(ポンコツ)マィルメイルの夢見るメイド


 魔王≪シオン≫。肩で揃えた銀髪を持つ中性的な男だった。

 彼は大仰な玉座に座り、周囲をちょこまかと忙しなく動く十歳の少女を眺めていた。


 彼女は箒を抱えるように持って床を掃き、棚に積まれた本を「うんしょっ」と抱えて移動させている……危なっかしい足取りは常であり、いつ転んでもおかしくなく――「あ」


 と思った矢先、少女は足を絡ませ大げさに転んだ。わざとではないだろうが……そう見えてしまうくらいにはわざとらしい。だが、これが彼女の素である。わざとでなくわざとらしく見えるようなコミカルな転び方をするくらいには、彼女はどんくさいのだった。


「あう、ごめんなさいっ!!」

「いいや、構わないよ」


 散らばった本を集めて積み重ね、再び持ち上げる……そして、棚から棚へ。

 棚を掃除するためには収まっていた本を移動させなければならず、十歳の少女は広い魔王の部屋を端から端まで行ったり来たりしていた。


 ……正直に言えば、彼女に任せるよりも自分でやってしまった方が早い。そもそも魔法を使えば掃除も整理整頓もあっという間にできるのだ。

 なので彼女がしていることは非効率なこと極まりない……。まだ幼い彼女は満足に魔法を使えないから、非効率でも『こういうやり方』しかできないのは分かるが、だったらわざわざ彼女ではなく、別の大人に頼めばいい……だが、そんなことは百も承知なのだ。


 彼は魔王である。


 非効率を楽しんでいるのだ。


「マィルメイル」

「――はいっ!」


 二つ結びの緑毛の少女が振り向いた。段差がなければつまづくような障害物もないのに、なぜかいつも転ぶ彼女は今回も例外ではなく……転んだ。

 抱えていた本を盛大に放り投げながら――両手が空いたはずなのにどうして受け身を取らないのか……、彼女は床に顔面から突っ込んでいた。

 真上へ放り投げた分厚い本が彼女の頭に落ちてくる――「あだっ!?」


「……うぅ……」

「失敗は気にしなくていい……、私はマィルメイルの失敗を分かった上で任せているんだからね……ほら、泣かないで。怪我をしたのなら治してあげよう」


「ぃ、え……」

 立ち上がったマィルメイルが、擦り剥いた膝を軽く手で払ってから、


「――大丈夫です!」

「しかし、血が……」

「大丈夫ですもんっ!」

「……そうかい」


 目尻に涙を溜めながらも、それを流さないように必死に堪える彼女の頑張りを無下にはできなかった。やると言っているのだからやらせてあげよう……。

 すると、控えめなノックがあり、「入れ」と魔王が言うよりも早く扉が開いた。


 赤毛の少年だった。


 許可をする前に部屋に入ったのは……まあ、今は良しとしよう、と魔王は見逃した。

 そもそも呼んだのは魔王である。これを理由に追い返しては呼んだ意味がない。


「よくきたね……ただ、遅かったね、ジュニア」

「急いできたんすけど……というか、けほっ、……めちゃくちゃ埃っぽいし、散らかってるし、床が水で湿って……なんすかこれ」


「掃除中だ」

「掃除中……? 汚してるの間違いじゃなくて?」


「掃除中です!」と、箒を振り回すマィルメイル……その行動で埃が舞っているのだが……彼女は自覚がないようだ。彼女も埃で咳き込んでいるのだけど……。


「……魔王サマ、マィルメイルにやらせない方がいいっすよ。アイツじゃ無理です。ポンコツなんで」

「だれがポンコツですって!? ――だぶ!?」


「ほら、なにもないところで転んでる。逆に難しいだろそれ。どんくさいくせに、人の上に立つみたいにきちんとしたがるんだよな……。オレとシャゴッドを先導してくれるのはいいんだが、オマエが転んで害を受けるのはコッチなんだよ」


