時戻しの女神と人質狩りの村人A


 刃物を持った犯人が近くにいた中学生を引き寄せ、首元に刃を添える。

 背中を押すまでもなく、肩を少しでもつつけば、その勢いで刃が柔らかい彼女の首の皮を引き裂いてしまうだろう。

 頸動脈が切られてしまえばもう助からない……そのため、誰もその場から動けなかった。


「全員、勝手に動くんじゃねえぞ……っ、動けばこのガキがどうなるか……ッ!」


 どうなるか、か……。首を引き裂いて殺す、という意味だろうけど、それをすれば犯人である彼の生命線は消えることになる。

 女子中学生の命を盾にしているのに、わざわざそれを自分から失うことはしないだろう……つまり、犯人にとっても彼女の存在は大事なのだ。


 こちらが多少動いたところで、犯人は少女を殺すことはない……と思うけど。


「おいッ、動くなと言っただろうが!!」


 試しに動いてみれば、目ざとく気づいた犯人が僕を睨みつけた。ナイフは少女の首に添えられたまま……、手元がちょっとでも狂うだけで命を奪えてしまうほどには近い……。

 それは危ういな……殺すつもりがなくともうっかりで殺してしまいそうだ。


「勝手な行動はするな……両手を上げてじっとしてろ……」


 犯人が銀行職員に指示をする。時代は進んでいるのに、テンプレートに沿った銀行強盗だった。ただ、廃れないということは、一番、成功しやすい方法なのかもしれない……いや、しやすいと言っても敗色濃厚だけど。


 警察から逃げられるわけがないのだ。犯人は中学生を抱えて逃げるつもりだろうか……ただでさえ、これからカバンに詰められる大金を抱えていくというのに……。

 中学生を連れていったところで、気を遣うアイテムがふたつに増えるだけな気もする。


 人質は矛であり盾であるが、だからこそ、それひとつを失えば、犯人は勝ちの目がなくなるわけだ――人質にされている女子中学生の命さえ奪ってしまえば…………。


「…………」


 うずうず、と体が反応する。

 してはいけないと分かってはいても、衝動が体を止めてはくれない。


 両手を上げ続けるのも疲れた、という理由もある。

 僕はそっと、手を下ろすと――「手を下げるなぁ!!」と犯人が激昂した。

 刃が中学生の首元に少しだけ食い込んで、つー、と赤い血が流れる。


「……っ、……っっ」

「早く両手を上げろ…………聞こえなかったのか? あ・げ・ろッ!!」


「…………」

「上げろっつってんだよォ!!」


 犯人はじっと立っているだけなのに汗だくだ。今更になるけど覆面はしていない、はっきりと、顔が分かっている。

 だからこそ、逃げ切れるわけがないと思うんだけど…………足跡を確実に消せる手段でもあるのかもしれないが……過信しているなら落とし穴だろうなあ。

 ともかく、感情的になって、中学生の腕を掴む手に必要以上の力が込められていく。

 中学生は「っ、痛」と犯人の過剰な力に痛みを訴えるも、男は聞く耳を持たない。


 僕を睨みつけたままだ。


「てめえ、マジでよォ……クソがッ、早く指示に従え、じゃねえとこのガキを殺す! 冗談だと思ってるだろ? 冗談じゃねえ――確実に殺す、殺してやるッッ!!」


 僕はそこで、一歩前に出た。

 威嚇するように、早くやれと言うように。


 ……どうして殺さない?

