第21話 カオル開眼


 翌早朝。


 ぱちっとマサヒデの目が開いた。


「む」


 身体を起こす。

 頭痛がすっきり消えている。

 だるさもない。

 腹が減っている。

 食欲がある。


 静かに寝巻きを着替え、静かに襖を開け、静かに部屋を出る。

 廊下に出て、台所へ。

 水瓶から水をすくい、ぐいっと飲む。


「はあー・・・美味い・・・」


 もう一杯。ぐいっ。


「くう! ・・・うん、良し」


 ぐるぐると腕を回す。

 ぐぐうー・・・っと背を伸ばす。

 完全にすっきりした。

 もう大丈夫だ。


「ご主人様、おはようございます」


 後ろから、カオルの声。

 振り向いて、


「おお、カオルさん! おはようございます!

 いやあ、助かりましたよ。もう大丈夫。すっきりしました!」


 くす、とカオルは笑って、


「それは良うございました。

 酔い止めの薬も作っておきましたよ。

 次からは呑まされても、もう大丈夫です」


「本当ですか! ありがとうございます。

 さ、カオルさん、素振りを始めましょうか!」


「あ、お待ち下さい。

 発熱もありましたから、本日はあまり動かずに。

 持て余してしまいましょうが、我慢して下さいませ。

 熱がぶり返したら、また、あの頭痛がきますよ」


 む、とマサヒデは眉を寄せ、


「う、ううむ・・・」


「本日はごゆるりと、朝は書見でもなされては。

 午後にはオオタ様とマツモト様もいらっしゃいましょうし」


「む。オオタ様が?」


「はい。お医者様が、既にお伝えでしょう。

 昨日はご主人様が寝込んだと伝えましたので、渋々我慢して頂けましたが。

 それはもう、うきうきと酒の準備をして居られましたから・・・

 お伝えに参りました時は、それはもう肩を落とされて」


「酒の準備、ですか。うきうきと・・・はあー・・・」


 マサヒデが眉をしかめ、ため息をついて、顔に手を当てる。


「ふふふ。酔い止めはしかと準備してございますから。

 此度は大丈夫ですよ。オオタ様程度であれば、ついて行けます」


「ええ? オオタ様程度って・・・それ、どんな薬なんです?

 オオタ様、ものすごく呑むじゃないですか」


 カオルはにやりと笑って、


「ただの、酔い止めです。ただの・・・ふふふ」


「やめて下さいよ、その笑い。その酔い止め、飲むのが怖くなるじゃないですか」


「飲まねば、また吐き気と頭痛ですよ」


「ええ。分かってます。ありがとうございます」


「では、失礼して、私は素振りを始めますので。

 ご主人様には、我慢して頂いて」


「ふう、分かりました。ああもう、羨ましくなっちゃいますね」


「ふふふ」



----------



 台所の地下室の蓋を開けて、階段を下りる。

 そういえば、この地下室は初めてだ。

 階段の横の壁に穴が開けてあり、シズクが洞窟から持って来た小瓶が置いてある。

 そう明るくはないが、火が無くても、足元がちゃんと見える。


(ほう)


 書庫に入れば、中にもぽつぽつと小瓶が置いてあり、ぼんやりと本が見える。

 上手い所に置いたものだ。

 瓶の底はしっかりと固定されていて、倒れる心配もない。


「・・・」


 ゆっくりと歩きながら、本を探す。

 坊主に読めと言われた本。

 全16冊。1冊貸しているから、15冊。

 マツが言うには、1冊で物語が完結しているから、どれを読んでも良いらしい。


(これか)


 適当に取って、表紙を開く。

 のっぺりした顔の男と、鋭い目つきの少年。

 派手な鎧を着ている。随分と古い時代の形だ。

 魔の国との戦争前の、人の国同士の戦の時代を舞台にしたものだろうか。


 マサヒデはぱたりと本を閉じて、書庫を出た。



----------



「ふっ・・・ふっ・・・」


 カオルが素振りをしている。

 小太刀ではない、普通の長さの木刀。

 モトカネの扱いにも慣れるためだろう。


 マサヒデは静かに縁側に座り、脇に本を置いて、カオルの素振りを見る。

 相手が分かる。

 あれは、アルマダを相手にしている。


(ふむ?)


