30. 来客②

 「キールだ」


 無意識のうちに差し出された手を両手で握ったトーマス。しばらくそのまま固まっていたが脳内活動が再開するとぱっと手を離し耳を両手で覆った。


「いや、俺は何も聞いていないです」


 がっつり聞こえていたのに、聞こえていないと言い張るトーマス。


「坊ちゃま、将軍相手に不敬ですよ。脳筋男爵と言われてもあなたは怒りませんが、貴族とはプライドが高いものですからね。相手は公爵家の脳筋子息。しかも将軍。しかも美貌も国内随一、筋肉大好きでありながら頭脳明晰、きっとプライドの高さも皇帝の次に高いくらいですよ。俺の美声が聞こえなかっただと…ってムチ打ちにされちゃいますよ」


 ヒルデが恐ろしい……と自分の両腕をさすっている。その顔はとても楽しげだが。からかっているのだろうと察したがトーマスの顔が青くなっていく。


「今脳筋って言っただろ。お前が一番不敬だな………」


 二人のやりとりを見ていたキールが呆れたようにヒルデにぼやく。次はトーマスに視線をやると穏やかな低音ボイスで言葉を発した。


「元将軍が来て、その次に現将軍が来たら何事かと不安に思うかもしれないが、心配しないでくれ。俺はそこの超絶口の悪い不敬女に用があるだけだ。男爵やその周りの人に何かしようとしているわけでも、何かに巻き込もうともしていない。俺の目的はそいつのみ!だ」