「ちゃ、ちゃんとしてるし! わたしはっ、だって魔王様の――」


「お世話メイド役か? オマエがお世話されるのが目に見えるぞ?」


「ジュニア」


 子供の喧嘩とは言え、あまりにも一方的な戦況に、たまらず魔王が口を挟んだ。


「言い過ぎだ。正論は人を傷つけることもある」

「正論って言っちゃってるし……」


「マィルメイルはこれでいいのだよ……これが面白い。私はこういう一面を持つ彼女を気に入って任せているんだから……評論するのは構わないが否定はさせない……分かったかい?」


「へいへい……」


 魔王を相手に、赤毛の少年は態度をあらためなかった。表も裏もない彼の言動は良し悪しで言えば良い方だが、しかし第三者がいる場でその態度は、魔王としては注意せざるを得なかった。


「……ジュニア……お前の解釈は間違ってはいないが……しかし場を選ぶことだ。二人きりならばまだしも……まあ今はマィルメイルだから構わないが……大人がいれば損をするのはお前だ。生きにくいのは困るだろう? だから状況を見て、私への態度は変えた方がいい――」


「でも、オレは≪ジュニア≫だ」


「確かにそうだがな……」


 ジュニア。その名は特別だった――――

 魔王シオンと純粋な人間の子供を≪魔人≫と呼ぶ。腹違いで歳の差がある子供たちはジュニアやマィルメイルの他にも、立派な大人や老人までいる。しかも彼らは『半エルフ』の存在とも言えて、人間よりも倍の寿命を持つのだ。

 これまで多くの子供を産ませてきたが、その中でもジュニアと名付けられたのはひとり――赤毛の少年≪ジュニア≫だけだ。


 彼は、魔王シオンが唯一認めた特別な存在なのだ。


 もしも魔王の二代目を指名するとすれば、彼を選ぶ……それは魔人たちの間での共通項となっている。おかげでジュニアへの嫉妬、羨望、期待は大きく、望まない彼の反発もあったが……結果的に彼はジュニアという名と立場を受け入れた。


 受け入れた上で――彼は『自信』を持つことにした。

 ……元々、彼は気弱で、母親からくっついて離れない子供だったのだ。

 それが、今は…………。


 だが、強気な態度と偉そうな言動を魔王から選ばれたことによる『自信』と捉えているようだが、彼の場合は紙一重で『調子に乗っている』とも捉えられる。

 不要な敵を作ってしまう危惧があり……魔王として、父親としては不安で仕方がなかった。


「…………まあ、いいか。私の教育方針として、温室育ちを推奨しているわけではない。進んで崖から突き落とすつもりもないが、お前が選んだ茨の道にどうこう指図するつもりもないさ……好きにしなさい」


「ああ、好きにやるよ――魔王サマが選んだジュニアだし」


「そうやって私に責任を押し付けて逃げる癖は直した方がいいな」


 言われたからやっている、というのが根底にあると厄介だ。

 確かに選んだのは魔王だが、それを受け入れたのもジュニアだ。本当に嫌であれば、ジュニアの役目はシャゴッドでも構わない……とは、最悪として考えてはいるが、魔王としてはジュニアが≪ジュニア≫であってほしいと望んでいる。


 なぜなら……、



「(私の好みではなく、ようはジュニアの固有魔法が私と同一なのだから……)」



 方向性は違うが。

 逆、とも言えるか。


「それで、魔王サマ」

「なんだい?」

「呼び出した用件はなんすか」


 そう言えばそうだった、と思い出した魔王だ。……とは言え、重要な話があったわけでもない。顔が見たかった、というのがひとつ。さっきも言ったように、魔王への態度に危惧する部分があったのでそれを伝えることがひとつ……あとは……。


「(本当の固有魔法に変化は見られない、か……ならばもう確定か……)」


 ジュニアの固有魔法は『透明化』、ということになっているが……、実際は別の魔法となっている。≪悪意を向けてきた相手を弱体化させる≫という魔王シオンの固有魔法と同一でありながら、同時に真逆とも言える魔法を持つジュニア――

