粟畑祝乃の怪力乱神日記

時計藤笑破(とけいとう・にっぱ)

粟畑祝乃とアルビノツチノコ

 古来よりこの国においては、あらゆる自然物には八百万やおよろずの神々と呼ばれる霊妙れいみょうな何らかが宿っていて、彼らは丁重ていちょうに奉る事によって、人々の願い事を叶えたり御利益をもたらしたりといったはたらきを見せるものと考えられてきた。


 長い歴史の中で色々な変容を辿りつつ、その考え方は今も多くの人々の中に根付いている。

 現代の日本人は信仰心が薄いという風に揶揄やゆされる事もあるけれど、しかし何だかんだで正月になれば近所の神社に初詣に行ってみたりする人は多いだろう。


 ちょっと科学が発達し、文明が発展したからといって、人は信仰心を捨て去る事は出来ない。

 中々親離れが出来ない子供のようにも見えるその様子は、ある意味無様ぶざまではある。


 かくいうわたし、粟畑あわばた祝乃ほきのもその日、ある神様の下を訪れていた。

 桜が咲き始める時期の、ある日の昼下がりの事である――なるべく早急にお願いしたい事があったのだ。

 

「ちょっとツチノコ探すの、手伝ってくれません?」

「……ツチノコ?」

 

 そう、ツチノコである。


 いわゆる未確認生物の一種で、基本的には胴体の膨れた蛇のようなシルエットを持つとされている――それ故に『単に獲物を呑み込んだ直後の、ただの蛇なんじゃないの?』という見解を示される事も、結構あるらしい。


「最近、学校で妙な噂が流れているんですよ。学校の敷地内のどこかに、ツチノコが巣を作っている――という」

「……その噂の真偽を確かめるの、手伝って欲しいって事?」

「そういう事になります」


「……わざわざカミにお願いする事かなあ。ぼく、この時期は結構忙しいんだけど」


 と、千早ちはやを着た少女の姿をした、その神様はぼやいた。

 彼女はわたしの産土神うぶすながみで、名を佐保姫さほひめという。


 何でも季節の春を司る神様であるとの事らしい。

 この時期は忙しいというのも、要するに暖かい風を運び込むとか、綺麗な桜を咲かせるとか、そういう御神徳ごしんとくをもたらす仕事に精を出しているという事だ。


「探偵ナイトスクープとかに依頼した方が良い……、絶対、その方が建設的な結果を得られる」

「具体的には今日の午後六時に、裏梅高校の正門前で待ち合わせというのはいかがでしょう」

「滅茶苦茶強引に話を進めてくるじゃないか……というか普通、その手の悪ふざけには同年代の友達を誘ったりするものじゃないのか?」

「おやおや、わたしに同年代の友達なんて居ると思っておられる?」

「威張って言うんじゃないよ」


 まったく、仕方ないな――と。


「特別だからな。きみには助けられる事も多いし……、その借りを返す意味でも、特別にだぞ」

「えへへ。嬉しい」


 と、まあ――そんな感じで。

 その日、わたしは神様と遊ぶ約束を取り付けたのだった。



 昼と夜の境目を成す事から、逢魔おうまヶ時どきと呼ばれる事もある――午後六時。

 文字通り、この時間帯には魔性ましょうの何らかと遭遇しやすいとされがちで、今回わたしが待ち合わせの時間として指定したのも、この辺りが理由である。


「いや、ツチノコを探すんだろう? 別に季節外れの肝試しをしようって訳じゃなくて――」

「あれ。佐保姫さん、知らないんですか? ツチノコは、妖怪変化ようかいへんげの類としてもその存在が伝えられているんですよ」


 もっとも、その場合は『野槌のづち』という名称が用いられる事の方が多いし、語られる内容についても、未確認生物としてのツチノコとはかなり違った様相を呈している事も多い。


