勇者祭 19 出産祝い

牧野三河

第一章 出産

第1話 出産


 翌朝、魔術師協会。

 からりと晴れて、早朝の雨上がりの涼しい風が吹き込み、気分の良い朝であった。


 朝餉を食べ終わり、ゆるりと茶を喫し、ではそろそろ執務室へ、とマツが立ち上がった時。


「ん?」


 と小さく声を出して、マツが立ち止まった。

 んん? と変な顔をして、小首を傾げる。


「どうしました? 足でも痺れましたか?」


「いえ・・・ううん、タマゴが動いたような・・・何か、変な感じが?」


 はて、とマツが腹に目を向け、え? とマサヒデが顔を上げる。


「動いた? タマゴが・・・まさか、産まれるんですか!?」


「さあ・・・でも、痛くも何とも?」


 マツが腹に手を当て、首を傾げる。


「でも、そろそろ産まれても良い頃ですよね!

 医者に行きましょう! 診てもらいましょう!」


「念の為、そうしましょうか」


 マツが頷くと、クレールが不安そうな顔を上げる。


「マツ様、タマゴって動くんですか?」


「さあ・・・動くんでしょうか?

 お医者様は、そんな事は言ってませんでしたけど」


 シズクがぐいっと茶を飲み干して、にかっと笑い、


「もしかして、だよね!」


 カオルも笑顔で頷く。


「ええ。そうですね」


「よし! 行きましょう!」


 ばっとマサヒデが立ち上がる。

 皆が立ち上がり、ぞろぞろと玄関を出て行った。



----------



 冒険者ギルド、治療室。


 がらり。


「おはようございます!」


「おはようございます、トミヤス様。どうかなされましたか?」


「ええ、マツさんが」


 ことん。


「あいた」


 マツの足元に、何かが落ちた。

 こつん、とくるぶしに当たる。


「あ! ああー!」


 シズクが指を差して、大声を上げる。


「おおっ、おっ、おっ、奥方様・・・!」


 カオルが口に手を当て、目を見開く。


「マ、マツ様! それ、それ・・・」


 クレールが震える指先で、マツの足元を指差す。


「ん?」


 足元に目を向ける。

 小さな、黒い物。


「マ、マツさん、それ・・・」


 マサヒデの目が大きく開かれる。

 医者が「ばっ」と立ち上がり、棚からタオルを引っ掴む。


「湯だ! 湯を持って来い!」


「はい!」


 ばたばたと治癒師が駆け出して行く。


「あ、ああ! 私の!」


 マツがゆっくりと膝を付く。

 小さな、黒いタマゴ。

 皆の目が、床に落ちたタマゴに注がれる。


「マツさん!」


 マサヒデも膝を付き、マツの肩を抱く。


「マサヒデ様!」


 マツの目から、涙が溢れ出した。

 震える手を、タマゴに伸ばす。

 さ、と医者が入り、タオルでタマゴを包む。


「さ、少しお待ち下さい。すぐ湯が来ますから。少しだけ」


「あ・・・」


「さあ、椅子に座って。すぐですから」


「さ、マツさん」


「・・・はい」


 マサヒデがマツを立たせ、椅子に座らせる。

 皆が目を丸くしている。

 出産とは、こういうものなのか?

 ことん。あいた。

 これだけ・・・?


 皆が驚きの表情で、マツと医者の手の中のタオルを見つめる。


「湯です!」


 治癒師が駆け込んでくる。


「置いて!」


 医者が置かれた桶に手を突っ込み、温度を確認。

 頷いて、タオルごとタマゴをゆっくりと入れて、乾いたタオルで綺麗に拭いた。


「ふう、これで良し。さあ、マツ様。手を出して。

 魔力を出してはいけませんよ。気を付けて」


「は、はい・・・」


 震える手を、前に出す。

 医者は手を取って、マツの手にタマゴを置き、


「さあ。両手で」


 マツがそっと両手でタマゴを包むように抱く。

 感極まり、マツの目から涙が流れ出す。


「あ、ああ・・・タマゴ! タマゴ! マサヒデ様!

 タマゴです・・・私達のタマゴ・・・」


 ぱりっ。

 マサヒデも手を伸ばしかけて、ぴた、と手を止め、


「マツさん、今、何か」


 マツが涙を流しながら手を開くと、

 ぱりっ。

 もう一度、音がした。


「ん?」


 医者が顔を近付ける。

 まさか、もう産まれるのか?


 ぱりっ。


「え?」


 皆がはっきりと音を聞き、タマゴに顔を寄せる。

 ぱりぱりぱり!