 成長と共に変化があるかと思えば……特になさそうだ。


 今後も、成長が見れたら確認していくことで分かることもあるだろう。


「もう終わったさ」

「はぁ……そうっすか」


 じゃあ帰っても? と冷たい態度のジュニアに寂しさを覚えるものの、少し早いが思春期なんてこんなものだろうと思い、魔王はしつこく構ったりはしなかった。


「ジュニア、母親ヨーヒによろしく伝えてくれ」

「魔王サマが部屋までくればいいでしょうが……っ」

「私の立場で、個人を優遇はできない――」


 ジュニアは特別なのだ。特別扱いを、魔人たちは不満はありながらも受け入れてはいるだろう……、ジュニアの特別感は、見て分かるのだから。

 ただ、その母親となると他人と差はない。彼女と魔王の血が混ざったことで特別な子が生まれただけで……母親が特別であるとは思われないのだ。

 魔王がジュニアの母であるヨーヒに必要以上に構ってしまえば、他の母親からの嫉妬が彼女を潰してしまう。……しかもヨーヒは大病を患っており、少しのストレスも与えたくはなかった。


「私が手を出すのは悪影響だ」

「顔だけでも見せれば、母さんは……」

「また次の機会だな」


 そう言って、何度も何度もはぐらかされてきた。魔王に期待をする自分がバカなのではないか……ジュニアの乱暴な態度は、こういった不満からもきているだろう。


「そうかよ」

「そうだ」


「なら――もうオレは戻る。いいな?」

「ああ。用事があればまた呼ぶ」

「絶対にくるとは言わねえけど」


 それでいい――と魔王が言うよりも先に、ジュニアが部屋を出ていった。


 ふう、と一息つく魔王が、玉座の背もたれに背中を当てた。

 ……喧嘩をしているわけではないが、それでも……仲は良好、とは言えなかった。



「……魔王様」

「マィルメイルか……、掃除は終わったのかな?」

「そんなことよりっ! やっぱりジュニアの態度はっ、許せないです!!」


「私が気にしていないのだから君が干渉することはないよ……君が許せなくとも私は許せるのだから、これ以上の進展はない……いいね?」


「ですけど!」


「それとも君のお母さんは、私の意思に反してでも深入りしなさいと教えたのかな?」


 魔王の言葉にマィルメイルがびくっと怯えた……それは魔王の威圧に、ではなく、彼女の後ろに立つ母親の影が彼女を縛ったのだろう……。こうしてマィルメイルが魔王に積極的にお世話を志願しているのも母親の影響なのだ。


 魔王が抱え込んだ数多の妻の中でも特に出世欲が強いのがマィルメイルの母である……。

 母親の名は、≪バッサー≫。

 自分が一番になれなければ娘を一番にさせる……

 ジュニアの地位が無理ならメイドとして一番に――。


 ゆえに、天然ポンコツのマィルメイルを無理やりでもいいから現場に押し込んだ。度が過ぎるスパルタ教育のおかげでマィルメイルのポンコツ具合も大半は覆えているが、それでも漏れてしまう部分がある。それこそが彼女の魅力に繋がる個性なのだが……。


「必要以上に踏み込んでくるなら報告しないといけないね――バッサーを呼んでくれるかい?」


「――ごめんなさいっ、もう言いません深入りしませんジュニアを認めます――えへへ、あの子のバックアップはわたしに任せてくださいね魔王様えへへ……」


「三下感がすごいね……。無理のない範囲でいいが……ジュニアのことを頼むよ。もちろん、シャゴッドのことも。君たち三人は貴重な同世代だ、喧嘩なんかしないで仲良くやってくれると嬉しいね」


「はいっ、みんな仲良しにさせます!」


「いや、無理やりじゃ意味ないからね……? しかし、ジュニアとシャゴッドは育った環境が違い過ぎて仲良くなる絵が浮かびづらいが……まあ、マィルメイルが間に入れば仲良しに近くなることもできるか……」


 同時に悪化する絵も浮かんでしまったが……、彼女を噛ませることは賭けでもある。


 本人は頭に埃を乗せながら首を傾げていたが。



「では魔王様っ、次はなにをしましょう!!」


「うん、嬉しいけどひとまず部屋の掃除を完了してからにしようか」



 マィルメイルの『できるメイド』への道は険しかった。




 …(ポンコツ)マィルメイルの夢見るメイド【了】

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