二十九、エピローグ

 結果発表と講評を経て洞天仙会は閉幕し、宵珉シャオミンたちはリン派の仙郷へと戻ってきた。


 そして夜も深まった頃、宵珉シャオミン苓舜レイシュンの部屋を訪れていた。


「晩酌なんて背徳的ですね! 修仙者としていいのかなぁ」

「ふふ、師尊もたまには構わないと言っていた」


 目の前の机の上には珍しく、小さな酒盃が置かれている。この男は真面目そうに見えて案外そうでもなく、柔軟な男なのだ。


(なんか、いつもより大人っぽい……)


 苓舜レイシュンが酒を飲む姿は新鮮なので、いつもと異なる色気にそわそわしてしまう。 

 正直に言えば、自分も飲みたいのだがまだ若く新入り弟子という手前、その楽しみは将来にとっておくことにする。


「ねえ師兄。師兄は皆に優しいけれど、特に俺には優しくしてくれてる気がします。俺だけ特別扱いしちゃっていいんです?」

「なにを今更」


 苓舜レイシュンはコンと酒盃を置き、宵珉シャオミンと向き合う。

 そして、ぽんっと宵珉シャオミンの頭に手を添えた。


「こうやって共に食事を摂るのも、君に家伝の術を教えたのも君を特別扱いしているからだ。殊に信頼している者にしか教えないよ」


 苓舜レイシュンは手を離して、今度は宵珉シャオミンの目を見つめながら、柔らかく微笑む。


(ええええ……!! そんなの、期待してしまいますけども!)


 宵珉シャオミンは胸がキュッとなり、顔が熱くなるのを感じる。動揺して、苓舜レイシュンの顔を見ることができない。


 挙動不審な宵珉シャオミンに、苓舜レイシュンはくすりと笑って続ける。


「君の中にある仙人様の力に気づいた時から、絶対に逃がさないと思っていた」

「随分、情熱的なんですね」

「意外だろうか?」

「い、いえ……はい」

「そうか」


 宵珉シャオミンはこくりと頷く。正直、こんな台詞を聞けるなんて思っていなかった。


(こんなの、まるで苓舜レイシュンも俺のことを……)


 早鐘を打つ鼓動が、ドクドクと鮮明に聞こる。

 言いたいことを言うには今しかない。この雰囲気なら、気恥しいことも見逃してくれる気がする。


「師兄から貰ったこの鉄扇に何度も助けられたし、今日は秘術のおかげで死なないで済んだし……師兄は本当に俺の命の恩人です」

「……それは私の台詞だ」

「え?」

「君は器という形式ばった言い方をしていたが、妖魔王は君に転生したということなのだろう? 君も私の命の恩人だ」

「でも、それは前世のことだし……修仙者からすれば妖魔王は快くない存在のはず……リン派から追い出さなくていいんですか?」

「今の君は立派な修仙者で、私の弟弟子だ。追い出すわけがないだろう」


 凛と真面目な声で告げられ、宵珉シャオミンは面食らってしまう。


「……妖魔王が仙界から戻ってこないとなると、妖魔界が天地を揺らして騒ぎ出すかも。そうなったら助けてくれます?」

「ふふ、その時は私がなんとかしよう」


 宵珉シャオミンが冗談めかして言うと、愉快そうにくつくつと喉を鳴らす。今日の苓舜レイシュンはいつもより表情豊かだ。


「なあ宵珉シャオミン、私ははるか昔に一度だけ目にした者に恋をして、その口付けが忘れられずに百年間思い続けていた。そして今は君に恋をしているみたいだ」

「……師兄、酔ってます?」

「よっていない」


 そうはいいつつも、苓舜レイシュンは明らかにふわふわとした口調になっている。

 思わぬ告白に、宵珉シャオミンは思わず話題を逸らしてしまうが、心の中は大慌てだ。


(こ、恋だって!? 苓舜レイシュンが俺に……? もしかして、両想いなのか……?? どうしよう!!!)


 先程から苓舜レイシュンに心をかき乱されて胸が苦しい。素面の時に問い詰めなければ……。


 ちらりと、苓舜レイシュンの顔を見ると、甘い顔で微笑み返してくれる。これがまたずるい。なんだこの男は!


 苓舜レイシュンには二面性がある。壁ドン事件から感じていたことだ。

 華琉ホァリウ梦陽モンヤンがこんな苓舜レイシュンを知ったら、どう思うだろうか。

 それは気になるけど、でも、他の人には知って欲しくない。作者ですら知らなかった一面。これは転生後の自分だけの特権だ。


(俺が死んだらどうなるんだろう……苓舜レイシュンは悲しんでくれるかな……)


 苓舜レイシュンとの距離が近づくにつれて、様々な不安が襲ってくる。

 宵珉シャオミンは机の上に頬杖をついて少し思いを巡らせた後、おもむろに口を開く。


「もし、もしもですよ。俺の自我が消えちゃって、元の妖魔王として復活してしまった時は……彼が仙界を滅ぼさないように、非道に走らないように抑え付けてくださいね」

「……わかった。しかし、君が消えてしまうのはとても辛い」

「その時は俺のために悲しんでくださいね! でも、俺は死ぬ気も手放す気もないから、このお願いは不安解消のための自己満足です!」


 目に見えて分かるほどしゅんとする苓舜レイシュンに、宵珉シャオミンは感極まり、ビシッと天に手を伸ばして宣言する。


「師兄にも、妖魔王にもわるいけど、俺は俺として生きていきます! 絶対死にません!」

「その意気だ。君が他でもない"宵珉シャオミン"として、私と並んで立てる日を楽しみにしている」


 あまりに優しい笑みを浮かべる苓舜レイシュンに、宵珉シャオミンはたまらない気持ちになる。


 転生しなかったら、自分が妖魔王の器じゃなかったら、今こうして苓舜レイシュンの隣に居なかったかもしれない。運命は本当によくできている。


(最初は不純な動機もあったけど……今は他の何よりもはっきりとした、願いがある。心の底から苓舜レイシュンの傍にいたいって思うし、今世は苓舜レイシュンと一緒に生きていきたい。これが愛なんだろうな)


 宵珉シャオミンは、自分が『桔梗仙郷伝』の中で軸としていた"愛"というテーマをまさに今、身をもって体感していた。


「師兄、見てください! 綺麗な月ですよ……!」


 宵珉シャオミンは窓の外で輝く満月を見上げる。

 そして、暗闇を照らすその光に、転生してから幾度目かの"カミサマありがとう!"という感謝の言葉を送るのだった。



(了)

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