「あ!」


 タマゴがゆっくり、しかし目に見えて大きくなりながら、小さな鱗のような物を作っていく。ぱりぱりという音はこれだ。


「・・・」


 皆の目が見開かれる。

 これは一体?


 鶏のタマゴより少し大きいくらいのタマゴが、むくむくと大きくなる。

 ぱりぱりと音を立て、鱗のような物が全体に出来ていく。

 真っ黒な鱗の隙間に、くっきりと赤い色が見える。


「い!」


 シズクが驚いて背を反らす。


「こ、これは、一体・・・」


 医者も治癒師も目を丸くして、タマゴを見つめている。


「あ」


 と、マツが小さく声を上げた。

 もや・・・と何か黒いもやのような物が薄く出て、マツの手に垂れる。

 魔剣ほどのはっきりとした物ではないが・・・

 見た目は完全に呪われたタマゴ。禍々しいとしか言いようがない。


「・・・」


 手首から指先くらいの大きさになり、少しずつ黒いもやが濃くなる。

 部屋が静まり返り、誰かの喉が鳴った。



----------



 机の上に何枚も重ねたタオルが厚く敷かれ、その上にタマゴが載っている。

 もわもわと、あの魔剣のようなもやを出し、それが机から垂れている。


 医者が眉間に深くしわを寄せ、順番に置かれた魔術の道具を当てては見ている。

 何度も繰り返し、静かに道具を置いて、医者が頷いた。

 皆がはらはらしながら、険しい顔をした医者の様子をじっと見ている。


「うむ・・・」


 もう一度、深く医者は頷いて、くるりと椅子を回し、こちらを向いた。


「大丈夫です。タマゴの見た目が違うだけで、中の子には何の問題もありません」


 はあー・・・と皆の肩が下がり、緊張感が消え、部屋に安心感が漂った。


「ううっ!」


 マツが口を押さえ、マサヒデの胸に顔を押し付けて泣き出した。

 マサヒデはマツの背に腕を回し、そっと抱きしめた。


「推測ですが、マツ様の異常なほど大きな魔力が、継承されているのでしょう。

 殻と、この黒い霧のような物、すごい魔力が計測されています。

 その魔力を吐き出す為、このような鱗の形を作り出した・・・

 という所・・・でしょうか・・・」


 医者は腕を組み、顎に手を当てる。


「な、なるほど?」


 マサヒデは良く分からず、適当な返事を返す。


「あくまで、私の推測です。まあ、こんな推測なんて、どうでも良いですね。

 さあ、お二方、こちらを御覧下さい」


 医者があの聴診器のような物がついた道具をタマゴに着ける。

 小さな画面が映し出され、はっきりと黒い影が見える。

 子だ・・・赤ん坊だ。


「さあ、お二人のお子です。見て下さい」


 皆がぐっと顔を寄せ、画面を見る。

 はっきりと、丸まった赤ん坊が見える。

 このタマゴの中に、子がいる・・・


「子・・・マサヒデ様! 私達の子です!」


 ああ、とマツの目からだらだらと涙が流れ、頬を伝ってぽたぽたと床に落ちる。


「はい! マツさん・・・私達の子です。見えます。見えます・・・」


 マツの肩を抱いたまま、マサヒデもだらだらと涙を流す。


「・・・」


 後ろにいる3人は、感動すべき場面なのだろうが、驚きで呆然としている。

 医者はにっこりと笑って、


「男の子ですよ。この魔力、きっと、歴史に名を残す大魔術師になるでしょうね。

 ふふ、将来が楽しみです」


「男の子・・・男の子! 大魔術師! ぐすっ・・・」


「先日もお話ししましたが、このタマゴは落としたりしても、ぶん殴っても割れたりしませんから、ご安心下さい。さあ、マツ様。抱いてあげて下さい」


 にこ、と笑って、医者がマツにタマゴを差し出す。

 マツが震える手でタマゴを受け取り、胸に抱いた。

 タマゴに、ぽたぽたと涙が落ちる。


「男の子・・・マサヒデ様、男の子です・・・」


「マツさん・・・」


 胸に禍々しい霧を出す、禍々しい鱗を作ったタマゴを抱くマツ。

 そのマツをマサヒデが抱いている。

 2人は、涙を流してタマゴを抱いている。

 カオル、シズク、クレールは啞然としてその光景を見守った。


(このタマゴは、爆発したり火を吹いたりしないだろうか?)


 3人の胸に、ちらりと不安がよぎった。

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