「とはいえ、蛇に似た姿をしているという点については、基本的に共通していますね」


「……蛇ねえ。まあ蛇っていうのは、何かと有難がられがちな生き物ではあるけど……、蛇の姿をした鬼や妖怪の類が多いのも、ある意味その裏返しなのかな」


「そういえば、なんかジンクスがありましたね。蛇の抜け殻を財布に入れとくと、金運がアップする――みたいな」


「まあ、脱皮を繰り返すその生態にこそ、人々は神聖さを見出してきた訳だしな。あるいは、農業に害を成す鼠とか虫を食ってくれるから――というのも大きいだろう。もっとも、最近は蛇を駆除しちゃう農家の方も増えてるらしいが」


この前春日かすが若宮わかみやさんに聞いたけど、随分となげかれてたよ――と、佐保姫さんは言った。

ともあれ、そんな会話を交わしつつ、わたし達は裏梅うらうめ高校東校舎にて、噂のツチノコの存在を探し回っていた。


ここの完全下校時刻は午後八時。

つまり、捜索が可能な時間はおおよそ二時間といった所だ。一応、先生とかに注意されたら素直にやめるつもり。


「同じ爬虫類はちゅうるいという括りで言うと、ヤモリなんかも――家を守ってくれる存在だから、っていう所からそう呼ばれているんでしたっけね?」


「逆に井戸を守る者と書いて、イモリという風に呼んだりもする――まあ、生物学的な分類で言うと、こっちは両生類りょうせいるい。蛇よりかは、蛇に喰われるかえるの方に近い生き物だな」

「三竦み、ですか」


 蛇は蛙に強く、蛙は蛞蝓なめくじに強く、蛞蝓は蛇に強い――だっけ?


「思えば他二つはともかく、蛞蝓は蛇に勝てるという相性関係については、ちょっと納得できかねるよな、あれ」

「まあ……そもそも蛞蝓が何か他の生き物と戦って勝っている様が、イメージできない……って、いうか、あれ?」


 今、何か――向かいの校舎の四階の、左から三番目の教室に、何者かがちらりと顔を出していたような。


 真っ白で。

 膨れ上がった蛇のような姿をしていたような。


「……あ、ちょっと? 祝乃ちゃん、急に駆け出して、どこ行くの?」



 確認してみたところ、向かいの校舎の四階の右から見て三番目の教室は、園芸部の部室らしかった。部室の電気自体は点いていないように見えたが、しかし職員室で鍵を借りるまでもなく、扉は半開きになっている。一応、申し訳程度に「お邪魔します」と呟きつつ、中に這入はいって、電気を点けてみた所――


「……わっ」


 まんまるに膨れたシルエットと、その綺麗な体色が合わさり、さながらお餅のようにも見える――真っ白なツチノコが、部室に置かれた机の上に身を置いていた。


 ツチノコと言うと、臆病で人に見つかったらすぐに逃げ出してしまいそうなイメージを勝手に持ってしまっているが、そいつはわたしを見ても微動だにしない。


 ここが俺の場所だ。

 ここに俺がいて、何が悪い。

 そんな事を言わんばかりのふてぶてしさすら感じるその態度には、何様だと問うてしまいたくなる。


「……いわゆる、三竦みの力関係において、蛇に強く蛙に弱い生物は、蛞蝓じゃなく百足むかでとするのが正しいという話もあるんよな」

「うわぁ喋ったぁ⁉」


 かなり安っぽい驚きのリアクションを取ってしまったが、喋る白いツチノコという、珍しくない要素が全くと言って良い程ない稀有けうな存在を目前にしている訳だから、それくらいはどうか許して欲しい。


「実際の所はともかく、百足というのは龍や蛇を喰う生物と言われているんよな。琵琶湖びわこの大百足の伝説、嬢ちゃんは知ってる?」


「え? ああ、いや……、知らないです」

「不勉強なんよな」

「す、すいません……」


怒られてしまった。


「ところでお嬢ちゃん、ついさっき嬢ちゃんに連れ添ってた、あの八乙女やおとめみたいな恰好した女は何者よな? 遠目から見ても、随分不思議な雰囲気をしていたように思うんよな」


