第78話 処刑大隊は死なせない

   *   *


 そのうちユギ大尉がアオザイ風の服装でまた戻ってきたので、俺とクリミネ少尉は儀礼大隊を去る決意をした。

 身なりの良い平民に化けた大隊長が、俺たちの格好を見て苦笑する。



「医者と看護師か」

「俺に内科医の心得が少しあるのは事実ですから。ビュホー軍医からもらったお古の往診鞄もありますし」



 往診鞄は医師の身分証みたいなもので、それなりに使い込んであるこの鞄は変装道具として貴重だ。かなりの説得力がある。

「それに看護師なら多少変人でもバレないでしょう」

「ああ、確かに」



 俺と大隊長がクリミネ少尉を見る。

 こちらの世界では女性の看護師が多い。医師が男性ばかりなので、女性患者への配慮として女性の助手が必要になるからだ。



 ただ医者が変人扱いされがちなように、看護師も変人扱いされやすい。変な男性医師と変な女性看護師のコンビは、大衆戯曲の定番だったりする。

 大隊長はクスクス笑いながら、懐に超小型の隠し拳銃を忍ばせる。デリンジャーと呼ばれるやつだ。



「お前たちならうまくやれるだろう。おーいミナカ、アイーダを連れてきてくれ」

 アイーダというのは大隊長の娘の名だ。機密保持のため、儀礼大隊では絶対に口にしないのが俺たちのルールだったが、その儀礼大隊はもう存在していない。



 すぐにユギ大尉が現れる。十歳ぐらいの少女と一緒だ。

 聡明そうで繊細な雰囲気の金髪少女で、大隊長が子供の頃はこんな感じだったのかなと思わされる。



 逆に言うとこの子が大隊長みたいになる可能性もある訳だが、そんな悲しい末路は想像したくない。未来は変えられると俺は信じている。

 ちなみにアイーダちゃんは、母親が軍人だと知らない。



「そろそろ行きますか、『奥様』?」

「そうしよう。アイーダ、ほらフォンクトさんだぞ」

 不安そうに入室してきたアイーダちゃんが、パッと顔を輝かせる。



「フォンクトさん! あのね、急に遠くに行くことになっちゃったの! だから、あの……」

 何か言いたそうにしているアイーダちゃんは、急に言いよどんでしまう。



 この子はまだ恋に恋するお年頃で、俺との結婚を夢見ているそうだ。同世代の男子は「話にならない」らしい。早熟な子なんだろう。

 やっぱりちょっと、母親の片鱗を感じさせる。



 子供扱いすると傷つけてしまうので、俺は帽子を脱いで身を屈め、目線の高さを合わせる。そしてにっこり微笑みかけた。

「大丈夫だよ、アイーダちゃん。街がこんなことになってしまって残念だけど、元に戻ればまた普段通りに暮らせるから」



 もちろんそれは嘘だ。この帝都が元に戻ることはない。

 でも今それを知ってしまったら、この子は帝都を離れられないだろう。先帝の実子である彼女が革命後の帝都に留まるのは危険すぎる。



 ただやはり嘘を言うのは気が引けたので、こうフォローもしておいた。

「もし街が元通りにならなくても、違う場所で会うことはできるよ。そのときは私の引っ越し先が決まって落ち着いたら、アイーダちゃんのところに挨拶に行くからね」



 まあこれも嘘なんだけどな。儀礼大隊のメンバーが二度と会うことはない。危険すぎるからだ。

 でも彼女が新しい生活に馴染めば、俺のことなんかすぐに忘れるだろう。俺は「ママの知り合いのおじさん」にすぎない。



 アイーダちゃんは俺の手を取り、ぎゅっと握りしめる。

「ぜったいに?」

「ああ、約束する」

 逃亡者の俺が「落ち着く」ことは不可能だろうから、挨拶に行くこともない。約束は破ってないな。



 でも騙しているのは間違いないので、そこはちょっと胸が痛む。

 ま、今さらだな。偽装だの偽名だの秘密工作だの、さんざん人を欺いてきた俺だ。善人になんかなれるはずもない。



 俺は罪悪感を圧し殺しつつ、にっこり微笑んでアイーダちゃんの手を優しく握り返す。

「では『アイーダさん』。お母様の言うことをよく聞いて、立派な人になってください。期待しています」

「は……はい!」



 敬語での語りかけは、彼女を大人として扱うという意思表示だ。

 聡明なアイーダちゃんはすぐにそれを理解し、頬を紅潮させた。責任感と自覚が芽生えてくれるといいのだが。



 そう思っていると、なぜか大隊長から頭をコツンとやられた。

「最後の最後まで何をやっているんだ、お前は」

「そうですよロリコン先輩」

 クリミネ少尉までが酷いことを言い始めた。完全な濡れ衣だ。



 助けを求めるようにユギ大尉を見上げると、彼女は笑っていた。

「乙女心を弄びすぎですよ、フォンクトさん。ほどほどにしてください」

「そういうつもりでは」



 また俺だけ悪者かよ。マイネン中尉が生きていればこんなことにならなかったのに。

 いったい何が悪いのか全くわからないが、これが異世界で生きるということなんだろう。価値観や常識が全く違うからな。



 大隊長がアイーダちゃんの頭を撫でる。

「よかったな、アイーダ。フォンクトさんには必ず約束を守らせるから安心しなさい」

「はい、母様!」

 うんうん、心暖まる光景だ。大隊長がめっちゃ睨んでくるけど。



 ま、とにかく逃げよう。

「外が騒がしくなってきました。ここの戦列歩兵たちも先ほど解散していますし、長居は無用です」

「そうだな。では達者でやれよ」



 大隊長は愛娘とユギ大尉を伴うと、部屋を出ていった。

 残ったのは俺とクリミネ少尉だけだ。

 医師と看護師の姿をした俺たちは見つめあい、それからフッと笑う。



「実家に戻ればいいものを」

 俺が苦笑すると、クリミネ少尉がそっと寄り添ってくる。

「自分の居場所は自分で決めます」

「死に場所になるかもしれないぞ」



 俺の警告にも全く動じることなく、クリミネ少尉が笑う。

「グリーエン卿との『決闘』の前に言ったこと、もう忘れちゃったんですか? 吊るされるときはあなたの隣がいいって」



「覚えてるよ。まさか本気だったとは思わなかったが」

 ああ困ったな、こいつ本当に死んじゃいそうだ。

 俺が守らないと。



「お前も忘れるなよ。儀礼大隊はお前を死なせない」

「はい。それに儀礼大隊はあなたも死なせませんよ」

 ん?



 意外な言葉を聞いて振り返ると、クリミネ少尉が微笑んでいた。

「あなただけは絶対に死なせません」

 何もかも知り尽くした仲だからわかる。

 彼女は冗談なんか言っていない。本気の本気だった。



 俺は困ってしまい、頭を掻く。

 だが結局、俺も正直に答えることにした。

「ありがとう。じゃあ二人で生き延びよう」

「はい!」

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