タイムリミットを手懐ける


 四足歩行の黒き獣……獣か?

 獣だろう……だって「がるぐるる……」と聞こえてくるし。


 まるで影が地面から起き上がってきたかのように、猛獣の姿をした黒い塊が冒険者のひとりである線の細い少女に覆い被さった。


 開いた口と見える牙、滴る黒い液体のようなそれは唾液だろうか……。

 絶体絶命の危機的状況ではあるが、少女と行動を共にしていた中性的な少年は身動きが取れなかった。彼女が他人同然の、今回限りの相棒だから、ではなく――

 仮に襲われている彼女が幼馴染であったとしても動くことはできなかっただろう。……膝が震え、目の前の脅威に足がすくんでいる。


 終わった。

 逃げられない。

 そんな気にさせられて……


「ぅ……――あはっ、ちょ、もうくすぐったいってばっ。やめ、あははっ、もう――ちょ、ッ、やっぱりしつこいからッ!!」


 襲われているのではなくじゃれている、と言うべき少女と黒い塊。

 少女の一瞬で沸騰した怒りの声に、黒い塊が数歩下がった。


 彼……彼? なりに、反省したらしい。

 しゅん、と俯いているが、少女が「もうしない?」と聞けば、黒い塊が頷いた。それからゆっくりと少女に近づき、彼女の靴をぺろぺろと、これまた黒い舌で舐めて降伏を表明している。


「…………うん、反省してるなら許してあげる……。

 あたしが良いって言ったらちゃんと付き合ってあげるからね」


 よしよし、と少女が黒い塊の頭を撫でた。黒い尻尾が、左右に勢い良く振れて……こういう反応はやっぱり獣だ。

 ただし黒一色なので瞳の位置も分からない。シルエットははっきりしているのでなんとなくで分かるが……、尻尾がそこにあるなら顔はここだろう……と予測できる。


「……あの、ホゥさん?」


「どうしてさん付け? いつもみたいに雑に扱ってよ。足蹴にされ慣れてるあたしはいつでもあなたの使いぱしりになってあげられるよ?」


「したことねえよ! ……お前、わざとだな? 後ろのそいつがおれを警戒して威嚇してるじゃんか! 深い穴を覗き込んでるみたいに真っ黒だけど、でも怒ってることは間違いないって分かるし!!」


「そいつとか言わないで。この子はまだ幼いんだから……たぶん子供だよ」

「どうして分か……、というか、その子はなんなんだ? 魔物、じゃないよな……?」


「ダンジョンにいる≪タイムリミット≫かな。一定時間、ひとつの階層にい続けると出てくるの。冒険者を追いかけ回して最終的に食べちゃう存在。食べられても死ぬわけじゃなくて、入口に戻されちゃうだけなんだけどね……。

 でも、100階層までいってこの子に食べられたら、1階に戻されるって普通にきついよね? だから早期攻略が推奨されてるわけなの……だってこの子に誰も勝てないし」


 ――その黒い獣は無敵なのだ。どんな攻撃も通用しない。拘束具も意味を持たない。通用しないから怯むこともなく、足止めも時間稼ぎもできない存在。隠れても無駄であることはこれまでの冒険者が証明している。

 黒獣タイムリミット襲撃リセットを回避するためには単純明快、降り立ったフロアを最短で攻略することだ。

 もちろん、桁が上がれば難易度が上がるダンジョンだが……、その上で攻略するのが、できる冒険者の条件である。


「それがタイムリミット……、低階層では出てこないから見たことなかったけど……こんな姿なのか……。っていうか、あれ? おれたちは大丈夫なのか?」


 見ての通りだが、言わずにはいられなかった。

 ……1階層へ連れ戻すためのダンジョンのシステム的な生物(?)だが、今、ふたりは餌食になっていなかった。

 少女の膝の上で寝転がり、彼女の優しい手つきを堪能している……手懐けられている……?


 挙句の果てには、「くぅん……」と、喉を鳴らしている……。

 さっきまでの恐怖が嘘のように消えていた。

 やっと安心し、一息つけた少年が少女に近づくと――「あ、」


 反射的に起き上がった黒い獣が少年の背後に一瞬で回り込んで――

 鋭い爪が、喉元に突きつけられた……。

 一歩、いや、半歩でも動けば喉が裂かれる……動けない。


「う、ぇ……?」


「刺激しちゃダメだよ。あたしには心を許してくれてるみたいだけど、君はまだみたいだからね……。ほーら、『ミーくん』、こっちこっち」


 少女が手招く。耳元で聞こえていた「がるるぅ……」という吐息が混じった声が遠ざかっていく。視界を一ミリも動かせなかった緊張感。黒い塊が遠ざかって、再び少女の横に伏せた。


 ……一分が経っても、まだ呼吸を再開させることはできなかった。


「もう大丈夫だと思うけど……」

「ほ、ほんとに……?」

「たぶん」


 信用できない言葉だったが、このまま緊張したままではいられない。

 意を決して呼吸を始める。一息吸えば、獣が意識を向けた気がしたが……、気がしただけだろう。被害妄想だ……ということにしておこう。


「お、おれは敵じゃない。その子、……ホゥの相棒だ……っ」


 黒い獣の見定めるような瞳……。

 真っ黒なので分からないが、瞳があるように感じたのだ。

 獣が少年を観察し……少女に害を与える者ではないと信用されたのか、さっきまでの呼吸困難になりそうな重いプレッシャーが消えた。

 気が楽になったが……一気に老けた気がするのは勘違いだろうか?