「え? や……やおとめ?」

「ああ、やっと追いついた――駄目だぜ祝乃ちゃん。あんな風に廊下を走ったりしちゃ――って、あれ?」

「その女の事なんよな」


 と――丁度タイミング良くわたしに追いついて、この園芸部部室にやってきた佐保姫さんをあごで指して、ツチノコはそう言った。


「ああ、えっと。この方は佐保姫さんと言って、わたしの産土神で――」

「佐保姫。ああ、あの」


あの……って、有名な神様だったっけ? 彼女。


「俳句の世界では、その名前そのものが春の季語として扱われたりする程度には有名よな」

「え、そうなんだ」

「ん……まあ」


 当の本人(というか御本尊)は無表情のまま、視線をあらぬ方向に逸らしていた。

 多分、照れているんだろう。


「えっと、それであなたは何者なんでしょう? ツチノコって、喋る生き物なんですか?」

「そやで」

「絶対違う。……湖乃子ちゃん、薄々気が付いていると思うけど、多分こいつは――ぼくの同業者だよ」

「ん? 同業者?」


何様のつもりかと言われれば。

それはつまり――


「良いからこっちに名乗らせるより、まずはそっちが名乗りなよ」

「それはこくな話なんよな。俺に名乗る名前はない」


ツチノコさんは言う。


「俺は只の、しがない一匹の野神ノガミなんよな」



 野神。

 豊穣ほうじょうの神様――というよりは田畑の守り神の一種で、この地域ではそういった神様が、農民達に崇められている事例が、沢山あったらしい。


 つまりはヤモリでもイモリでもなく、タモリさんだという事だ。園芸部を根城にしていたのも、要するにそういう事である。


「尤も、その大半は時代を経ると共に信仰を失って、彼らが人前に姿を表す事も今では殆どなくなってしまってね――特定の有力ゆうりょく氏族さぞくを背景に持つ訳じゃない民俗文化みんぞくぶんかが風化を免れる事は、非常に難しい」


他人事とは思えん話だぜ――と。

帰り道で、佐保姫さんは言った。


「……昔は曲がりなりにも多くの人々の信仰されていた神様が、今じゃあんな風に学校に棲む妖精さんみたいな扱いを受けているというのも、考えさせられますね。あの方はそこら辺、どう思っておられるのでしょうか」


「んー。ま、それなりに楽しそうには見えたし、まああれはあれで良いんじゃない?」


「……でも」


「おやおや。豪華な神殿に、それらしく、おごそかかに奉られていないと――神様だとは言えないとでも言いたいのかい? そいつは大きな間違いだぜ」


千早を着たその女神は、そう言いながら立ち止まり――肩をすくめながら、言う。


「ぼくたちは、だ」


 明日雨が降る可能性には、雨の神が。

 晴れる可能性には、太陽の神が。

 雷が落ちる可能性には、雷の神が。

 風が吹く可能性には、風の神が。

 儲けを多く得られる可能性には、福の神が。

 損を多くする可能性には、貧乏神が。


「――宿るのさ。可能性はどこにでも存在する。故に神々われわれは――場所を選ばない」

「……そうですか」


 まあ、何にせよ、わたしが通っているあの中学が、神様も気に入るくらいには良い場所だという事実は、わたしにとってもちょっぴり嬉しいものではあった。


「あ、そうだ。ついでに明日が良い天気になるのを、あなたにお祈りしても良いですか?」


「ん? 良いけど――きみ、天気とか気にするタイプだっけ? 結構なインドア派だった気が」


「家族と一緒にお花見に行く予定があるんです。あなたがもたらしてくれた春、存分に堪能させていただきますね」

「そうかい。まあ、六十パーセントくらいの確率で叶えてやるよ」

「逆に四十パーセントは曇りか雨なんだ……」


 まあ、花曇はなぐもり春雨はるさめの中の桜も、映えるものではあるし。


 それはそれで、楽しませていただこう――取り敢えず、帰ったら明日の準備をしようと、わたしは思った。

                                   (第一話……了)

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