレイラと鉢合わせたときに、あんたどんな教育してるのよ!と吐き捨てられてしまった。


「お帰りなさいませ、坊ちゃま。少々からかい過ぎたようです」


 フフッと全然悪いと思っていなさそうに軽く笑っている。呆れたやつだな、と思いつつ机の方に視線を向けると空の鍋が3つ置いてあった。


「…………これ、二人で食べたのか?」


 一つの鍋は3、4人用のものである。行く前に鍋いっぱいに具を押し込んでいるのを見ていたトーマス。


「坊ちゃまはサラ樣と食べていらっしゃると思いましたので」


 鍋に向ける視線に気づき、全部食べてしまったことを咎めていると思ったのかヒルデが言い訳をする。


「いや、俺の分がないとか言いたいわけじゃないんだが……」


 ちらっと彼女の腹部に目をやると見事に膨れている。


「坊ちゃまレディの腹部などジロジロと見るものではございません」


「…………いや、思わず見ちゃうだろ。そういや、今日レイラは兄君とレストランにディナー食べに行くっていったてような……。あいつ昼からこんなに食べて大丈夫なのかよ」


 呆れたようにこぼれ出た言葉にヒルデの目が一瞬細められたがトーマスは気づかなかった。


「ディナーは別腹だと言っていましたよ。レイラ様は兄君と仲がよろしいようですね」


「ああ、領地の運営も上手だが、家族にも温かい印象のある方だな」


 ヒルデからの返答はない。何か言いたげな感じがする。なぜならトーマスの頬らへんにヒルデの視線が突き刺さっているからだ。トーマスがなんだと問いかけようとしたとき……


「坊ちゃまのご両親はどのような方だったのですか?」


 ヒルデの問いに一瞬顔が強ばるトーマス。だが、答えてくれる。


「……話したことなかったか?母上は俺が5歳のときに亡くなった。正直ほとんど何も覚えていないが……泣いている覚えがあるから、か弱い方だった……と思う。父親は気づいたときには家を出て行方知れずになっちまった。屋敷の維持はミランダとアイルがやってくれていたし、俺の世話もしてくれていた。二人が俺の親代わりってやつだな」


 どこか寂しそうな、怒っているような、懐かしむような表情。色々な感情が見て取れる。自分でもよくわかってないのだろう。


「……左様ですか。あまりお二人に良い印象を持たれていないようにお見受け致します。幼き日の記憶……あなたが覚えているものだけが真実ではないのかもしれませんよ。裏ではあなたのことを深く愛していたかもしれません」


「……?」


 不思議そうな顔をするトーマスから視線を外すヒルデ。


「私は親を知りません。生まれてすぐに孤児院の前に捨てられたそうですから……。そこから劣悪な孤児院で育ち、逃げ出し、ある人に出会い将軍にまで登りつめました。まあ自分で言うのもなんですがなかなかの人生ハードモードでございました。なので、腹黒く、したたかな女になってしまいました。ですが、坊ちゃまはそんなところがありません。なので、気づいていないだけで親御様からの愛情を感じていたのでは……と思っただけです」



「まあ愛情不足ではなかったな。でもそれはアイルとミランダがいたからだと俺は思う。他の子どもたちが親と一緒にいるのを見ては寂しく思ったものだ。母親はしょうがない……。でも、父親は自らの意志で姿を消したんだ……。今でもたまに恨みたくなるときがある」


「………………」


 言葉を返してこないヒルデ。返す言葉が出てこないのか。探している最中なのか、なにを言われたところで幼い頃に感じた寂しさがなくなるわけではない。


「おいおい、お前らしくないじゃないか。そんな暗い顔してると明日は雨が降りそうだ。勘弁してくれよ、明日はジオと盗賊退治に行くんだからな」


 トーマスの言葉に軽く笑みを浮かべるヒルデ。


「大丈夫です、坊ちゃま。雨が降っても私が盗賊の拠点に雷を落として解決です」


「いや、そもそもお前が退治すればすぐに終わる話じゃねえか」


「坊ちゃま、人様の仕事は取るものではございませんよ。できるものが全てやってしまったら、経済が回らなくなってしまいます」


 いや、お前が言ったんだろと思いつつ、いつも通りのヒルデに戻ったことにほっとする。ちなみにいまだに父親の居場所はわかっていない。きっとどこかで野垂れ死んでいるか。平民にでもなって他に家族ができたんだろうと思っている。



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