16. おつかい

 ある日の午前のこと、ミランダは庭で雑草を抜いていた。


「ミランダさん」


 名前を呼ばれて顔を上げると今日も麗しい顔をしたヒルデがいた。見慣れてきたものの何度見ても美しいものは美しい。


「あら、ヒルデちゃん。お疲れ様」


 ミランダは庭の雑草を抜いていた手を一旦休める。何の用だろうかとヒルデを見ると茶封筒を持っていることに気づいた。その茶封筒を軽くミランダに見せながらヒルデは言った。


「伯爵に税を納めてきますね」


 今日は領主である伯爵家への納税最終日だった。本来なら男爵本人や古参の使用人が行くものだが、働き始めて1ヶ月後からはヒルデが税を納めに行っていた。


 ヒルデは振り返る。トーマスから税を納めに行ってほしいと言われたときを。


ーーーえっ、トンズラしたらどうするんですか?

ーーーえっ、お前トンズラする系なの?

ーーーえっ、しない系です。

ーーーえっ、じゃあ問題ないじゃん。

 と言われ、今ではヒルデが税の支払い係である。


 ヒルデ相手に盗める相手など存在しないに等しいという理由での大抜擢であった。トーマスが働いて働いてなんとか貯めたお金。今回もなんとか最終日までに間に合ってトーマスとアイルとミランダが抱き合って泣いていたのをヒルデは見た。