 言っていることが優しいのか優しくないような内容だが、とりあえず自分やその周りの人間が巻き込まれるようなことがないようなので安堵の表情になるトーマス。


「お口が悪いのはお互い様でしょうに」


 安堵した表情のトーマスとは裏腹に、機嫌の悪そうな表情になっているヒルデ。


「少々…いや、がっつり話がある。男爵この女を借りても良いだろうか?」


「構いませんよ。よろしければ、邸もお使いください」


「いや、話しは外で構わない」


 くい、と軽く顎を森の方角に向けてヒルデを促す。


「…では、少々話しをして参ります。ちなみに本日やろうとしていた仕事はあれやこれやですので、あとはよろしくお願い致します」


 ペコリと恭しく頭を下げながら、主人に使用人の真似事をさせようとするヒルデ。


「おう、任せろ」


 嫌な顔もせず、胸を張って頷くトーマス。


「じゃあ私も帰りますね」


 ずっと黙っていたサラも去る。サラの姿が見えなくなるまでその背中をじーーーっと見ていたトーマスもその姿が見えなくなるとキールに失礼しますと言うと去っていく。


 去っていくトーマスを見るキールの顔は驚きの表情だった。主人が使用人の仕事するの?えっ、それでいいの?と信じられないと思っていた。


~~~~~


 森の中の湖が見える場所…いつも枝を拾ったり、薪割りをする場まで来た二人。ヒルデは黙っている。


「美しい……………「はあ!?」湖だ……」


 ヒルデの目が大きく見開かれたと思ったら急にヒルデが大声を出した。


「なんだ!?」


 大声に驚いて思わず大声で返してしまう。


「美しい……………とか言うから、一瞬私に言っているのかと思いまして。…………うえっ」


「そんなことお前に言うわけ無いだろ………。というか、黙って話しを聞け」


「失礼致しました、将軍様。お先をどうぞ」


 何を言い出すのかと身構えたのに、失礼なことをいう彼女を冷めた…いや、もはや相手を凍らすような目で見すえた。冷めた視線にさらされたヒルデは反省しているのかしていないのか、自分が止めたくせに先を促す。


「んんっ!お前正気か?」


 さっきまでおちょくられて、大声を出していたのに、一転して真面目な顔で端的に言いたいことを言い切ったキールをじーっと見ると、声を出して笑った。


「あははははっ。いきなり人に言うにはありえない発言ですね。…………流石です。あなたでもわからないかと思って少し油断していました」


 顔は笑っているのに、面倒そうな、秘密がバレて鬱陶しそうな雰囲気。


「手を出すべきじゃない。これはお前でも手に負えない可能性が高いぞ」


「私が個人的に行うプライベートなことです。国とは関係ないことですし、国に迷惑をかけることもたぶんありません」


「そうか?俺にはこれは国を巻き込んだ出来事になると思うが。お前が正確には何をしようとしているかはわからない。繰り返すがこれはお前であっても手を出すべきじゃない。今の状況を陛下には話すぞ。お前のことをひどく心配されている」


「話したら余計に心配しそうですが…。まあ、別に秘密にしなければいけないわけではないので、構いませんよ。それに厳密に言えば王家の問題と言えなくもないので」


「どういうことだ?」



「くどいですね………。プライベートなことだって言ってるでしょうに……まあ、いいですけど。私がこの世で一番愛する人が望んでいることだからですよ」


「は?」


「まあどういう結末になるかはわかりませんが………とにかく私は自分の大切な人との約束を果たすために動いているだけなので、お構いなく」


「………だれだ?」


「秘密です」


「……………。全てを捨ててまでやらないといけないのか?それに失敗すれば国にどんな影響を与えるかわからないぞ、お前だって将軍だったんだ。多少の愛国心ぐらいあるだろう?」


「?」


 キールの言葉にとても不思議そうな顔をしている。


「………軍人のトップである将軍職、名声、権威、仲間たち、王からの信頼。お前はいろいろなものを持っていたはずだ………一個人との約束のために全てを捨てたのか?」


「ああ、そういうことですね………。私の中では前提が違ったので、一瞬わかりませんでした。すみません」


 すっとキールの不思議そうな視線がヒルデに向かう。その視線を受けたヒルデが答える。


「逆ですよ。やるために将軍になったんです。名声とかは特に必要がなかったんですが、仲間だって別に距離は離れてしまいましたが、仲間のままですから捨ててませんよ。というか、お金が必要だったんです」


「は?金?」


「そう!金!」


 信じられないものを見るような顔をするキールに対し、こちらも驚いた顔をするヒルデ。


「いやいや、何を不思議そうな顔をしているんですか?平民が出世する目的で一番多いのはお金でしょ?あとは名声?平民である私がお金のために頑張ってたって普通のことでしょ?まあ忠誠心がとか言っている貴族思考の方にはわからないかもしれませんが……」


「確かに金目的っていうのは理解できなくもない。だがお前は金を使う様子もなかったし…本当に命がけで毎回戦って、陛下や、国を盛り上げていく政策も考えていたように俺には見えていたからな…。金というよりも国のためという印象が強い」


 真面目な顔で複雑そうな顔をしている。


「国が潰れては困りますからね。陛下にはそれなりに情もありますよ。でも戦いに関しては、一生懸命戦わないと死んじゃうし、目立たないとたくさんお金もらえないでしょ。使わなかったのは当然ですよ。使い道がもう決まってるんですから………無駄遣いしてる場合じゃありませんよ。使ってないって言っても部下とか仲間内では奢ったりしてたから使ってないわけじゃないですよ。………まあ、国の為、陛下の為って働くのは一部の貴族だけだと思いますよ。だって、平民はまず自分の生活を守らなきゃいけないでしょ。貴族だって、地位を守るために必至だし、他の貴族に蹴落とされないように必至だし。国の為、王の為にって心から思っているのは、あなたみたいな上流階級のごく一部だけだと思いますよ。人なんて自分の周りのことで精一杯ですよ」


 やれやれといった顔をしている。


「………なんかどんどん違う方に話がそれているような気がするが。とにかく、何もいう気はないんだな?」


「いや、結構色々言っちゃったような気はするんですけど。まあ、私がやることは変わらないし、誰に何を言われても変える気はありません。それに私がやることで誰かに迷惑がかかるっていうことは今の時点では可能性は低いので大丈夫ですよ。国の忠犬、もとい誠実な将軍様はさっさとお帰りくださいませ」


 嫌そうな顔で、しっしっと手で追い払う仕草をする。


「………わかった。とりあえず、ここに来てわかったことがある。それは陛下に伝えるぞ。これ以上ここにいても意味がなさそうだから帰る」


「はい、さようなら」


 ゆっくりまばたきをするヒルデ。目を開いたときにはキールの姿はすでになかった。



~~~~~


 男爵邸に戻ると、高級菓子を前にしてトーマスが茶葉で悩んでいた。


「お、ヒルデ。お帰り。この菓子ついさっき将軍がまた来て手土産に置いてってくれたんだよ。これに合う茶葉はどれだと思う?うまそうだよな。アイルとミランダは甘いものは胃がもたれるからいらないだってよ。めったに食べられないから、二人でさっさと食っちまおう」


 高級菓子が似合わない男トーマス。独り占めせずにちゃんとみんなで分けようとする心優しい男。話し方だって品はないがどこか親しみを覚える。あの冷血漢と対峙したあとだからかトーマスが微笑ましく見える。


「坊ちゃま、もしよろしければそのお菓子を持ってサラ様のところに行ったらいかがですか?なかなかこの辺りでは見かけない珍しいお菓子ですし。おいしいお菓子を頂いたからご一緒にいかがですか?と」


 トーマスはぼっと赤くなり、お菓子を見る。色とりどりのきれいな花の形をした洋菓子が並んでいる。ヒルデもお菓子を見る……あいつセンスは良いのよね。口と性格も悪いけど。流石高位貴族出身。


「おっ、それはいいな!サラさんも喜ぶし、お茶する口実にもなる。じゃあ、早速行ってくる。お前が言ってた仕事はもう終わったからな」


 といって、飛び出した。………と思ったら足音が再び近づいてきた。


「お前は菓子いらないのか?こんなうまそうな菓子二度と食べられないかもしれないぞ」


 わざわざ使用人のために戻ってきたようだ。自分がもらったんだから、好きにすればいいのに。


「私は似たようなものを食べたことがあるので、結構です。将軍が買ってくるお菓子は昔から評判でしたから、きっと美味しいですよ。せっかくですから好いた相手と食べてください。それに、私も年をとったのか甘いものは胃が………」


「まだ俺とそんなに年かわらないだろ。じゃあ、遠慮なく」


 再び走り去っていく。今度は馬の嘶く声がして、走り去る音が聞こえてきた。まともにサラと話せないのにお茶に誘えるのかと心配しつつ、ヒルデは窓に近寄りそっと窓に触れる。そしてトーマスが出ていった門を見つめ……そっと呟いた。


「彼は私が必ず……必ず守ってみせる」



 その呟きは誰にも聞かれずに消えていった。



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