 こうして反抗的な態度を取っているなら、殺すべきだけど……できないよね? だって、その子を殺せば、お前は警察に「飛びかかるチャンス」を与えるだけだから。


 どうせできない。

 ……犯人が自滅を覚悟して道連れを企んでいたら話は別だけど……。


「……やらないの?」

「なに……?」


「早く次の一手を打たないと、僕は二歩も三歩も進んで、あんたに辿り着いてしまうよ?」


 宣言通りに近づく。犯人はぎょっとしながらも、人質のことは離さなかった。

 さっきよりも密着し、ナイフもさらに食い込んでいく――――さて、あと一息だ。


「僕がここまで反抗しても殺さない? じゃあ――殺す気なんてなかったんだね」

「……嘘じゃ、ねえぞ……」


「殺す気がないならその子は人質にはならない。

 すぐにでも警察があんたを捕まえるぞ――どうする?」


 追い詰める。

 追い詰めて、追い詰めて――――


 袋小路に入ったと気づいた犯人は、さて、どんな一手を打つのだ?


「どうするんだよ。どうやってこの場を切り抜ける? 見せてほしいな、あんたの底力――」


「なめ、るなァッッ!!」


 売り言葉に買い言葉だったのだろう……、するつもりはなかったと思うが、犯人は僕の挑発にまんまと乗って――ナイフを引いた。


「あ」という声が最後の言葉だった。

 裂かれた首から、血が噴き出る。

 首を切られた女子中学生がその場に倒れ…………これで人質がいなくなった。


 犯人を守る盾は、もうない――。


「か、確保ぉ!!」


 動けずにいた警察たちが役目を思い出したように犯人に飛びかかった。

 盾を失った男はナイフを武器に応戦するも、数人の警官になす術もなく確保され……――こうして、人騒がせな騒動は幕を閉じた。

 女子中学生ひとりは、帰らぬ人になったけれど……。



「――ねえ、なにしてくれてんの?」


 気づけば時が戻っていた。

 タイムリープである。


 銀行強盗が起きる直前。建物内のベンチに座っていた僕の隣には、時間を自在に操る自称「女神」の少女がいて――――


「人質の女の子を救出するように、って、言ったわよね? なのにどうして犯人を挑発して、あの子を殺させるわけ……? まさか、もう飽きてきてる……?」


「それも0ではないけど」


 ……何度、同じ時間をやり直していると思ってる。なかなかゴールに辿り着けないなら、これまでにやったことがないことをしてみる選択肢はあるだろう……。女の子を危険に晒してしまうが、犯人を挑発して見えてくる光明だって、あったかもしれないのだから。


「……いい? 強盗を捕まえる、女の子は助ける……これをクリアしないとずっとこの時間を繰り返すことになるわよ?」


「だからだよ。ちょっとくらい息抜きしたっていいじゃないか。どうせ戻るんだから――女の子が死んでしまっても構わないでしょう?

 リセットされる前提なら、なんでもできるんだからね」


「そうだけど…………」


 自称女神が僕をじっと見つめ……「これが息抜き?」と疑問だったようだ。


 息抜きと言うのであれば、犯人に巻き込まれるよりも前に銀行を出て、問題自体に触れない失敗をすれば、しばらくの間は自由に動けるが……、僕はそっちは選ばなかった。

 やはり強盗に巻き込まれた中で楽しみたいのだ……だから。


 人質にされた相手を犯人の手の中で殺してしまう……一度、やってみたかったんだよね。



 人質は生きていて初めて価値が生まれる。


 死んでしまえば無価値だ――

 であれば、結局のところ、犯人は人質を殺すつもりなんてないのでは?


『かもしれない』、に踊らされている僕たちは、なんて間抜けなのだろうと思ってしまう。


「まあ、最悪を想定して動くべきだから、間違ってはいないけどね」


 殺されないと思っていたら殺された、よりは。

 殺されると思っていたら殺されなかった、の方がいい――


 だからみな、人質を取られたら犯人に従うのだ。


「ねえ、女神」

「……また、変なことを言い出すつもりね?」


「僕が先に銀行強盗をするのはどうだろう?」


「また変なことを言い出したわね!?

 奇抜な案はいいからさっさと銀行強盗を解決してよ!!」



 簡単に言うけどね……。


 人質を無事に助け、犯人を捕まえるって…………難しいからね?




 …了

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