 ミランダはああとニッコリ笑うと言った。


「行ってらっしゃい。ちゃんと寄り道して帰ってくるのよ」


 屋敷にいると働いてばかりなので、外出したときくらいは寄り道すべし!それが男爵家の暗黙の決まり事であった。


~~~~~


 若い使用人が街を歩いていると声をかけられたりするもの。しかし別に将軍だと誰かに言ったわけでもないのに、今までヒルデに声をかけてくるナンパ者、不良共は皆無だった。美しすぎるからなのか……妙な威圧感があるからなのか……。今日も誰にも絡まれることなく無事に伯爵邸に到着したヒルデは、納税の手続きを終えると近くの教会に寄り道することにした。


 教会でお祈りをした後、建物の裏にある畑仕事を手伝う。終わると畑の横に敷物を敷き、シスターや教会に住む孤児たちに混ざり昼食とおやつを食べていた。畑仕事を手伝ったのでご馳走に預かっているのである。おにぎりをムシャムシャと咀嚼していると穏やかながら少々緊張したような固い声が聞こえた。


「ヒルデさん、こんにちは」


「ジオ様、ごきげんよう」



 声をかけてきたのはトーマスの幼馴染であるジオ・サラスティ次期伯爵。男爵邸がある領の領主である伯爵家の長男。トーマスの父親が行方不明になり伯爵が気にかけてくれたので、トーマスにとって伯爵は父親のような存在だった。その長男であるジオとは幼なじみという間柄である。

 茶色の髪と瞳を持ち、貧弱すぎない程のスラッとしたキレイな筋肉のついた賢そうな男性である。かっこいいというよりも、キレイめ男子。


 トーマスと同じ色なのに、与える印象は全く違う。



「こちらにいらしているということは税を納めにいらしたのでしょうか?ご苦労様でした。ヒルデさんはお祈り……?畑仕事……?をしていたんですね。寄り道されるのであればもっと他の場所でも良いのではないでしょうか」


 都会とは言えないが、伯爵領にはおしゃれなお店や美味しい飲食店はそれなりにある。


「労働の後にシスターや子供たちと一緒に食べるご飯は美味しいですよ」


 にこにこと答えるヒルデに寄り道先でまで働かなくても、と思うジオだがヒルデの笑顔に言葉を飲み込む。


「それに……私には冥福を祈る方たちがたくさんいるものですから……」


 彼女が思い浮かべているのは誰なのか……命を散らした仲間たち……命を奪った敵兵だろうか……。口元も頬もゆるやかに上がっているのに、瞳には暗い影が落ちている。……いや、空洞…闇と言うべきか。シスターも子供たちも目を見張る。あの短時間のお祈りにそんなに重いお祈りをしていたとは……ご飯を食べに来ているのかと……と少々失礼なことを思っていた。


「………あなたは英雄です。あなたがいなければもっと戦死者は出ていたでしょう」


 ジオはヒルデが元将軍ということを知っている。幼なじみから紹介されたからだった。紹介されなくとも、新聞を見て察したかもしれないが。彼はトーマスと違って賢いから。


 シスターや子供たちはうんうんと頷いている。この子供たちは主にゼラム王国との戦争で親を亡くした戦争孤児である。その子どもたちの頷く様に薄っすらと悲しげな笑みを見せて言葉を発するヒルデ。


「英雄……。子供たちが憧れるような響きですよね。強きものの象徴。しかし、その名称は私が沢山の人を傷つけ、命を奪ったということの証明でもあります。それに、敵国の人間は祖国を滅ぼされたのですから憎むのはもちろんのこと。それに我が国の者も戦死した兵士の家族からはなぜ助けられなかったのか、もっとはやく戦争を終わらせていれば……と恨まれていましょう。生き残ったものでも体の一部を失ったものから恨みもありましょう。死した者たちも恨みを抱え、私の周りを彷徨っているかもしれませんね……。力があるのになぜもっと……もっと敵を殲滅させなかったのか…。人とはそう思うものです。直接斬った相手ではなくとも軍のトップに立つ人間とは戦争の責任があるものです」


「………ヒルデさん」


 トップの責任。もちろん国のトップは王だ。しかし、戦争となると将軍の指揮のもと策をこうじ、実行する事が多い。ゼラム王国との戦でも王は参加しなかったので、将軍に責任の目がいきがちになる。彼女が救ったものが数多くいる一方、救えなかったもの、殺された敵兵が多いのも事実。そこに恨みの気持ちが湧き上がるのも致し方ないこと。戦争が悪い、でもそうやって割り切れない人が数多くいるのも事実。そんなことはないとは言えない。


 ジオがかける言葉が見つからず、黙っていると暗い雰囲気を霧散させるような声がかかった。


「ジオここにいたのね。あらっ、ヒルデさん。ごきげんよう」


「レイラ」


 声をかけてきたのは波打つ赤色の髪の毛、燃えるような赤い瞳が印象的な女性であった。ジオの婚約者であり幼馴染のレイラ・ユービリアだった。トーマスの幼馴染でもある。子爵家出身で父親は既に他界しており、お兄さんが若くして当主についている。



「レイラ様、ごきげんよう」


 ヒルデがかけた言葉に反応し、彼女のやや吊り上がりがちな目がヒルデに向かう。


「ヒルデ……あなた、ジオと待ち合わせていたの?……もしかして、逢引とか……?」


 スッとその目が細められる。その赤い瞳に嫉妬の色が見えるのは気のせいか。なかなか鋭い視線だが全く怯むでもなくあらあら可愛らしいとしか思わないヒルデ。


「男爵の命により税を納めに伯爵邸に赴きました。その帰りにかつての仲間たちに祈りを、と寄っただけにございます」


 その返事にぶしつけにじろじろとヒルデを見るレイラ。そんなレイラを諫めるようにジオが彼女をスッと見つめる。


「……」


 その視線に気づき、気まずそうにそろっとヒルデから視線を逸らすレイラにヒルデは本当に可愛いわ~とこぼれそうになる笑みをこらえる。貴族の令嬢でありながら、あまり腹芸を行わないレイラは可愛らしく見える。王都のお嬢様たちの陰湿さと言ったら……思い出しただけで怖気が……。まあ、やりこめられたことなど一度もないのだが。いつも華麗にスルー&精神的パンチをくらわしていたのはヒルデの方。


「あらっ!私としたことが。愛しの婚約者様との時間をお邪魔するなんて無作法をしてしまうことろでした。それでは、私は失礼致します。ジオ様、レイラ様ご機嫌よう」


 あっ……とジオが小さな声をもらしたのにヒルデもレイラも気づかぬふりをする。ジオはお茶でもと誘おうとしていたのだが、婚約者の手前誘えず。ヒルデが去り、ほんの少し肩を落とした婚約者に口を噛み締めたレイラ。しかし、ふっと力を抜くと婚約者に向かって言った。


「ジオ。今日来たのは私の誕生日会のことで相談しに来たのよ」


「ああ、そうだな。あと5日程で19歳の誕生日だったな」


 伯爵邸に向かう為、会話をしながら馬車に向かう二人。先程ヒルデが去ったばかりなのに既にヒルデの姿はどこにもなかった。


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