 そういえば、最近は無願想流を掴もうと、ずっとそればかり練習している。

 二刀も練習せねば、鈍ってしまう。


 無願想流は速く、斬れる。自由に身体も流しながら動かせる。

 それ故、攻めも避けも良い。

 だが、得物に身体が付いて行くから、身体は流れていく。

 避けきれない、では受けねば、となると、これがマサヒデでも難しい。


 片手で無願想流の速い攻め。

 片手で守りもしっかり固める。

 無願想流の動きと合せ、緩急で避けも良くなる。


 マサヒデは、カオルにはこれが理想の形だと思う。


「カオルさん」


 ぴた、と身体を止めて、カオルがマサヒデの方を向いた。


「二刀が鈍ってはいけません。

 ずっと無願想流に躍起になっていますが、今日は二刀を練習なさい」


「は」


「相手はアルマダさんですね?」


「は」


 マサヒデは頷いて、


「アルマダさん、もう走り回らなくても、普通にあの凶暴な振りを出してきます。

 凶暴なのに、鋭く正確。知っての通り、絶妙な搦め手まで入れてきますよ。

 それを浮かべて、二刀で勝ってみなさい」


「は!」


 懐からナイフを出し、カオルが構える。

 しゅ、しゅ、と大きくカオルが後ろに避ける。

 右手を振り、少し身体が前に崩れる。


「あ」


 と、小さく声を出して、ぴた、とカオルが止まった。


 ああ、二刀の時は小太刀だったか。

 普通の長さの木刀で振ったから、身体が流されたのだ。


「む、小太刀を持ってきましょう」


 マサヒデが立ち上がろうとして、


「あ、いえ・・・その、しばし」


「ん?」


 カオルが元に戻って、もう一度、同じ形で振る。


(ははあん)


 にや、とマサヒデが笑った。

 やっと気付いたか。


 また戻って、もう一度。

 崩れたようで、流されていない。

 ちゃんと軸が出来ている。

 避けたアルマダを、小太刀より長い木刀で追おうとして、自然と出たのだ。


 ば! とカオルがマサヒデの方を向いた。

 マサヒデがにっこり笑って頷く。

 ぱあー・・・と、カオルが満面の笑みを浮かべた。


「やった! やりました! ご主人様! 出来ました!」


 居間で寝ていたシズクが、カオルの声に驚いて「ば!」と起き上がり、


「なんだ!? なになに?」


 と、大声を上げる。

 ふふ、とマサヒデはちらっと後ろのシズクを見て笑って、カオルに目を戻し、


「片手で、よくも出来ましたね」


「いえ! 片手だから、出来たのです! 思わず振って、伸ばしてしまって!

 それで、普通の木刀で、届くか、追いかけようって!

 気付けました! 偶然でした!」


 カオルは大興奮している。

 マサヒデは頷いて、


「ナイフを納めて下さい。もう一度、見せて下さい。相手は私です。

 訓練場であなたの攻めを全て避けて、泣かせてしまった私です。

 さ、しっかりと思い浮かべて。当てて下さい」


「はい!」


「何々? どうしたのさ・・・嬉しそうな顔しちゃって・・・」


 シズクがマサヒデの隣に座る。


 しゅ。


(追えている。もう少し)


 しゅ。


(もう少し!)


 しゅ!


(そう!)


「お? お? カオル・・・うーん、やりやがったな・・・」


 シズクが悔しそうな、嬉しそうな、変な顔で笑う。


 ちゃんと、剣の筋が伸びていく。

 後ろに下がるマサヒデに当たる。

 もう、こうと決めた剣筋だけではない。

 相手に合せて、変幻自在に剣筋が変わっていく。


 カオルは夢中で振りながら、壁の前まで来て、ぴたりと止まった。

 木刀を納め、すたすたとマサヒデの前に立ち、手を付いて頭を下げた。


「ありがとうございました!」


「私ではありません。

 偶然とはいえ、カオルさんが、自分で気付いたのです。

 気付く時って、こういうものです。

 ね? 思い返せば、なあんだって感じだったでしょう?」


 カオルがぶんぶんと首を振る。


「いえ! いえ!」


「ふふふ。さあ、もう振れますよね。

 さて。真剣の二刀で、いけますか?」


「やります」


「では、まずイエヨシを持ってきて下さい。

 得意な長さから行きましょう」


「はい!」


 カオルがさっと家の中に駆け込んでいった。

 ささ、とイエヨシを腰に差して戻ってくる。


「おっと・・・そろそろ朝餉ですから、少しだけですよ」


「はい!」


 すらりとイエヨシを抜く。

 左手でナイフを抜く。


 しゅん!


「追えてませんよ!」


 しゅん!


「流されています!」


 しゅん!


「崩れましたよ!」


 しゅん!


「そう! 追って!」


 カオルがナイフを納め、イエヨシを納める。

 すたすたと歩いて来て、マサヒデに頭を下げた。


「残りの半分、分かりましたね」


「はい」


「動いていない的を射っているだけ。分かりましたね」


「はい」


「これ、私が気付いたうちの半分です。もっと先がありますからね」


「はい」


「ふふふ。先の所に気付いたら、今度はカオルさんが私に教えて下さいよ」


「私が気付けましたらば、必ず。

 でも、少しだけです。全部教えては、少ししか伸びませんから」


 に、とカオルが笑い、マサヒデも笑った。


「ははは! では、朝餉の支度、頼みますよ」


「はい!」

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