「……ホゥさん? なんで、この子を手懐けてるんですか……?」


「手懐けてないよ。友達。この前ちょっとね……仲良くなったんだよね」


 この前。そう言えば心当たりがあった。

 早期脱出が当たり前となっているダンジョン探索で、かなり長い時間を使っていると思えば、そういう事情があったのかと思えば納得だ。

 タイムリミットとじゃれ合っていた、と言われたら、聞いた大半が意味が分からないと答えるだろうけど……事実だ。


 本人は手懐けていないと言っているけど、手懐けているようなものである……。

 ダンジョン探索において仲良くなった彼の存在はかなり大きいだろう。


「あのね、利用なんかしないからね」

「……なにが」


「だって、この子を使えば楽にダンジョン探索ができるとか思ったでしょ? 利用しないし、たぶんできないよ。この子はただのタイムリミットってだけだし――」


 背中に乗って移動、ついでに魔物も倒してもらう、という理想の使い方はできなさそうだ。そんな風に利用されることを、彼は望まないだろう。

 私的に使おうとすれば、今は引っ込められている牙が再び出てくる可能性がある。少女に懐いているとは言え、少女が私的に彼を使おうとすれば、嫌になって手を切る可能性もあるし……過剰な刺激を与えない方がいい。


 じゃれ合っているだけなら、このまま平和に過ごせる。


「あ。そろそろいかないと」


 少女ホゥが彼の頭を撫でながら。

 探索する層がまだある。これ以上じゃれ合うなら、ひとまず仕事を終わらせてからだ。


「じゃあまたね、ミーくん!」


 手を振ると、彼も尻尾を振り返してくれた。

 少年も手を振る。

『ミーくん』が少年のことも見送ってくれたかどうかは分からないけれど。




 ――第44層。

 ホゥと少年は盗賊に襲われていた。


 六人組の彼らは失った食糧を求めて、ホゥたちから奪おうと奇襲を仕掛けてきたのだ。

 ホゥの視野の広さで奇襲は回避できたものの、毒の矢がホゥを襲った。肩に刺さった矢は致命傷ではないが、毒が彼女を苦しめた……。

 脂汗を流し、ぐったりと動かない彼女を背負い、少年が薄暗いダンジョン内を――ランプも点けずに勘を頼って移動する。こういう時こそ焦らずゆっくりと……時間をかけて。


 逃げ切れてはいないが、盗賊の視界には映っていないようだ。

「――探せッ、オレたちの食糧だッ!!」と、数人の盗賊が豪快な足音を立てて周囲を捜索している。このままでは見つかるのも時間の問題だ。


「(どうする……、解毒薬は……作れるけど音を立てればあいつらにばれるだろうし……このまま次の階層へ降りれば……でも……)」


 足音が近づいてくる。

 道の隅っこに身を隠してなんとかやり過ごす。

 死角だったおかげか、見つからなかったようだ……


 足音が遠ざかっていき……「ふう」


 一息ついて気を抜いた瞬かn



「見ぃつけた――クソガキ」



「ッッ!?」



 真横からぶん殴られた。


 地面を転がる少年が少女を抱えて壁に激突する。盗賊が持っていたランプで姿を照らされ、少年側からも、はっきりと、相手の顔がよく見える。

 明かりを頼りに複数の盗賊たちが集まってくる――彼らは空腹のせいか、目が血走り、今なら人肉でも躊躇いなく口に入れそうだ。


「……さて、食糧を渡してもらうぜ――抵抗するなよ、クソガキ共……」

「待っ、て……」


「待たねえよ。こっちはもうがまんの限界なんだよォ……ッッ!!」

「分かってる、けど、あと、少しだけ……」


 そろそろ、だろうか。


 この階層に降りてから既に十分以上は経っている……。ホゥたちでそうなのだ……であれば、低階層とは言え空腹になるほど長時間、この層に留まり続けていれば――


 絶対のルールが彼らを襲う。


 ダンジョンタイムリミット。


 黒い塊が、盗賊の背後に現れた。


「あ?」


「――なん……っ!? タイムリミットだと!?

 ちょっと待てッ、だがまだ時間に余裕がァ、――――あぎゃァァ!?!?」


 鋭い爪が盗賊たちを斬り裂いた。

 彼らの計算間違いでなければ、タイムリミットである黒い獣は時間がくる前に顔を出したことになる……、それはダンジョン内の絶対のルールにあるまじき、ルール違反と言えるだろう。


「……守るために……?」


 黒い獣が、影の中に戻るように。


 沈むというよりは、溶けていく――


 それは、終わりを感じさせる、退場の仕方だった。


「まさか、お前……っ」


 尻尾が揺れた。

 彼は苦しむホゥを見てなにを想っているのだろうか……――簡単なことだ。


 ホゥに寄り添う少年へ、頭を垂れてお願いをしているのだ……『彼女を助けてほしい』


 見えないはずなのに彼の悲しい顔と、期待の表情が見えた。ここでおれにはできない、期待するな、など言えない。言ってたまるか――ここで引けば、男じゃない!!


 自らを犠牲にすると分かっていながら、ルール違反をしてまで助けたかった少女がいる。

 男の中の男である彼が命懸けで作ってくれたチャンスを、放棄できるものか。


 音もなく、最期を迎えた彼の意志を継ぐ――

 両手の中にいる少女をこのまま死なせるわけにはいかない。


「お前がいない時、おれが守るって、約束したもんな……」


 どれだけ彼女におんぶにだっこだったとしても。

 男としては黒い獣に勝ることなど一生ないとしても……これだけは。


 男と男の約束だけは、絶対に破れない。

 負け組にだって、通したい、矜持があるのだからっ!!


 迫るタイムリミット。

 だけど今回は、頼りない少年が、タイムリミットの背中を追う番だ。




 …了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る